【お酒】1611.歩々清風 300ml [06.山形県の酒]
合資会社杉勇蕨岡酒造場
山形県飽海郡遊佐町上蕨岡字御備田47の1
アルコール分 15度以上16度未満
原材料名 米・米麹・醸造アルコール
精米歩合 65%
300ml詰
(以上、ラベルより転記)
日本海と秋田県とに面する山形県最北の町、遊佐町。
そこに蔵を置く杉勇蕨岡酒造場さんのお酒は、かつて以下のものをいただいております。
杉勇 カップ(普通酒)(二回目はこちら)
杉勇(すぎいさみ) 純米酒 出羽の里 300ml
杉勇(すぎいさみ) 本醸造 出羽きらり 300ml
杉勇(すぎいさみ) 300ml(普通酒)
遊佐来(ゆざこい) 純米 300ml
このお酒は、山形県遊佐町にある道の駅鳥海にて入手しました。
ラベルには“歩々清風”と書かれておりました。
しかもこれは、“金子智一(かねこともかず)”なる人物の自筆なのだとか。
どうやら山形県遊佐町には金子智一氏の記念碑があるそうですが、察するにこのラベルの文字はその記念碑に刻まれているものと同一のものみたいですね。
この“歩々清風”の意味を解説した記述にあたることはできませんでした。
しかし、
「 そして、二〇〇二年十二月二十四日、十五時一分、金子智一は逝きました。享年、八十八歳。
戒名は「亜州院智行悠歩清風大居士」。
智一は生前、ウォーキング運動の同志である比叡山延暦寺大僧正小林隆彰に、自分が死んだらこれを参考にして戒名を作ってくれと原案を渡していたのでした。小林は「大」の一字を付け加えただけでした。」(※1)
とあるとおり、どうやらこれは禅の言葉で、金子氏は普段からこの言葉を好んで使用していたのではないかと、私は推測いたします。
では、その金子智一なる御仁はいかなる人物か?
1914(大正3)年に遊佐町で生まれた金子氏は、その青年期に、同じく山形県出身の石原莞爾(軍人:満州事変の首謀者)の東亜連盟思想(“アジア人は協力して欧米の侵略に対抗すべし”とする考え方)に感銘を受けたそうです。
その後出版社に入社して『陸軍画報』の編集に携わったことを契機とし、陸軍宣伝班(占領地の人々に日本の考えを伝え、かつ戦況を日本へ報告する部隊)の一員としてジャワ島(インドネシア)へ派遣されたそうです。
その際、オランダの愚民政策で服従させられていたインドネシアの人々を教化して自力で独立させるべく奔走し、その活動を通じてスカルノ(のちの大統領:デヴィ夫人の旦那)やハッタ(のちの副大統領:ジャネット八田とは無関係)と親密になっていったそうです。
金子氏の活動は敗戦と同時に頓挫するのですが、その後スカルノやハッタがオランダとの独立戦争に勝利して政権を取ったことにより、金子氏の願いは実現したのでした。
そして金子氏が戦前にインドネシアで流した汗は、戦後の日本とインドネシアとの友好関係に大きく影響を与えたのだそうです。
このことは、
「 そして同じく一九八八年九月十四日、スハルト大統領よりインドネシアの最高功労勲章「ナラリア勲章」を授与されました。この勲章はインドネシアの独立と復興、発展に寄与した人に贈られる最高の栄誉です。金子智一は、インドネシアの独立に寄与したことは無論のことですが、下中弥三郎とともに取り組んだ戦後賠償や留学生の受け入れ、スハルト政権と福田総理の橋渡し役、またジョグジャカルタ郊外にある世界最大の仏教遺跡ボロブドール修復のための募金活動(世界最高の二百三十万ドルも集めました)などにも地道な貢献をしておりましたので、それらを総合的に評価されたものでした。」(※2)
という文献の記述からも推察し得ます。
また戦後、金子氏は出版社に勤務したのち、日本ユースホステル協会や日本ウォーキング協会を立ち上げ、その発展に尽力したそうです。
要するに金子智一氏は遊佐町にとって郷土の偉人であり、このお酒はその記念碑の文字をラベルにいただいたということでしょうね。
ですがこのお酒には特定名称の表示がなく、どうやら普通酒のようでした。
普通酒でもおいしければよいのです。
“歩々清風”の名の如く、一杯ごとに清々しい風をもたらしてくれるような味わいなのでしょうか?
それを確かめるべく、そろそろいただいてみたいと思います。
普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。
お酒の色は、ほぼ透明でした。
ありゃ!
こちらひさびさの、かなりのピリピリですぞ!
やや強めで、鋭さをはっきりと感じるピリピリです。
すっぱさはほとんど感じません。
スースーもわからないくらいです。
うまみはやや淡めです。
米のうまみが広がらず、舌の上をピンと突く感じがします。
軽い苦みが少しだけあるみたいです。
キレはよくスッと引きますが、透明感はないみたいです。
甘みはひかえめです。
ほとんど感じません。
やや淡麗でピリ旨辛口のお酒でした。
けっこうなピリで、目が覚めるようでした。
かつ辛口でドライな口当たりでした。
それでもうまみがキリッと効いており、飲み応えを感じました。
これはね、完全に食中酒でしょうよ。
一口含むごとに食べ物の臭みや脂っぽさをサッと流してくれて、口の中が清々しくなりましたよ。
そういう意味で、たしかに歩々清風ならぬ、まさに“盃々清風”なお酒でした。
でもさ、生前の金子さんって、こんなにピリピリした性格だったのかな?
このお酒に合わせたのはこちら。
和風ポテトサラダ。
カーリーケールのごま味噌和え。
そして、じゃこ天。
ごちそうさまでした。
(※1)佐藤嘉尚『歩々清風 金子智一伝』p.235(2003.11 平凡社)
(※1)(※1)p.214
こんにちは。
金子智一さん「歩々清風」勉強になります。小生、出会う事のない人物名です。お酒の名前に「地元の名士」を使うのは個性があって面白いです。地元の人達が「誇りに感じるお酒・美味しいお酒」であって欲しいですね!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2019-06-30 21:20)
Boss365さん、私も今回は勉強させてもらいました。
というか、大事なことは皆、酒が教えてくれているように思います。
でもね、偉人の書や名を酒銘にいただくには、味によほどの自信がなければいけないと思いますよ。
だって、もしまずかったら、偉人の名を汚すことになりかねませんからね。
by skekhtehuacso (2019-07-01 21:46)