みちのくひとりの酒集め [旅]
【おことわり】
この記事には、ブログ筆者の自己満足のために記述が冗長になっている箇所がございます。
(っていうか、そもそもこのブログ自体が自己満足そのものじゃないか!)
読者の皆様におかれましては、もしつまらないとお思いでしたら、当該箇所を飛ばしてお読みいただきたく存じます。
なおこのことは、当該箇所の直前で再度お知らせいたします。
今回は、まだ梅雨明けしていない7月の三連休に、JR東日本の“三連休東日本・函館パス”を利用して出かけてまいりました。
★☆一日目(2017年7月15日(土))★☆
まずは東京駅から。
はやぶさ(こまちを併結)45号新青森行に乗車。
終点の新青森駅で下車。
東京駅からたった3時間ちょっとで、青森市内に着いてしまうんですよ。
すごい時代が来たもんだなこりゃ。
乗り換えの合間を利用して、新青森駅のエキナカ(改札外)にある“あおもり旬味館”へと立ち寄ります。
ちょうど2年ぶりのご無沙汰でした。
そのあおもり旬味館では、これらをGET!
ねぶたカップは、どうやら桃川本醸造カップのラベルちがいのようでした。
亀吉は絶賛売出中でしたので、つられて買ってしまいました。
時刻はまだ朝の9時半。
でもでもでも!
あおもり旬味館に来たからにはね、自動試飲機を是が非でも試さねばならぬのですよ。
選んだのは、喜久泉の吟冠吟醸酒。
“田酒”でおなじみの西田酒造店さんが造った吟醸酒でした。
これ、深いね!
酸味は控えめですっぱくなく、うまみの深みが豊かです。
しかも辛口でキリッとしていて、後味がさっぱりしておりました。
今こうして記事を書いていて気がついたのですが、今回の旅でどうしてこのお酒を入手しなかったのかと悔やまれるところです。
まあでも、これでまた青森へ行く楽しみができたわけですよ。
この趣味を長く続ける秘訣は“採り尽くさないこと”にこそあると心得ておりますものでね。
朝から新青森駅でほろよい気分になったところで、次の目的地へと向かいます。
当初の予定では、9:40発の青森行普通列車に乗るつもりでした。
しかしこの列車は、奥羽本線内で発生した人身事故の影響で40遅れとのこと。
それ故、先に到着する9:58発の青森行に乗車します。
ま、余裕を持って行程を計画しているので、この程度のことは全く問題がありません。
新青森駅から一駅だけ乗って、着いたのは青森駅。
駅前にある“アウガ”。
地上階にあった商業スペースはもぬけの殻ですが、地下には市場があるのです。
その市場の中にあった酒店で、これらをGET!
下北半島はむつ市の“関乃井”(右から2つ目)を見つけることができました。
陸奥男山はかつていただいておりますが、ちがうデザインのカップ(いちばん左)を見つけてしまいました。
この酒店には2年前に一度来ております。
しかしその際に採り尽くさなかったおかげで、こうして再訪の楽しみを味わえたというわけですよ。
この後、青森の市街地を2時間ほど歩き回ったのですが、成果はゼロでした。
まあでも、こればかりは実際に歩き回ってみないとわからないことですから、しかたがありません。
途中、青函連絡船八甲田丸のお姿を拝みつつ、
駅そば(冷やしとろろそば)を胃袋へ流し込んで、
青森駅から特急つがる4号秋田行(12:42発)に乗って、奥羽本線を南下したのでした。
青森駅からつがる4号に2時間弱乗って、着いたのは東能代駅。
ここから能代の市街地を目指して歩きながら、途中にあるスーパーを潰して行きます。
能代市は、いまを時めくこのお方の地元でした。
能代での成果はこちら。
楽泉(左)も喜久水(右)も能代の地酒ですが、まことに残念ながら双方とも糖添でした。
これらは能代とは関係ないお酒。
潟上市の太平山(左)も大館の北鹿(右)もこれまでにいくつかいただいておりますが、初見のお酒に心惹かれてしまったので入手しました。
能代に来た一番の理由は、ここまで来れば山本さんの白瀑(しらたき)に出会うかもしれないと思ったからでした。
ですがカップ酒には全く出会わず(そもそも存在するのかどうかわかりません)、“白瀑”や“山本”の酒銘を掲げた少量瓶には出会うことがかないませんでした。
しかし、山本合名会社が世に送りだしてくださったこの“白神のめぐみ”なる特別純米酒に出会うことができましたよ。
でもこのお酒、秋田駅でも販売されていたんだよな。
東能代駅から2時間ちょっと歩いて、五能線の能代駅へとたどり着きました。
本日の酒集めはこれでおしまい。
中心市街地にあった食堂で、お食事をいただきます。
まずはビール。
この日は暑かったので、より一層おいしく感じました。
選んだのは、しょうが焼定食。
お肉がとても柔らかくてジューシー。
しかも味付けがちょうどよく、おいしくいただきました。
それになによりも私としては、付け合せのトマト(地の物だそうです)がものすごくまいうーでうれしいところでした。
ということで、ここ能代をキャンプ地といたしましたとさ。
★☆二日目(2017年7月16日(日))★☆
あーあ、雨が降っていやがんの。
でもいいんですよ。
だって、今日の目的地は、雨が降ってこその場所なのですから。
いくら雨が降ってこそでも、竜巻は来てほしくないな。
能代駅からは、6:42発の五能線東能代行124Dに乗車。
キハ40の単行でした。
先日、電気式気動車への置き換えが発表されましたね。
この東能代行は、ここ能代駅から1駅だけしか走らない、いわゆる“チョン行”でした。
能代駅から一駅だけ乗って、終点の東能代駅で下車。
東能代駅からは、6:51発の快速秋田行3620Mに乗車。
昨日に引き続き、奥羽本線を南下します。
東能代駅から50分ほど乗って、着いたのは秋田駅。
駅舎の窓から外を眺めると、雨がどしゃぶりになっていやがんの!
でもいいんです。
あたしゃ秋田駅では、外に出るつもりはいっさいございませんから。
リゾートしらかみは、大雨の影響で運休だとさ。
三連休の中日なんだからさ、多くの人が楽しみにしていただろうに、残念だね。
洪水警報まで出てやがんの!
あたしゃ秋田駅の建物から一歩も外へ出ることなく、酒集めを開始いたします。
まずは、駅の売店でこれらを入手。
こちら久々の天の戸純米酒カップ(左)は、再飲のために入手しました。
髙清水の上撰(右)もかつていただいておりますが、紙カップのものを見つけて入手しました。
秋田駅のエキナカ(改札外)“トピコ”は、朝8時に開店します。
開店と同時に乗り込んで、これらを入手いたしました。
太平山(左)は、本醸造のにごり酒でした。
まんさくの花特別純米酒カップは既出ですが、ラベルが紙から直接印刷へと変わっておりました。
秋田駅での酒集めはこれでおしまい。
so-netブロガーのやまびこ3様が、「朝8時から飲める」と紹介なさっていた“あきたくらす”へ。
朝の8時から飲めるなんて、そんな非常識なことがあり得るわけがありませんよね。
でも、やまびこ3様がまさかウソをおっしゃっているとも思い難いところです。
これはきっと、本当に朝8時から飲めるのかどうかを自分で確かめてみる必要があるということでしょう!
本当に朝の8時から飲めました。
でも、お客は私一人だけ。
ゆったりとした気分で、天の戸の“Land of Water”なる純米吟醸生酒をいただきましたよ。
フレッシュさがありますが、しつこくはありません。
軽い酸味もさわやかさを出すのにちょうどいい感じです。
また甘くないので、キリッとしています。
スイスイといけてしまう、まことにもって危険なお酒でした。
ほろ酔い気分になったところで、いよいよ本日の、いや今回の旅で最も楽しみにしている場所へと向かいます。
秋田駅からは、特急いなほ8号新潟行(9:15発)に乗車。
羽越本線を南下していきます。
目的地が近づいてまいりましたよ!
秋田駅から1時間弱乗って、着いたのは象潟(きさかた)駅。
雨は降っておりましたが、小雨でした。
象潟駅から20分ちょっと歩いて、着いたのは道の駅象潟。
まずは酒集め。
飛良泉の普通酒カップは既出ですが、再飲のために入手しました。
飛良泉を買っちゃったら、そりゃ同じく鳥海山の恵みたる天壽と由利正宗とも入手しなけりゃいけません罠(いずれも再飲のためです)。
鳥海山の山バッジも買っちゃったりなんかしちゃったりして。
【おことわり】
ここからしばらくの間は、ブログ筆者の自己満足のために記述が冗長になっております。
読者の皆様におかれましては、もしつまらないとお思いでしたら、《ここまでに引用した文献の出典》の箇所まで飛ばしてお読みいただきたく存じます。
(ここまでだって冗長じゃないか!)
道の駅象潟へ来たのは、酒集めのためだけではありません。
あたしゃここで、象潟の風景をぜひとも眺めてみたかったのです。
道の駅象潟の6階には展望スペースがあって、象潟の風景を眺めることができるのです。
晴れている日にはこの方向に鳥海山が見えるはずなのですが、この日は完全に隠れてしまっておりました。
よく見ると、田んぼの中に小高い山々が散在していることがわかります。
全体の様子は、私の安物カメラでは一枚で捉えることが出来ませんでした。
それ故、道の駅象潟に掲示してあった写真をご覧下さい。
この田んぼの中に小高い山々が散在する景色は、1804年に発生した地震で出来たと、一般的に言われているようです。
このことについて、文献では以下のように紹介されておりました。
「 象潟はかつて、東西約1.5km、南北約5kmの入り江に大小100以上の島々が点在し、松島と並ぶ景勝地、歌枕の地として知られ、松尾芭蕉を始めとする文化人も多く訪れた場所であった。文化元年(1804)の大地震によって湖底が約1.8m隆起し、潟湖跡は新田開発により水田地帯となったが、島々はその後も保全され、昭和9年(1934)には103島が天然記念物に指定され現在も特徴的な景観が保全されている地域である。」(※1)
上記によれば、この象潟一帯が地震で隆起する前は潟湖(潟湖、砂洲、砂嘴、陸繋島!(水曜どうでしょうより))すなわち海で、その海面に山々が散在していたわけです。
では、その山々は、いったいどのようにして形成されたのでしょうか?
下記文献の記述によれば、この山々を形成している土は、もともとは鳥海山のこの部分(東鳥海大爆裂火口)にあったもので、それが山体崩壊を起こして象潟まで流れてきたのだそうです。
このことについて、文献では以下のように紹介されておりました。
「 前述のように鳥海山は、火口湖鳥ノ海(鳥海湖)を中心とする西鳥海山と、その形成後に噴出した東鳥海山とに分けることができる、東鳥海山の形成はもっとも新しく、火山体の主要部分を形成後、大爆発によって山頂付近が飛散して北北西に開口する長径約3.5kmの馬蹄形の東鳥海火口を生じた。
(中略)
東鳥海火口の形成は今からほぼ2,600年前(紀元前5世紀:ブログ筆者注記)の噴火によるもので、その際多量の火山泥流(岩屑流)物質を放出し、山麓に多くの泥流丘を形成した。」(※2)
「 他方、大森山塊によって二分されて西方へ向かった泥流は、かつての谷間、すなわち現在の水岡・長岡・石名坂・狸森などを結ぶ線を通って象潟(羽越本線きさかた駅方面)へと流下した。これがいわゆる象潟泥流で、やはり旧海岸線を越えて扇状に広がり、海域時代の九十九島といわれた泥流丘を形成した。九十九島は、現在水田中に散在している。」(※3)
この記述を踏まえて、地図を見てみましょう。
“鳥海山”の文字の上側一帯がくぼんでいること(周りよりも黒いところ)がわかります。
ここが東鳥海火口でしょうか?
そのくぼんだ場所にあった土砂の一部(どうやら3方向へ流れたそうです)が下記地図のマーカーの方向へ流れて、象潟(“にかほ市”の文字辺り)の潟湖の海面上に山々を形成したわけですね。
ここまでのことを踏まえると、象潟における景観の形成過程はこういうことでしょう。
【1】象潟は、もとは平らな海(潟湖)だった。
↓
【2】紀元前5世紀に鳥海山が爆発し、流れ込んだ泥流が海面上に山々(泥流丘)を形成した。
↓
【3】1804年に地震が起きて隆起し、海面が地面となった。
↓
【4】山々を残して地面の部分だけが新田開発され、田んぼの中に山々が散在する今の景色となった。
またここ象潟は、松尾芭蕉が奥の細道で訪れた最北の地なのだそうです。
元禄2年(1689年)ということは、芭蕉は上記【2】と【3】との間、すなわち象潟がまだ潟湖で、海面上に山々が散在していたときに訪れているわけです。
その当時のものと思われる絵図が道の駅にありました。
芭蕉は船に乗って象潟を散策し、次のような句を残しています。
この句について、奥の細道では以下のようにとりあげられているそうです。
「江の縦横(じゆうわう)一里ばかり、俤(おもかげ)松島に通(かよ)ひて、また(又)異(こと)なり。松島は笑うがごと(如)く、象潟は憾(うら)むがごとし。寂しさに悲しび(み)を加え(くはえ)て、地勢魂(たましひ)を悩(なや)ますに似たり。
象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」(※4)
この文と句とを、注釈では以下のように解説しておりました。
「入江の縦横各一里ばかり、そのおもざしは松島に似通っていて、しかしまた違ったところがある。いわば松島は笑っているような明るさがあり、象潟は憂いに沈んでいるかのような感じだ。さらにいえば、寂しさの上に悲しみの感を加えて、その地のたたずまいは傷心の美女の俤(おもかげ)に似ている。」
「―象潟は雨に朦朧とうちけぶり、その中からかの美人西施の憂いに目をとざした悩ましげな俤がそぞろに浮かんでくるような感じがされたが、西施の俤と見たは、実は岸べに茂るねむの花の雨にそぼぬれた姿であった。―」(※5)
西施は「春秋時代の越の美女」で、その美しさは「越王勾践が呉に敗れて後、呉王夫差の許に献ぜられ、夫差は西施の色に溺れて国を傾けるに至った。」(※6)との伝説を持つほどだったそうです。
(道の駅象潟にあった西施像です。)
また、「西施は胸に病を患っていたと伝えられており、胸を押さえて苦しむ姿もが、か弱く美しかったという。」(※7)とのこと。
それ故、上記(※5)の注釈のように、芭蕉はねぶ(合歓)の花が雨に濡れている様子、そしてその合歓の花が咲く雨の象潟の様子を、傷心の美女たる西施の憂いやか弱さにたとえているという解釈が、きっと成り立つのでしょう。
一方で、「和歌の用例ないし辞書の説明を再調査してみると、合歓の花は早くから、眠りを掛ける表現として用いられていることがわかる。」(※8)とし、「合歓の花が「眠る」という意味を有していることは、『万葉集』だけでなく俳諧においても確認される。」(※8)とともに、かつ「近世初期に当たって、合歓の花は和歌や俳諧において、言うまでもなく、眠る花であるという見立てによって表現されている。」(※9)ということを理由(のあくまでも一部)として、“西施がねぶの花”の部分は合歓の花を西施が眠っている様子にたとえたものと解釈する説もあるそうです。
ここでブレイク。
腹が減ったので、冷たい象潟うどん(ギバサ入り)をいただきましたよ。
お腹も心も満たされたところで、象潟を散策してみることにいたしました。
道路の脇にはねむの木が生えておりましたが、ねぶの花は咲いておりませんでした。
羽越本線の踏切を渡って、松並木の奥を目指します。
ここにあるのは“蚶満寺(かんまんじ)”です。
「仁寿3年(853)に比叡山延暦寺の慈覚大師円仁が開山したと伝わる古刹。」(※10)なのだそうです。
立派な山門は、江戸時代中期の作だとか。
もしかしたら、芭蕉もここを歩いたのでしょうか?
本堂は、木々に覆われておりました。
本堂の脇には鐘楼があり、その隣にはなぜか芭蕉の木が植えられておりました。
舟つなぎの石。
ここはかつて舟着場で、象潟がまだ海だった頃には、人々がここから舟で象潟の散策に出かけたのだとか。
もしかしたら、芭蕉もここから舟で出かけたのでしょうか?
舟つなぎの石の目の前には、小さな山が一つありました。
当時の観光客にとっては、この山が最初のアトラクションだったのかもしれませんね。
蚶満寺の境内で、“閑院宮殿下御臨啓紀念櫻”と書かれた碑を見つけました。
いまはもう桜はなくなってしまったそうですが、そんなことはどうでもよいのです。
なぜならば、この碑こそが、蚶満寺と閑院宮家との関係のみならず、かつて蚶満寺が象潟の景観保全に尽力したことを示す手がかりとなると言っても過言ではないからなのです。
上記【4】の新田開発の際には、この地方を治めていた本荘藩は、山々をすべて取り崩して平らにしようとしたそうです。
しかしそれを、当時象潟の景観を保全管理していた蚶満寺が中心となって阻止したのだとか。
上記で引用した文献では、このことを以下のように紹介されておりました。
「 明和3年(1766)年には、蚶満寺を象潟保全の責任者とする通達が藩から出されている。これには(中略)生い茂った多年生の雑草や畑地などによって島の荒れ地が多くなっている状況が書かれている。(中略)つまり、「勝地」(景勝地)である象潟の荒地化を藩が危惧していることがわかる。」(※11)
「 象潟大地震によって潟湖全体が隆起して陸地となったため、文化7年(1810)以降、潟跡の北側から、藩の責任者鎌田藤ェ門、商人近江屋次郎ェ門、工事担当者工藤伝作を中心として本荘藩、汐越町人、百姓によって島を削る形で新田開発が進められた。」
「 潟跡の新田開発に対し、明和3年(1776)の通達以来象潟保全の責任を担ってきた、蚶満寺住職覚林が、藩へ象潟保全を求めた。
(中略)
さらに覚林は閑院宮家の支持を取り付け、蚶満寺を閑院宮家の御祈願所とすることで藩に景観保全を求めた。宮家が象潟保全を求めたため、藩主導の新田開発は中止され、町人請負水田として新田開発が進められた。その結果、島が点在する現在の象潟の原型が作られた。」(※12)
藩主導の新田開発を止めさせるために、宮家のご威光をうまく利用したのですね。
しかしそれも、慈覚大師が創建した名刹だったからこそなし得た、まさに大~、どんでん返し(ねるとん紅鯨団より)ですね。
最後に、境内にあった西施像と芭蕉像とを拝みつつ、蚶満寺を後にしたのでした。
来るときに渡った踏切で待っていると、EF510形514号機が引く貨物列車がやってまいりました。
JR貨物に身売りさせられても、元気そうでした。
《ここまでに引用した文献の出典》
(※1)佐々木祐介・三宅諭『象潟の景観形成過程と保全に関する研究』p.251(農村計画学会誌 25巻論文特集号 p251-256 2006.12 農村計画学会)
(※2)村山磐『鳥海山の火山噴出物と象潟の地形との関係』p.453(東北学院大学東北文化研究所紀要 10号(東北学院大学東北文化研究所創立十周年記念号)p454-449 1979.3 東北学院大学東北文化研究所)
(※3)(※2)p.452
(※4)穎原退蔵・尾形仂訳注『新版おくのほそ道』p.47(2003.3 角川ソフィア文庫16)
(※5)(※4)p.126
(※6)広辞苑 第五版(電子辞書)
(※7)松本実可『『おくのほそ道』における「美人」論』p.116(国文目白 53号(熊坂敦子名誉教授 田中功名誉教授 追悼号) p.115-122 2014.2 日本女子大学国語国文学会)
(※8)黄佳慧『「象潟や雨に西施がねぶの花」における西施像』p.4(連歌俳諧研究 122号 p.1-12 2012.3 俳文学会)
(※9)(※8)p.9
(※10)『楽楽 東北1 東北』p.113(2012.7 JTBパブリッシング)
(※11)(※1)p.252
(※12)(※1)p.253-254
あー気が済んだ気が済んだ!
奥の細道をきっかけとして、今回は雨降る象潟を堪能させていただくことができましたよ。
でも、やっぱり次は晴れた日に来たいな。
気が済んだところで、象潟駅から13:16発の羽越本線酒田行普通542Mに乗車。
どしゃぶりの中を走って行きます。
酒田駅で、14:00発の陸羽西線快速最上川号新庄行に乗り換え。
前面展望を試みましたが、大雨で何も見えやしない。
どしゃぶりを
集めてにごっちゃったぜ
最上川
快速最上川号を終点新庄駅まで乗車。
新庄駅での乗り換え時に売店を覗いて、澤正宗の純米カップ(再飲です)を入手。
新庄駅からは、山形新幹線つばさ150号に乗車。
普通列車で行きたいところでしたが、次の発車時刻まで一時間以上もあったことから、しかたがなく新幹線(と言っても実は在来線の特急)に乗車しました。
新庄駅から1時間ちょっと乗って、着いたのは山形駅。
これは前から気になっていた看板なのですが、“養蛇所”っていったいどんなところなのでしょうね。
愛玩用(ペット)か、それとも食用(あるいは薬用?)なのでしょうか?
山形へ着たら、決してはずせないのが居酒屋伝七さん。
楽しみにしていた岩がきがあるみたいです。
これはじゅんさいともずくの酢の物。
さわやかでした。
このちょっとピリ辛の和え物には、“コリンキー”なる、生食用のかぼちゃを使ってあるのだとか。
黄色いやつがそれです。
歯ごたえがとてもよくて、クセのないおいしいかぼちゃでした。
うどと、細い竹(名前を忘れてしまいました)の煮物。
こういう山の恵みを使った煮物がうれしいワタクシでございます。
そして山菜の女王と称される“しおで”。
これらと合わせたのが、羽前桜川の辛口。
糖類酸味料フル添加なのに、なぜかおいしいふしぎなお酒。
今日はひや(常温)でいただきます。
特大サイズの茄子田楽。
味噌に干しエビとくるみとが入っているところがニクイね。
これはついつい酒がすすみ過ぎてしまう危険な一品でしたよ。
ここで岩ガキが出てきたのですが、写真を撮ることを忘れて食べてしまいましたよ。
岩ガキは磯臭さや生臭さゼロで、とてもおいしくいただくことができました。
あたしゃ海のもの、特に磯臭いものが苦手なのですが、この岩ガキはそんな私を虜にしてしまいました。
二杯目は、山川光男の2017なつ。
山形正宗、楯の川、東光、(羽陽)男山の四蔵が共同で醸造したお酒です。
名前の山川光男は、上記四蔵から一文字ずつ取ったのだとか。
共同醸造といっても、四蔵で一緒に造っているわけではないようです。
この山川光男は東光製ですが、どうやら造りの過程に他の蔵も何らかの形で関与しているみたいです。
このことは、「2月に販売した「山川光男2017ふゆ」は、東光さんと男山さんでつくった麹を山形正宗に持ってきて醸造する方法を採りました。」という記述からも推測できると思います。
(月刊山形ゼロ・ニィ・サン 2017年3月号(通巻203号) p.48 2017.2 株式会社アサヒマーケティング)
この山川光男はフルーティーで、酸味が効いておりました。
また度数が13度とやや低めなので、口当たりよくいただくことができました。
ただね、オイラにはちょっと物足りないかな。
お料理はまだまだ出てまいります。
これは鰆のホイル焼。
チーズケーキの上に自家製さくらんぼジャムを乗せたデザート。
出てきたときから香り高い一品でした。
三杯目は、満を持しての東北泉。
今日は美山錦で造られた純米吟醸酒でした。
美山錦らしいさっぱりさとキレのよさとがあるものの、東北泉らしいうまみをしっかりと感じ取ることができましたよ。
最後のお料理は、山形牛と山菜の汁。
アカミズがしゃきしゃきでまいうー!
でもね、ここまで出てきたお料理の量が多くてお腹いっぱいになってしまい、残念ながら全部食べきることができませんでした。
伝七さん、毎度のことながら堪能させていただきました。
ということで、ここ山形を二日目のキャンプ地とさせていただきました。
★☆三日目(2017年7月17日(月祝))★☆
三日目の朝。
すっかり晴れておりました。
山形駅から、6:30発の奥羽本線福島行普通420Mに乗車。
赤湯駅で、7:44発山形鉄道フラワー長井線203Dに乗り換え。
山形鉄道は三連休東日本・函館パスでは乗車できませんので、切符を買いましたよ。
赤湯駅から5駅乗って、
今泉駅で、米坂線羽前椿行1127Dに乗り換え。
今泉駅から2駅目の終点、羽前椿駅で下車。
ここから目的地を目指します。
置賜白川なる川がありましたが、白川どころか濁っておりました。
きっと、昨日降った雨のせいでしょう。
道端にて、ワラビらしきシダ植物を発見。
先っぽがくるくると丸まっているやつって、ワラビですよね?
羽前椿駅から20分ほど歩いて、やってきたのは道の駅いいで。
入口では、米沢牛の像がお出迎え。
そりゃ多くの人は牛肉が好きだろうけれど、食べられてしまう側の牛は果たして本当に人間が好きなのかな?
開店の時刻(9時)まで少し時間があったことから、さくらんぼソフトクリームをいただきながら待つことにいたしましたよ。
甘酸っぱくておいしいソフトクリームでした。
道の駅いいででは、これらをGET!
樽平の純米大吟醸(左)と、羽前桜川の激辛普通酒(右)。
いずれも初見のお酒でした。
羽前桜川は170円なのに、樽平は620円もしやがんの。
たぶん今までにいただいたカップ酒の中で最高値でしょう。
目的を果たしたところで、羽前椿駅へ戻りました。
しかし、なぜか不思議なことに、晴れているのに雨が降ってきやがんの。
最後の最後までいやがらせかよ!
羽前椿駅からは、10:51発の快速べにばな号米沢行(米坂線内は各駅停車)に乗車。
座席が空いていなかったことから、しかたがなく前面かぶりつきで過ごすことにいたしましたよ。
羽前椿駅から40分ほど乗って、終点の米沢駅で下車。
米沢駅の売店で、東光の精撰本醸造をGET!
東光は、かつては精撰は普通酒(糖類添加なし、酸味料添加あり)で、上撰が本醸造でした。
しかし、米沢駅の近くにあったスーパーの酒コーナーを覗いてみたところ、どうやら精撰は本醸造に、そして上撰は純米酒へと変わったみたいでした。
今回の旅での酒集めはこれですべておしまい。
米沢へ来たからには、最後の〆はやっぱりこれでしょう。
まずはビール。
冷え冷えでまいうー!
そしていただいたのは、米沢牛丼。
ファーストフードの牛丼と比べて、約3~4杯分のお値段です。
お肉がものすごくやわらかくて味わい深く、とてもおいしい牛丼でした。
ですがね、この牛丼、あたしゃあまりおすすめできませんよ。
だって、これを食べたらね、ほかの牛丼を食べることができなくなってしまいそうですから。
まるで磯田園のお茶みたいな牛丼でした。
(公式動画のようですから、ここで紹介しても問題ないでしょう。)
お腹も心も満たされたところで、米沢駅から山形新幹線に乗って帰ったとさ。
以上、カップ酒16個(再度購入5個)、一合瓶2本、300ml瓶4本の旅でした。
この記事には、ブログ筆者の自己満足のために記述が冗長になっている箇所がございます。
(っていうか、そもそもこのブログ自体が自己満足そのものじゃないか!)
読者の皆様におかれましては、もしつまらないとお思いでしたら、当該箇所を飛ばしてお読みいただきたく存じます。
なおこのことは、当該箇所の直前で再度お知らせいたします。
今回は、まだ梅雨明けしていない7月の三連休に、JR東日本の“三連休東日本・函館パス”を利用して出かけてまいりました。
★☆一日目(2017年7月15日(土))★☆
まずは東京駅から。
はやぶさ(こまちを併結)45号新青森行に乗車。
終点の新青森駅で下車。
東京駅からたった3時間ちょっとで、青森市内に着いてしまうんですよ。
すごい時代が来たもんだなこりゃ。
乗り換えの合間を利用して、新青森駅のエキナカ(改札外)にある“あおもり旬味館”へと立ち寄ります。
ちょうど2年ぶりのご無沙汰でした。
そのあおもり旬味館では、これらをGET!
ねぶたカップは、どうやら桃川本醸造カップのラベルちがいのようでした。
亀吉は絶賛売出中でしたので、つられて買ってしまいました。
時刻はまだ朝の9時半。
でもでもでも!
あおもり旬味館に来たからにはね、自動試飲機を是が非でも試さねばならぬのですよ。
選んだのは、喜久泉の吟冠吟醸酒。
“田酒”でおなじみの西田酒造店さんが造った吟醸酒でした。
これ、深いね!
酸味は控えめですっぱくなく、うまみの深みが豊かです。
しかも辛口でキリッとしていて、後味がさっぱりしておりました。
今こうして記事を書いていて気がついたのですが、今回の旅でどうしてこのお酒を入手しなかったのかと悔やまれるところです。
まあでも、これでまた青森へ行く楽しみができたわけですよ。
この趣味を長く続ける秘訣は“採り尽くさないこと”にこそあると心得ておりますものでね。
朝から新青森駅でほろよい気分になったところで、次の目的地へと向かいます。
当初の予定では、9:40発の青森行普通列車に乗るつもりでした。
しかしこの列車は、奥羽本線内で発生した人身事故の影響で40遅れとのこと。
それ故、先に到着する9:58発の青森行に乗車します。
ま、余裕を持って行程を計画しているので、この程度のことは全く問題がありません。
新青森駅から一駅だけ乗って、着いたのは青森駅。
駅前にある“アウガ”。
地上階にあった商業スペースはもぬけの殻ですが、地下には市場があるのです。
その市場の中にあった酒店で、これらをGET!
下北半島はむつ市の“関乃井”(右から2つ目)を見つけることができました。
陸奥男山はかつていただいておりますが、ちがうデザインのカップ(いちばん左)を見つけてしまいました。
この酒店には2年前に一度来ております。
しかしその際に採り尽くさなかったおかげで、こうして再訪の楽しみを味わえたというわけですよ。
この後、青森の市街地を2時間ほど歩き回ったのですが、成果はゼロでした。
まあでも、こればかりは実際に歩き回ってみないとわからないことですから、しかたがありません。
途中、青函連絡船八甲田丸のお姿を拝みつつ、
駅そば(冷やしとろろそば)を胃袋へ流し込んで、
青森駅から特急つがる4号秋田行(12:42発)に乗って、奥羽本線を南下したのでした。
青森駅からつがる4号に2時間弱乗って、着いたのは東能代駅。
ここから能代の市街地を目指して歩きながら、途中にあるスーパーを潰して行きます。
能代市は、いまを時めくこのお方の地元でした。
能代での成果はこちら。
楽泉(左)も喜久水(右)も能代の地酒ですが、まことに残念ながら双方とも糖添でした。
これらは能代とは関係ないお酒。
潟上市の太平山(左)も大館の北鹿(右)もこれまでにいくつかいただいておりますが、初見のお酒に心惹かれてしまったので入手しました。
能代に来た一番の理由は、ここまで来れば山本さんの白瀑(しらたき)に出会うかもしれないと思ったからでした。
ですがカップ酒には全く出会わず(そもそも存在するのかどうかわかりません)、“白瀑”や“山本”の酒銘を掲げた少量瓶には出会うことがかないませんでした。
しかし、山本合名会社が世に送りだしてくださったこの“白神のめぐみ”なる特別純米酒に出会うことができましたよ。
でもこのお酒、秋田駅でも販売されていたんだよな。
東能代駅から2時間ちょっと歩いて、五能線の能代駅へとたどり着きました。
本日の酒集めはこれでおしまい。
中心市街地にあった食堂で、お食事をいただきます。
まずはビール。
この日は暑かったので、より一層おいしく感じました。
選んだのは、しょうが焼定食。
お肉がとても柔らかくてジューシー。
しかも味付けがちょうどよく、おいしくいただきました。
それになによりも私としては、付け合せのトマト(地の物だそうです)がものすごくまいうーでうれしいところでした。
ということで、ここ能代をキャンプ地といたしましたとさ。
★☆二日目(2017年7月16日(日))★☆
あーあ、雨が降っていやがんの。
でもいいんですよ。
だって、今日の目的地は、雨が降ってこその場所なのですから。
いくら雨が降ってこそでも、竜巻は来てほしくないな。
能代駅からは、6:42発の五能線東能代行124Dに乗車。
キハ40の単行でした。
先日、電気式気動車への置き換えが発表されましたね。
この東能代行は、ここ能代駅から1駅だけしか走らない、いわゆる“チョン行”でした。
能代駅から一駅だけ乗って、終点の東能代駅で下車。
東能代駅からは、6:51発の快速秋田行3620Mに乗車。
昨日に引き続き、奥羽本線を南下します。
東能代駅から50分ほど乗って、着いたのは秋田駅。
駅舎の窓から外を眺めると、雨がどしゃぶりになっていやがんの!
でもいいんです。
あたしゃ秋田駅では、外に出るつもりはいっさいございませんから。
リゾートしらかみは、大雨の影響で運休だとさ。
三連休の中日なんだからさ、多くの人が楽しみにしていただろうに、残念だね。
洪水警報まで出てやがんの!
あたしゃ秋田駅の建物から一歩も外へ出ることなく、酒集めを開始いたします。
まずは、駅の売店でこれらを入手。
こちら久々の天の戸純米酒カップ(左)は、再飲のために入手しました。
髙清水の上撰(右)もかつていただいておりますが、紙カップのものを見つけて入手しました。
秋田駅のエキナカ(改札外)“トピコ”は、朝8時に開店します。
開店と同時に乗り込んで、これらを入手いたしました。
太平山(左)は、本醸造のにごり酒でした。
まんさくの花特別純米酒カップは既出ですが、ラベルが紙から直接印刷へと変わっておりました。
秋田駅での酒集めはこれでおしまい。
so-netブロガーのやまびこ3様が、「朝8時から飲める」と紹介なさっていた“あきたくらす”へ。
朝の8時から飲めるなんて、そんな非常識なことがあり得るわけがありませんよね。
でも、やまびこ3様がまさかウソをおっしゃっているとも思い難いところです。
これはきっと、本当に朝8時から飲めるのかどうかを自分で確かめてみる必要があるということでしょう!
本当に朝の8時から飲めました。
でも、お客は私一人だけ。
ゆったりとした気分で、天の戸の“Land of Water”なる純米吟醸生酒をいただきましたよ。
フレッシュさがありますが、しつこくはありません。
軽い酸味もさわやかさを出すのにちょうどいい感じです。
また甘くないので、キリッとしています。
スイスイといけてしまう、まことにもって危険なお酒でした。
ほろ酔い気分になったところで、いよいよ本日の、いや今回の旅で最も楽しみにしている場所へと向かいます。
秋田駅からは、特急いなほ8号新潟行(9:15発)に乗車。
羽越本線を南下していきます。
目的地が近づいてまいりましたよ!
秋田駅から1時間弱乗って、着いたのは象潟(きさかた)駅。
雨は降っておりましたが、小雨でした。
象潟駅から20分ちょっと歩いて、着いたのは道の駅象潟。
まずは酒集め。
飛良泉の普通酒カップは既出ですが、再飲のために入手しました。
飛良泉を買っちゃったら、そりゃ同じく鳥海山の恵みたる天壽と由利正宗とも入手しなけりゃいけません罠(いずれも再飲のためです)。
鳥海山の山バッジも買っちゃったりなんかしちゃったりして。
【おことわり】
ここからしばらくの間は、ブログ筆者の自己満足のために記述が冗長になっております。
読者の皆様におかれましては、もしつまらないとお思いでしたら、《ここまでに引用した文献の出典》の箇所まで飛ばしてお読みいただきたく存じます。
(ここまでだって冗長じゃないか!)
道の駅象潟へ来たのは、酒集めのためだけではありません。
あたしゃここで、象潟の風景をぜひとも眺めてみたかったのです。
道の駅象潟の6階には展望スペースがあって、象潟の風景を眺めることができるのです。
晴れている日にはこの方向に鳥海山が見えるはずなのですが、この日は完全に隠れてしまっておりました。
よく見ると、田んぼの中に小高い山々が散在していることがわかります。
全体の様子は、私の安物カメラでは一枚で捉えることが出来ませんでした。
それ故、道の駅象潟に掲示してあった写真をご覧下さい。
この田んぼの中に小高い山々が散在する景色は、1804年に発生した地震で出来たと、一般的に言われているようです。
このことについて、文献では以下のように紹介されておりました。
「 象潟はかつて、東西約1.5km、南北約5kmの入り江に大小100以上の島々が点在し、松島と並ぶ景勝地、歌枕の地として知られ、松尾芭蕉を始めとする文化人も多く訪れた場所であった。文化元年(1804)の大地震によって湖底が約1.8m隆起し、潟湖跡は新田開発により水田地帯となったが、島々はその後も保全され、昭和9年(1934)には103島が天然記念物に指定され現在も特徴的な景観が保全されている地域である。」(※1)
上記によれば、この象潟一帯が地震で隆起する前は潟湖(潟湖、砂洲、砂嘴、陸繋島!(水曜どうでしょうより))すなわち海で、その海面に山々が散在していたわけです。
では、その山々は、いったいどのようにして形成されたのでしょうか?
下記文献の記述によれば、この山々を形成している土は、もともとは鳥海山のこの部分(東鳥海大爆裂火口)にあったもので、それが山体崩壊を起こして象潟まで流れてきたのだそうです。
このことについて、文献では以下のように紹介されておりました。
「 前述のように鳥海山は、火口湖鳥ノ海(鳥海湖)を中心とする西鳥海山と、その形成後に噴出した東鳥海山とに分けることができる、東鳥海山の形成はもっとも新しく、火山体の主要部分を形成後、大爆発によって山頂付近が飛散して北北西に開口する長径約3.5kmの馬蹄形の東鳥海火口を生じた。
(中略)
東鳥海火口の形成は今からほぼ2,600年前(紀元前5世紀:ブログ筆者注記)の噴火によるもので、その際多量の火山泥流(岩屑流)物質を放出し、山麓に多くの泥流丘を形成した。」(※2)
「 他方、大森山塊によって二分されて西方へ向かった泥流は、かつての谷間、すなわち現在の水岡・長岡・石名坂・狸森などを結ぶ線を通って象潟(羽越本線きさかた駅方面)へと流下した。これがいわゆる象潟泥流で、やはり旧海岸線を越えて扇状に広がり、海域時代の九十九島といわれた泥流丘を形成した。九十九島は、現在水田中に散在している。」(※3)
この記述を踏まえて、地図を見てみましょう。
“鳥海山”の文字の上側一帯がくぼんでいること(周りよりも黒いところ)がわかります。
ここが東鳥海火口でしょうか?
そのくぼんだ場所にあった土砂の一部(どうやら3方向へ流れたそうです)が下記地図のマーカーの方向へ流れて、象潟(“にかほ市”の文字辺り)の潟湖の海面上に山々を形成したわけですね。
ここまでのことを踏まえると、象潟における景観の形成過程はこういうことでしょう。
【1】象潟は、もとは平らな海(潟湖)だった。
↓
【2】紀元前5世紀に鳥海山が爆発し、流れ込んだ泥流が海面上に山々(泥流丘)を形成した。
↓
【3】1804年に地震が起きて隆起し、海面が地面となった。
↓
【4】山々を残して地面の部分だけが新田開発され、田んぼの中に山々が散在する今の景色となった。
またここ象潟は、松尾芭蕉が奥の細道で訪れた最北の地なのだそうです。
元禄2年(1689年)ということは、芭蕉は上記【2】と【3】との間、すなわち象潟がまだ潟湖で、海面上に山々が散在していたときに訪れているわけです。
その当時のものと思われる絵図が道の駅にありました。
芭蕉は船に乗って象潟を散策し、次のような句を残しています。
この句について、奥の細道では以下のようにとりあげられているそうです。
「江の縦横(じゆうわう)一里ばかり、俤(おもかげ)松島に通(かよ)ひて、また(又)異(こと)なり。松島は笑うがごと(如)く、象潟は憾(うら)むがごとし。寂しさに悲しび(み)を加え(くはえ)て、地勢魂(たましひ)を悩(なや)ますに似たり。
象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」(※4)
この文と句とを、注釈では以下のように解説しておりました。
「入江の縦横各一里ばかり、そのおもざしは松島に似通っていて、しかしまた違ったところがある。いわば松島は笑っているような明るさがあり、象潟は憂いに沈んでいるかのような感じだ。さらにいえば、寂しさの上に悲しみの感を加えて、その地のたたずまいは傷心の美女の俤(おもかげ)に似ている。」
「―象潟は雨に朦朧とうちけぶり、その中からかの美人西施の憂いに目をとざした悩ましげな俤がそぞろに浮かんでくるような感じがされたが、西施の俤と見たは、実は岸べに茂るねむの花の雨にそぼぬれた姿であった。―」(※5)
西施は「春秋時代の越の美女」で、その美しさは「越王勾践が呉に敗れて後、呉王夫差の許に献ぜられ、夫差は西施の色に溺れて国を傾けるに至った。」(※6)との伝説を持つほどだったそうです。
(道の駅象潟にあった西施像です。)
また、「西施は胸に病を患っていたと伝えられており、胸を押さえて苦しむ姿もが、か弱く美しかったという。」(※7)とのこと。
それ故、上記(※5)の注釈のように、芭蕉はねぶ(合歓)の花が雨に濡れている様子、そしてその合歓の花が咲く雨の象潟の様子を、傷心の美女たる西施の憂いやか弱さにたとえているという解釈が、きっと成り立つのでしょう。
一方で、「和歌の用例ないし辞書の説明を再調査してみると、合歓の花は早くから、眠りを掛ける表現として用いられていることがわかる。」(※8)とし、「合歓の花が「眠る」という意味を有していることは、『万葉集』だけでなく俳諧においても確認される。」(※8)とともに、かつ「近世初期に当たって、合歓の花は和歌や俳諧において、言うまでもなく、眠る花であるという見立てによって表現されている。」(※9)ということを理由(のあくまでも一部)として、“西施がねぶの花”の部分は合歓の花を西施が眠っている様子にたとえたものと解釈する説もあるそうです。
ここでブレイク。
腹が減ったので、冷たい象潟うどん(ギバサ入り)をいただきましたよ。
お腹も心も満たされたところで、象潟を散策してみることにいたしました。
道路の脇にはねむの木が生えておりましたが、ねぶの花は咲いておりませんでした。
羽越本線の踏切を渡って、松並木の奥を目指します。
ここにあるのは“蚶満寺(かんまんじ)”です。
「仁寿3年(853)に比叡山延暦寺の慈覚大師円仁が開山したと伝わる古刹。」(※10)なのだそうです。
立派な山門は、江戸時代中期の作だとか。
もしかしたら、芭蕉もここを歩いたのでしょうか?
本堂は、木々に覆われておりました。
本堂の脇には鐘楼があり、その隣にはなぜか芭蕉の木が植えられておりました。
舟つなぎの石。
ここはかつて舟着場で、象潟がまだ海だった頃には、人々がここから舟で象潟の散策に出かけたのだとか。
もしかしたら、芭蕉もここから舟で出かけたのでしょうか?
舟つなぎの石の目の前には、小さな山が一つありました。
当時の観光客にとっては、この山が最初のアトラクションだったのかもしれませんね。
蚶満寺の境内で、“閑院宮殿下御臨啓紀念櫻”と書かれた碑を見つけました。
いまはもう桜はなくなってしまったそうですが、そんなことはどうでもよいのです。
なぜならば、この碑こそが、蚶満寺と閑院宮家との関係のみならず、かつて蚶満寺が象潟の景観保全に尽力したことを示す手がかりとなると言っても過言ではないからなのです。
上記【4】の新田開発の際には、この地方を治めていた本荘藩は、山々をすべて取り崩して平らにしようとしたそうです。
しかしそれを、当時象潟の景観を保全管理していた蚶満寺が中心となって阻止したのだとか。
上記で引用した文献では、このことを以下のように紹介されておりました。
「 明和3年(1766)年には、蚶満寺を象潟保全の責任者とする通達が藩から出されている。これには(中略)生い茂った多年生の雑草や畑地などによって島の荒れ地が多くなっている状況が書かれている。(中略)つまり、「勝地」(景勝地)である象潟の荒地化を藩が危惧していることがわかる。」(※11)
「 象潟大地震によって潟湖全体が隆起して陸地となったため、文化7年(1810)以降、潟跡の北側から、藩の責任者鎌田藤ェ門、商人近江屋次郎ェ門、工事担当者工藤伝作を中心として本荘藩、汐越町人、百姓によって島を削る形で新田開発が進められた。」
「 潟跡の新田開発に対し、明和3年(1776)の通達以来象潟保全の責任を担ってきた、蚶満寺住職覚林が、藩へ象潟保全を求めた。
(中略)
さらに覚林は閑院宮家の支持を取り付け、蚶満寺を閑院宮家の御祈願所とすることで藩に景観保全を求めた。宮家が象潟保全を求めたため、藩主導の新田開発は中止され、町人請負水田として新田開発が進められた。その結果、島が点在する現在の象潟の原型が作られた。」(※12)
藩主導の新田開発を止めさせるために、宮家のご威光をうまく利用したのですね。
しかしそれも、慈覚大師が創建した名刹だったからこそなし得た、まさに大~、どんでん返し(ねるとん紅鯨団より)ですね。
最後に、境内にあった西施像と芭蕉像とを拝みつつ、蚶満寺を後にしたのでした。
来るときに渡った踏切で待っていると、EF510形514号機が引く貨物列車がやってまいりました。
JR貨物に身売りさせられても、元気そうでした。
《ここまでに引用した文献の出典》
(※1)佐々木祐介・三宅諭『象潟の景観形成過程と保全に関する研究』p.251(農村計画学会誌 25巻論文特集号 p251-256 2006.12 農村計画学会)
(※2)村山磐『鳥海山の火山噴出物と象潟の地形との関係』p.453(東北学院大学東北文化研究所紀要 10号(東北学院大学東北文化研究所創立十周年記念号)p454-449 1979.3 東北学院大学東北文化研究所)
(※3)(※2)p.452
(※4)穎原退蔵・尾形仂訳注『新版おくのほそ道』p.47(2003.3 角川ソフィア文庫16)
(※5)(※4)p.126
(※6)広辞苑 第五版(電子辞書)
(※7)松本実可『『おくのほそ道』における「美人」論』p.116(国文目白 53号(熊坂敦子名誉教授 田中功名誉教授 追悼号) p.115-122 2014.2 日本女子大学国語国文学会)
(※8)黄佳慧『「象潟や雨に西施がねぶの花」における西施像』p.4(連歌俳諧研究 122号 p.1-12 2012.3 俳文学会)
(※9)(※8)p.9
(※10)『楽楽 東北1 東北』p.113(2012.7 JTBパブリッシング)
(※11)(※1)p.252
(※12)(※1)p.253-254
あー気が済んだ気が済んだ!
奥の細道をきっかけとして、今回は雨降る象潟を堪能させていただくことができましたよ。
でも、やっぱり次は晴れた日に来たいな。
気が済んだところで、象潟駅から13:16発の羽越本線酒田行普通542Mに乗車。
どしゃぶりの中を走って行きます。
酒田駅で、14:00発の陸羽西線快速最上川号新庄行に乗り換え。
前面展望を試みましたが、大雨で何も見えやしない。
どしゃぶりを
集めてにごっちゃったぜ
最上川
快速最上川号を終点新庄駅まで乗車。
新庄駅での乗り換え時に売店を覗いて、澤正宗の純米カップ(再飲です)を入手。
新庄駅からは、山形新幹線つばさ150号に乗車。
普通列車で行きたいところでしたが、次の発車時刻まで一時間以上もあったことから、しかたがなく新幹線(と言っても実は在来線の特急)に乗車しました。
新庄駅から1時間ちょっと乗って、着いたのは山形駅。
これは前から気になっていた看板なのですが、“養蛇所”っていったいどんなところなのでしょうね。
愛玩用(ペット)か、それとも食用(あるいは薬用?)なのでしょうか?
山形へ着たら、決してはずせないのが居酒屋伝七さん。
楽しみにしていた岩がきがあるみたいです。
これはじゅんさいともずくの酢の物。
さわやかでした。
このちょっとピリ辛の和え物には、“コリンキー”なる、生食用のかぼちゃを使ってあるのだとか。
黄色いやつがそれです。
歯ごたえがとてもよくて、クセのないおいしいかぼちゃでした。
うどと、細い竹(名前を忘れてしまいました)の煮物。
こういう山の恵みを使った煮物がうれしいワタクシでございます。
そして山菜の女王と称される“しおで”。
これらと合わせたのが、羽前桜川の辛口。
糖類酸味料フル添加なのに、なぜかおいしいふしぎなお酒。
今日はひや(常温)でいただきます。
特大サイズの茄子田楽。
味噌に干しエビとくるみとが入っているところがニクイね。
これはついつい酒がすすみ過ぎてしまう危険な一品でしたよ。
ここで岩ガキが出てきたのですが、写真を撮ることを忘れて食べてしまいましたよ。
岩ガキは磯臭さや生臭さゼロで、とてもおいしくいただくことができました。
あたしゃ海のもの、特に磯臭いものが苦手なのですが、この岩ガキはそんな私を虜にしてしまいました。
二杯目は、山川光男の2017なつ。
山形正宗、楯の川、東光、(羽陽)男山の四蔵が共同で醸造したお酒です。
名前の山川光男は、上記四蔵から一文字ずつ取ったのだとか。
共同醸造といっても、四蔵で一緒に造っているわけではないようです。
この山川光男は東光製ですが、どうやら造りの過程に他の蔵も何らかの形で関与しているみたいです。
このことは、「2月に販売した「山川光男2017ふゆ」は、東光さんと男山さんでつくった麹を山形正宗に持ってきて醸造する方法を採りました。」という記述からも推測できると思います。
(月刊山形ゼロ・ニィ・サン 2017年3月号(通巻203号) p.48 2017.2 株式会社アサヒマーケティング)
この山川光男はフルーティーで、酸味が効いておりました。
また度数が13度とやや低めなので、口当たりよくいただくことができました。
ただね、オイラにはちょっと物足りないかな。
お料理はまだまだ出てまいります。
これは鰆のホイル焼。
チーズケーキの上に自家製さくらんぼジャムを乗せたデザート。
出てきたときから香り高い一品でした。
三杯目は、満を持しての東北泉。
今日は美山錦で造られた純米吟醸酒でした。
美山錦らしいさっぱりさとキレのよさとがあるものの、東北泉らしいうまみをしっかりと感じ取ることができましたよ。
最後のお料理は、山形牛と山菜の汁。
アカミズがしゃきしゃきでまいうー!
でもね、ここまで出てきたお料理の量が多くてお腹いっぱいになってしまい、残念ながら全部食べきることができませんでした。
伝七さん、毎度のことながら堪能させていただきました。
ということで、ここ山形を二日目のキャンプ地とさせていただきました。
★☆三日目(2017年7月17日(月祝))★☆
三日目の朝。
すっかり晴れておりました。
山形駅から、6:30発の奥羽本線福島行普通420Mに乗車。
赤湯駅で、7:44発山形鉄道フラワー長井線203Dに乗り換え。
山形鉄道は三連休東日本・函館パスでは乗車できませんので、切符を買いましたよ。
赤湯駅から5駅乗って、
今泉駅で、米坂線羽前椿行1127Dに乗り換え。
今泉駅から2駅目の終点、羽前椿駅で下車。
ここから目的地を目指します。
置賜白川なる川がありましたが、白川どころか濁っておりました。
きっと、昨日降った雨のせいでしょう。
道端にて、ワラビらしきシダ植物を発見。
先っぽがくるくると丸まっているやつって、ワラビですよね?
羽前椿駅から20分ほど歩いて、やってきたのは道の駅いいで。
入口では、米沢牛の像がお出迎え。
そりゃ多くの人は牛肉が好きだろうけれど、食べられてしまう側の牛は果たして本当に人間が好きなのかな?
開店の時刻(9時)まで少し時間があったことから、さくらんぼソフトクリームをいただきながら待つことにいたしましたよ。
甘酸っぱくておいしいソフトクリームでした。
道の駅いいででは、これらをGET!
樽平の純米大吟醸(左)と、羽前桜川の激辛普通酒(右)。
いずれも初見のお酒でした。
羽前桜川は170円なのに、樽平は620円もしやがんの。
たぶん今までにいただいたカップ酒の中で最高値でしょう。
目的を果たしたところで、羽前椿駅へ戻りました。
しかし、なぜか不思議なことに、晴れているのに雨が降ってきやがんの。
最後の最後までいやがらせかよ!
羽前椿駅からは、10:51発の快速べにばな号米沢行(米坂線内は各駅停車)に乗車。
座席が空いていなかったことから、しかたがなく前面かぶりつきで過ごすことにいたしましたよ。
羽前椿駅から40分ほど乗って、終点の米沢駅で下車。
米沢駅の売店で、東光の精撰本醸造をGET!
東光は、かつては精撰は普通酒(糖類添加なし、酸味料添加あり)で、上撰が本醸造でした。
しかし、米沢駅の近くにあったスーパーの酒コーナーを覗いてみたところ、どうやら精撰は本醸造に、そして上撰は純米酒へと変わったみたいでした。
今回の旅での酒集めはこれですべておしまい。
米沢へ来たからには、最後の〆はやっぱりこれでしょう。
まずはビール。
冷え冷えでまいうー!
そしていただいたのは、米沢牛丼。
ファーストフードの牛丼と比べて、約3~4杯分のお値段です。
お肉がものすごくやわらかくて味わい深く、とてもおいしい牛丼でした。
ですがね、この牛丼、あたしゃあまりおすすめできませんよ。
だって、これを食べたらね、ほかの牛丼を食べることができなくなってしまいそうですから。
まるで磯田園のお茶みたいな牛丼でした。
(公式動画のようですから、ここで紹介しても問題ないでしょう。)
お腹も心も満たされたところで、米沢駅から山形新幹線に乗って帰ったとさ。
以上、カップ酒16個(再度購入5個)、一合瓶2本、300ml瓶4本の旅でした。
美味しい酒に美味しい地のもの、取り尽くさないからこそ
何度も素敵な旅を楽しめるんですねぇ=(^.^)=
by ニッキー (2017-07-18 21:45)
函館往復旅、日本酒にはいいコースですね(^▽^;)
北のほうは暑かったでしょう。
by green_blue_sky (2017-07-18 21:45)
これだけの盛りだくさんの旅行を1回の記事に
まとめてしまうところがすごいですね。
一気に読ませて頂きました。しかし、すごい雨でしたね。
by takechan (2017-07-18 22:13)
年に何回かの酒集め!
良いねえ〜〜〜♪
キンキンに冷えたビールに米沢牛の牛丼!!
最高や!!^^
by hatumi30331 (2017-07-18 23:44)
あちこちで地のものを堪能して・・・
最後の〆は、米沢の「牛」ですか~(>_<)
腹減った・・・
昼、なんか美味いもの食べに行くゼ( ̄^ ̄)ゞ
by やなぼー (2017-07-19 05:49)
おはようございます。一気に読ませていただきました。
「あきたくらす」行かれたのですね!さわやかそうな“Land of Water”ですね。
象潟の地形は羽越本線からも小島のような松島が観察できますが、あの景色を守るために頑張った人がいたのですね。
by やまびこ3 (2017-07-19 07:41)
酒集めの旅、いつも楽しそうですね。
私も、こういう旅がしたいです。
by toshi (2017-07-19 17:39)
北東北の酒集め旅、お疲れさまでした。
今回は酒集めだけでなく、
芭蕉ゆかりの象潟を訪れて、
その歴史を肌で感じられてきたのですね。
芭蕉が訪れたころの象潟は海で、
そして松島にも劣らぬ絶景だった・・・とは
歴史のロマンを感じます。
「どしゃぶりを
集めてにごっちゃったぜ
最上川」
う〜ん、名句!(迷句?)
by あおたけ (2017-07-19 19:32)
日本海側の東北を攻めましたね。山本のカップ酒や小瓶だと数年前に「ど」と言う純米濁り酒の300mlのを買って呑んだ事が有りますが、季節限定で今も有るのかなあ?。
by エクスプロイダー (2017-07-19 20:33)
ニッキーさん、採り尽くさないことこそ肝要なのです。
古いお酒を無理に買うことなく、次の楽しみにとっておいたほうが、また来る口実ができるわけなのです。
by skekhtehuacso (2017-07-19 21:47)
green_blue_skyさん、函館どころか津軽海峡を渡ることさえしてはおりませんが、青森や秋田、山形は暑かったです。
by skekhtehuacso (2017-07-19 21:49)
takechanさん、あたしゃ旅の流れを重視したいことから、いつもカットせずに一気に書かせていただいております。
雨はねぇ、降ることは予想してはおりましたが、ここまでひどい降り方はやめてもらいたいものです。
by skekhtehuacso (2017-07-19 21:51)
hatumi30331さん、米沢牛は、ステーキやすき焼きだと私には手を出せないくらいのお値段になってしまいますが、牛丼ですと頑張ればなんとかなるのです。
それでも十分においしくて、満足させてもらいましたよ。
by skekhtehuacso (2017-07-19 21:53)
やなぼーさん、米沢牛丼は実は初めてではなくて、かつていただいておいしかったことから、再訪させていただきました。
このお店は、米沢駅の駅弁「牛肉どまんなか」を作っている新杵屋さんの直営店で、米沢牛をお手軽に提供してくださるのです。
by skekhtehuacso (2017-07-19 21:55)
やまびこ3さんのお導きのおかげをもちまして、無事、朝の8時からあきたくらすで飲むことができましたよ。
蚶満寺が象潟の景観保全に尽力したことを知ったのは、今回象潟を訪問するにあたって象潟のことをいろいろと調べてみた結果でした。
前提知識なく未知の場所へ出かけることも面白いかもしれませんが、あらかじめ予習をして出かけて、現地でその予習の成果を確認する旅もまた一興かと思います。
by skekhtehuacso (2017-07-19 22:00)
toshiさん、いろいろおありかと思いますが、お元気そうでなによりです。
ですが私のようなこんな変な旅は、あまりおすすめできませんぜ!
あたしゃむしろ、湯治や外国の寺院訪問の旅のほうが、はるかに健全だと思いますよ。
by skekhtehuacso (2017-07-19 22:04)
あおたけさん、象潟へは一度行って見たかったので、あらかじめ予習を十分にしてから出かけました。
その甲斐あって、記事は冗長になりましたが、私としてはとても充実した旅となりました。
最上川の句は、自分で読み返してみても、つくづくひどいものだと思いますわ。
by skekhtehuacso (2017-07-19 22:11)
エクスプロイダーさん、能代では“白瀑”や“山本”のみならず、ど白ど黒ど辛のいずれにも出会うことがかないませんでした。
もう少し北の、蔵元さんの周辺地域まで行く必要があるのかもしれませんが、もしかしたら秋田市内なんかでひょっこりと出会うこともあるかもしれません。
今後の課題とさせていただきます。
by skekhtehuacso (2017-07-19 22:15)
象潟、秋田出張のときに近くまでは行ったのですが、象潟を眺めずに戻ってしまいました
蚶満寺が守ろうとした象潟の景観、見ておけばよかったな
by さる1号 (2017-07-20 03:58)
さる1号さん、私は象潟のことを知ってから、ぜひとも象潟へ行って自分の目で見てみたいとずっと思っておりました。
今回訪問するに当たっていろいろと調べましたが、調べた上で訪問したことでとても楽しく過ごすことができました。
その思いをこの記事に込めたつもりでしたが、さる1号さんに「見ておけばよかった」とおっしゃっていただいたことで、私の思いが伝わったかなとちょっとうれしくなりました。
by skekhtehuacso (2017-07-20 22:12)
15.16日は所用があり酒田に出かけていました。
居酒屋で呑んだ山法師という純米吟醸が美味かったです~!!
by 川鮎くん (2017-07-21 08:33)
雪中貯蔵お買い上げありがとうございます♪
by caveruna (2017-07-21 17:59)
川鮎くん様、山法師ってお酒は知りませんでした。
どうやら六歌仙のお酒みたいですね。
いつか私も出会うことを楽しみにしております。
というか、これでまた山形へ行く口実ができたというものです。
by skekhtehuacso (2017-07-21 22:23)
caverunaさん、今回は大館では立ち寄りませんでしたが、特急つがるの車窓から樹海ドームを眺めました。
雪中貯蔵はかつてはカップ酒もあったようで、それを探していたものの出会うことがかなわなかったのです。
それ故、今回300ml瓶を見つけてぜひとも入手したいと思った次第でした。
by skekhtehuacso (2017-07-21 22:26)