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《焼酎》51.JOUGO(じょうご) 25度 100ml【追記あり】 [9946.鹿児島県の焼酎]

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奄美大島酒造株式会社
鹿児島県大島郡龍郷町浦字角子1864

本格焼酎
原材料名/黒糖・米こうじ
アルコール分/25度
100ml詰
(以上、ラベルより転記)




今日は、鹿児島県の奄美大島に蔵を置く蔵元さんが造った、“じょうご”という銘の焼酎をいただきますよ。
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この銘は、どうやら水の名前に由来するようです。
このことについて、文献には以下のような記述がありました。
 焼酎づくりの決め手となるのは、やはり「水」だ。奄美の水は、サンゴ礁の深層から湧き出る硬水。蔵からほど近い山麓、地元で「じょうごの川」と呼ばれる小川の上流に、この蔵の水源がある。地下120mから汲み上げる天然地下水は、奄美大島で最高に美味しいといわれる「じょうごの水」だ。」(※1)


この焼酎ですが、黒糖を主原料とした“黒糖焼酎”なのだとか。
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黒糖焼酎は“黒糖”と“米こうじ”とを原料とした、鹿児島県の奄美地方(奄美群島)“だけ”で造られている本格焼酎(単式蒸留しょうちゅう、かつての焼酎乙類)です。
奄美地方では、多くの蔵元さんが黒糖焼酎を生産しているそうです。
しかも黒糖を原料として用いた焼酎を生産しているのは、日本でもここ奄美地方だけなのだとか。


ではなぜ、奄美地方ではこのような焼酎が盛んに造られているのでしょうか?
結論から触れると、どうやら、
“戦争による食糧不足に起因して焼酎の原料に主として黒糖が用いられるようになり、それが戦後も継続し、かつ奄美群島の本土復帰に伴って“特例として”焼酎乙類に分類され続けている。” というのが一般的な見解なのだそうです。

“特例として”と書きましたが、もし特例として認められないと、黒糖焼酎はラム酒(さとうきびの搾り汁を原料としたスピリッツ)に分類されて、焼酎乙類よりも高い税率が課されてしまうのだそうです。
これは私の推測ですが、このままでは他の焼酎と価格面で競争することができずに産業として衰退してしまうことを考慮したが故の特例処置なのでしょう。

このことについて、文献には以下のような記述がありました。

 黒糖が焼酎の原料として使われ始めるには、第2次世界大戦が影響します。輸送手段を奪われた島には、黒糖はあっても食料が十分ではありませんでした。戦後も米軍占領下となり、黒糖を島外に送ることはできなかったため、黒糖が焼酎の原料として使用されるようになったのです。」(※2)

奄美群島では、1953(昭和28)年12月の本土復帰以前から、庶民の酒として奄美特産の黒糖を原料とした蒸留酒が製造されていた。しかし、復帰当時の酒税法では黒糖を焼酎の原料として使用することは認められておらず、黒糖を原料とした蒸留酒は税率の高いスピリッツ類(ラム酒)に分類されていた。黒糖を焼酎乙類の原料とすることが初めて法令で認められたのは、1954(昭和29)年5月1日の酒税法施行規則の改正による。この施行規則の改正は本土復帰を果たした奄美のために行われた。
(中略)
結局、政府が法令を改正して、既成事実を追認した形になる。ただ、施行規則は、黒糖を焼酎乙類の原料として使用するすることを認める、と規定しているのみで、地域的な限定は行っていない。奄美だけに黒糖焼酎造りが認められているのは、1959(昭和34)年12月25日に出された国税庁の基本通達による。下に示したように、通達は、米こうじを使用することを条件に、奄美群島(大島税務署の管轄区域内)だけに黒糖焼酎の製造を認めている。奄美だけに認められたのは、本土復帰以前から、奄美の主要産物である黒糖で焼酎が製造されていた実績が評価されたことによる。米こうじの使用が条件とされたのは、黒糖焼酎と同じさとうきびの絞り汁を原料とし、当時高い税率が課されていたスピリッツ類(ラム酒)と区別するためであった。」(※3)

上記引用文献(※2)にある通達は「酒税法及び酒類行政関係法令等解釈通達第3条 10 単式蒸留焼酎の原料として砂糖を使用する場合の取扱い」を指すようですので、興味がおありの方はこのリンク先にある条文をご参照ください。

また、糖分そのものである黒糖を焼酎の原料として使用するのであれば麹は使用しなくても焼酎を製造することは可能なはずですが、(※3)にあるとおり、それでもあえて麹を使用するにはこういった訳があったわけですね。
それとも、麹には黒糖中に残っているでんぷんの成分を残すことなく糖化させるという作用があるのでしょうか?
【追記】翌朝、酔いが覚めてからこの点についてもう一度考えてみました。
麹は不要なはずと書きましたが、それは工業的に培養された酵母を添加することができる現代の発想ですね。
自然界に存在する酵母を取り込んで育てて使用していた伝統的な方法では、酛を立てるために麹が必要不可欠でしょう。
麹を使うことが条件とされたのは、そういった伝統的な製法に基づく黒糖焼酎だけを保護すべき必要があると判断された結果だったのかもしれません。
この点については、もう少し調査を要するようです。


でも、たとえ戦争で食糧不足になったからといっても、直ちに焼酎の原料を黒糖へ変えることはできないはずです。
なぜならば、そもそも黒糖を用いて焼酎を造るための技術がなければ、造りたくても造ることはできないはずだからです。

別の文献にあたってみたところ、どうやら奄美地方では古くから多種多様な酒や焼酎が造られていて、その中の一つとして黒糖を焼酎の原料として使用する技術があったのだそうです。
その文献には、以下のような記述がありました。

 黒糖焼酎が、いつごろから製造されるようになったかははっきりとしない。だが、原料になるサトウキビが奄美に伝わったのが一六一〇年。薩摩藩が奄美を島づたいに琉球まで支配した翌年といわれている。このころすでに奄美の人々は焼酎製造技術を持っていたと考えられ、江戸時代には黒糖ならぬ「砂糖焼酎」が全国の銘柄にに登場しているとの文献が残っている。  その後、黒糖がかなりの高級品だったことから米、餅米、ソテツの実、アワ、麦、サツマイモなどで焼酎をつくったり、サトウキビを絞って出た汁を澄まし焼酎に入れてつくっている。さらにみりんや神酒も造られていたというから、当時の奄美の酒文化の多様さには驚かされる。日本中探してもこれだけ多種の酒づくりを行ってきた地方はなく、奄美の先人の知恵と努力が黒糖焼酎となり今日までずっと受け継がれている。」(※4)

 もっとも、自家用の共同醸造の場合にはもっと早くから、おそらく明治時代から黒糖を主原料にした焼酎が造られていたと思われる。当時はそれぞれの村ごとに黒糖工場が置かれており、工場で作られる糖蜜や不純な部分(ブク)などを主原料として「焼酎」や「ブク酒」が造られていた。喜界町の小野津というところでは、一九五五年頃まで各家庭で「黒糖焼酎」を自家醸造していた。もちろん、製造免許のない人は焼酎を造れないわけだから、いわゆる「密造」ということになる。味噌と同じように、焼酎の醸造も主婦にとっての重要な家事であり、その製法も「秘伝」として祖母から長男の嫁だけに教えられてきたという。したがって、そうした焼酎造りの伝承を顧みるとき、戦後になって酒造所が黒糖を原料とする焼酎を造り始めたという事態は、すでにそれまで受け継がれていた黒糖焼酎造りの伝統を商業ベースに乗せた、と考えるほうが自然であろう。」(※5)


また以下の記述は奄美の黒糖焼酎に限ったものではありませんが、19世紀に入ると江戸でも黒糖焼酎を目にすることができるようになったことが記されております。
ということは、(もしかしたら奄美の話ではないのかもしれませんが)江戸時代にはすでに黒糖で焼酎を製造する技法が確立していたことがわかります。

 さらに焼酎原料として黒砂糖がある。文政七年(一八二四)版『江戸買物独案内』の「本店 御蔵前猿尾町角 常陸屋権兵衛」の酒売場の項に、「砂糖 あわもり」、「砂糖 しょうちゅう」などと見える。この砂糖は今日家庭で使われている精製糖ではなくて、糖液を煮つめた黒糖である。したがって、この「砂糖 あわもり」、「砂糖 焼酎」は今日奄美の島々で造られている黒糖製焼酎の前駆をなすものである。また、『江戸町中喰物重宝記』という買物案内手引書の「南都出店 江戸本町一丁目 竜田川屋小三郎」売場の酒値段の条にも、「中から口」として「忍冬酒、丁子酒、ぶどう酒、肉桂酒」など焼酎を基盤とした再成酒とともに、「さとう 粟もり」の名が見える。これは泡盛に黒糖を加えて再成した酒であったかもしれない。しかし、いずれにしろ黒糖が使用されていたことは確実である。
 以上のように、少なくとも江戸中・後期までには、現行酒税法上焼酎乙類と称する焼酎の原料の大部分はすでに利用されていたのである。」(※6)


そんな歴史と伝統ある奄美の黒糖焼酎ですが、今日では原料となる黒糖(含蜜糖)の確保が難しくなっているそうです。
特に、「2006酒造年度における黒糖焼酎業界全体の原料糖使用量は製成量から推計して約4,000トンと思われる。奄美では、黒糖焼酎の原料糖のほとんどを沖縄と外国に依存しており、地元奄美産の使用は全体の1割(300~400トン)程度と思われる。」(※7)という記述にあるとおり、奄美産の黒糖はかなり入手しづらくなっているそうです。

この問題を掘り下げることは、将来、奄美産の黒糖を使用した黒糖焼酎をいただく機会まで話のネタとしてとっておきたいと思います。
【追記】:先ほど奄美大島酒造さんのWebsiteを読んでいたところ、「平成19年製造分からは全ての黒糖を地元である奄美大島産に限定。」という一文を見つけました。ということは、原料糖確保の問題はこの記事で触れることこそ最もふさわしいわけですが、それに気づくのが遅すぎたことをお詫び申し上げます。



お待たせいたしました。
それではいただいてみたいと思います。


まずは生(き)、すなわちストレートでちょっとだけ。
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芋焼酎のような華やかな香りがかすかにあるみたいです。
一方で、甘みは強くはないものの、厚みを感じます。
風味ですが、芋焼酎のような重さをわずかに感じますね。


次に、残ったものをすべてロックでいただきます。
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あれ?、苦みは感じませんよ。
香りと風味とはそのままです。
一方で、甘みがはっきりしてきました。


クセがなくてほんのりと甘く、それでいて風味が奥ゆかしいおいしい焼酎でした。
これまでにいただいた焼酎はロックでいただくと苦みが出ましたが、この黒糖焼酎では苦みを感じませんでした。
それに、けっして強くはないものの厚みを感じる甘みがあったのは、黒糖を使用しているからでしょうか?
このことについて、文献には「黒砂糖が原料ということで「甘い」と思われがちな黒糖焼酎だが、糖分は0%。黒糖焼酎の特徴である甘い香りは、原料の黒糖に含まれる香味成分が、蒸留の段階でアルコールと混ざり合うことによって生まれる風味なのだ。」(※8)という記述がありましたよ。

“芋焼酎よりも上品で、
減圧蒸留の麦焼酎よりも風味が豊かで、
米焼酎よりも甘みがはっきりしている。”
これは私の感想ですが、黒糖焼酎はそんな焼酎のように感じました。

面白いね!
これはぜひとも、他の蔵元さんの製品もいただいてみたくなってきましたよ。


(※1)『鹿児島の焼酎』p.18(2003.11 斯文堂株式会社出版事業部)
(※2)独立行政法人酒類総合研究所『うまい酒の科学』p.56(2007.12 ソフトバンク クリエイティブ)
(※3)山本一哉『奄美の黒糖焼酎産業について(1)』p.13(奄美ニューズレター 17号 p.12-21 2005.4 鹿児島大学)
(※4)『サトウキビがもたらす甘く芳醇な香り、奄美の「黒糖焼酎」』p.134(財界九州 42巻2号 p.133-136 2001.2 財界九州社)
(※5)豊田謙二『南のくにの焼酎文化』p.136-137(2005.4 高城書房)
(※6)坂口謹一郎監修・加藤辨三郎編『日本の酒の歴史』p.306(加藤百一執筆『日本の酒造りの歩み』p.43-315中 1977.8 研成社)
(※7)山本一哉『奄美黒糖焼酎産業の動向』p.15(奄美ニューズレター 33号 p.13-19 2007.12 鹿児島大学)
(※8)(※1)p.17
あ~酒臭かった!(28)  酒くさコメント(2) 
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あ~酒臭かった! 28

酒くさコメント 2

美美

この黒糖焼酎ではありませんが奄美だったかなあ
試してみたいと思いつつ、黒糖だと甘いのかなあとか思って
手が出ませんでした。
ちょっと試してみるのもありかなあと思いました(∩.∩)
by 美美 (2018-03-27 19:30) 

skekhtehuacso

美美さん、私もはじめていただきましたが、いただく前までは甘いのかとおもっておりました。
確かに甘みはありましたが、けっしてくどくなくてほんのりと感じる自然な甘さでした。
この焼酎のように、小さい瓶のものだと試しやすいですね。
by skekhtehuacso (2018-03-27 22:26) 

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