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【お酒】992.ほろ酔 上撰 カップ [32.島根県の酒]

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青砥酒造株式会社
島根県安来市広瀬町布部1164-4

原材料名:米(国産)・米麹(国産米)・醸造糖類・醸造アルコール
アルコール分 15.0度以上 16.0度未満
内容量 180ml
(以上、フタより転記)




このお酒ですが、カップに“山中鹿介ゆかりの銘酒ほろ酔”と書かれております。
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山中鹿介(やまなかしかのすけ)は、おそらく戦国時代の一時期に山陰地方を支配した尼子氏麾下の武将のことでしょう。
その山中鹿介と青砥酒造さんとの関係については、手元の文献からも、また蔵元さんのWebsiteからも、明確な記述を見つけることができませんでした。

一方で、蔵元さんのWebsiteには、その歩みを記したページに以下の記述がありました。
 古来より良質の砂鉄が採れることで知られる安来市。
 戦国時代には、鉄をめぐって尼子、毛利両軍の激突の地となりました。
 1895年(明治28年)に、創業した青砥酒造は、
 その両軍が戦った山のふもとの静かな街道沿いにあります。

これはあくまでも私の推測ですが、尼子軍と毛利軍との戦いの場になった地でその当時に造られたお酒を山中鹿介も飲んだであろうと考えて、その土地の酒造りを今日まで継承しているという意味が、上記カップに印刷されている“ゆかり”という言葉に込められているのではないでしょうか?


あれ!そういえば。
上方から江戸への“下り酒”を最初に江戸へ届けたのは、たしか山中鹿介の息子でしたよ。

下り酒(くだりざけ:ブログ筆者注記)とは、江戸時代に酒の本場であった関西で醸造されて江戸に運ばれた酒のことである。」(※1)わけですが、その「下り酒は、伊丹の鴻池家が江戸時代初期に、馬背により酒荷を運んだのが始まりとされる。」(※2)そうです。

そしてその“鴻池家”の始祖である鴻池勝庵こそが、山中鹿介の息子である山中幸元なのだとか。
このことについて、別の文献には以下のような記述がありました。

 慶長五年(一六〇〇)一人の若者が故郷の伊丹をめざし、東海道を急いでいた。江戸を出てから数日、道はまだ遠い。だが足どりは軽快、鼻歌でも出そうな浮き浮きした表情だ。「こんなボロもうけができようとは思いもかけなかったわい。もう武士という意気地を捨て商売に徹してやろう」―。若者の胸は将来の大商人を夢見て大きくふくらんでいだ。この若者、つい一月前には同じ道を逆に汗ダクで江戸へ下っていった。肩に天びん棒、荷物は酒ダル二つ。タルにはこの年、つくったばかりの清酒四斗(七十二リットル)がはいっていた。伊丹から江戸まで約六百キロ。大変な重労働だった。
(中略)
 若者は伊丹郊外鴻池村(いまの伊丹市鴻池)の在で、山中新右衛門幸元。当時二十三歳。いかめしい名だが、それも道理、実は尼子の勇士、山中鹿之助幸盛の遺児である。幼少のころ、播州黒田城主、黒田右衛門佐幸隆の養子となり、城内に住んでいたが天正七年(一五七九)豊臣秀吉の大軍に囲まれた。このとき幸元九歳。二、三の従者とともにひそかに城をおちのびた。
(中略)
幸元は晩年、勝庵(しょうあん)と号した。「山中」の姓も地名にちなんで「鴻池」と変えた。この一代の蓄財が後年、大阪の財閥「鴻池家」の基礎となったのである。」(※3)

もっとも、この「鴻池勝庵の江戸下りは、当時の記録に残っているのではなくいわゆるいい伝えである。したがって実際にタルをかついで行ったという確証はない。このエピソードが記されているのはかなり後年の文書。しかも鴻池家にかかわりのある文書に多いところをみると、同家だけに伝わる口伝だったのかも知れない。」(※4)とのこと。
でもね、“山中鹿介が毛利との戦いの合間に飲んだ酒の味の記憶が血を分けた息子へ遺伝子を通して伝わり、その息子が伊丹で造ったお酒が江戸で人気を得て、伊丹が銘醸地として栄えるようになった”と思うと、面白いじゃありませんか!
これこそ、歴史のロマンを感じる逸話ですよ!


いかんいかん。
今日いただくこのお酒から、話しが外れてしまいました。

そんな(どんなだよ!)山中鹿介ゆかりの銘酒を自称するこのお酒ですが、誠に残念ながら糖類添加の三増酒でした。
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しかも、公式ルールでは、原材料名の表示は「使用した原材料を使用量の多い順に記載する。」ことと定められておりますから(※5)、この表示から判断するに、このお酒では糖類の添加量のほうが醸造アルコールのそれよりも多いということが言えるわけですよ。
もしかしたら、残存糖類が多めで、しかも重厚な味わいに仕上がっているのでしょうか?


大変長らくお待たせいたしました。
そろそろいただいてみたいと思います。
普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。

お酒の色は、けっこうはっきりしておりました。。
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ああ、なるほど。

うまみはやはりやや濃いめです。
酒臭いうまみとはなんとなくちょっとちがって、クドさを感じます。
苦みもほんの少しあるみたいです。

酸味はひかえめです。
ほとんど感じません。

甘みははっきりしています。
とろみのような舌触りがあって、ちょっとべとつくようです。


やや濃醇で甘口のお酒でした。
強くはないものの、ちょっとクドさを感じました。
糖添三増酒にありがちな、とろみのような舌触りもありました。
ただ、これはあくまでも私の根拠なき感想ですが、この旨みは本当に醸されたものなのかどうか、微妙なところだと思います。

もし山中鹿介がこの三増酒を飲んでいたら、伊丹のお酒ははたしてどうなっていたことでしょうか?


(※1)小泉武夫監修『日本酒百味百題』p.28(2000.4 柴田書店)
(※2)鈴木芳行『日本酒の近現代史 酒造地の誕生』p.28(2015.5 吉川弘文館)
(※3)読売新聞阪神支局編『宮水物語-灘五郷の歴史』p.3-5(1966.12 中外書房)
(※4)(※3)p.5
(※5)清酒の製法品質表示基準(平成元年国税庁告示第8号)3(1)
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あ~酒臭かった! 28

酒くさコメント 4

hanamura

山中鹿介!歴史ロマン!
うおぉぉぉ!そんな逸話がぁ・・・。
by hanamura (2016-09-30 23:34) 

sarusan

大根の間引き菜は軽く茹で、今日はじゃ子と和えましたよ。
生姜を添えても美味しく頂けます。
by sarusan (2016-09-30 23:58) 

skekhtehuacso

hanamuraさん、これまでに仕入れた知識と新しく覚えたこととが繋がると、なんかうれしくなってしまいますよ。
それにしても、この三増酒はねぇ…。
by skekhtehuacso (2016-10-01 21:12) 

skekhtehuacso

sarusanさん、じゃこと和えたりしょうがを添えたりなんて、そりゃおいしいに決まっているじゃありませんか!
しかも、間引き菜なんてスーパーには売っていませんから、それを食べることができるのは農家の方の特権ですよね。
うらやましいことこの上ないですよ。
by skekhtehuacso (2016-10-01 21:14) 

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