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【お酒】651.國盛 辛口 カップ [23.愛知県の酒]

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中埜酒造株式会社
愛知県半田市東本町2丁目24番地

原材料名/米(国産)・米こうじ(国産米)・醸造アルコール
アルコール分13度
180ml詰
(以上、ラベルより転記)




愛知県の知多半島一帯は、江戸時代中後期に“中国酒”を生産し、灘に次ぐ銘醸地として栄えた場所です。
特に半田には多くの醸造家が集中し、その中でも中野家(中埜家)は、小鈴谷村(現常滑市)の盛田家とともに中国酒醸造家の双璧をなしたようです。
なお、中国酒のことについてはかつてこちらでまとめておりますので、ご覧ください


ところで、上記リンク先で紹介した文献によれば、中国酒が江戸で珍重されたのは江戸中期以降とされています。
一方、中埜酒造さんのWebsiteによれば、中埜酒造さんの創業は弘化元年(1844年)の江戸末期とされています。
ということは、半田で酒造業を営んでいた中埜家と、今日いただく中埜酒造さんのルーツとは異なるのでしょうか?。
この点について明確に記述した文献にはまだ出会っておりませんが、以下の記述がヒントになりそうです。

半田村の中野又左衛門は文化八年に酒粕を原料とする製酢業(現在のミツカン酢:ブログ筆者注記)に進出した。天保九年分以降保存されている同家の勘定帳は酢屋・酒屋・利息金・田地の四項目に分かれているが、利益の大半が酢屋からのものである。」(中略)「しかし文久三年(1863年:ブログ筆者注記)には酒蔵を一族の者に売却してしまった。」(※1)

これは私の予想ですが、おそらくこの“売却後”に紆余曲折があって、酒造業が再び中埜家の下に落ち着いたのではないかと思います。
それをにおわせるWeb上の記事はあったのですが、私はまだその内容を裏付ける文献に出会うことができておりませんので、断定的なことを書くのは(創業年と売却年とのくいちがいを含めて)もっと詳しく調べてからにしたいと思います。


いずれにせよ、中国酒の流れを汲むと思われる中埜酒造さんのお酒を、今日はいただくこととします。
品質表示から判断するに普通酒ですが、アルコール度数が13度といささか低め(ということは加水多め=味は薄め?)であることが気になります。
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普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。

お酒の色は、ほとんどわからない程度です。
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やはりうまみは淡めでした。
でも、ややはっきりしているようです。
酒臭さはそれほどでもなく、むしろうまみ自体はやわらかい感じがします。
しかしこのお酒、苦みがけっこうはっきりしています。
でも、香ばしさを伴う苦みであって、決していやな苦みではないですね。

酸味はややはっきりしています。
すっぱさと清涼感とを伴う酸味です。
それに、ほんのわずかですが、ピリッとしたものを感じました。

辛口と銘打たれてはおりますが、甘みは強くはないものの、けっこうはっきりしています。
べとついた感じのない、さらっとした甘みです。


苦みと酸味とがアクセントの、淡麗やや甘で苦口のお酒でした。
“辛口=甘くない”というよりも、甘みはけっこうあるけれども苦みと酸味とが辛さを感じさせているようです。
でも、くどいようですが、決していやな苦みではないと思います。
この甘さで“辛口”を名乗るということは、辛口と銘打たれていない普通のお酒はきっとかなり甘いのではないかと、私は予想しております。
ということは、それをもう買ってあるわけだな。


(※1)篠田壽夫『知多酒造業の盛衰』p.38-40(社会経済史学 第55巻第2号 1989.6 社会経済史学会)
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あ~酒臭かった! 52

酒くさコメント 2

エクスプロイダー

國盛は西友や100円ローソンで三増酒のにごり酒の四合瓶やカップ酒を見かけますけど。

やはりミツカンの中埜酢店とは何らかの関わりは有るんでしょうかね?。
by エクスプロイダー (2015-08-27 22:46) 

skekhtehuacso

エクスプロイダーさん、緑色の容器に詰められたやつですな。

本文の文献にあったとおり、醸造業を営んでいた中野又左衛門が酒粕で製酢業をはじめたのがミツカンの始まりのようですので、もともとは同根ででしょう。
by skekhtehuacso (2015-08-28 00:01) 

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