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【お酒】414.両関 朱紋 盃両関 カップ [05.秋田県の酒]

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両関酒造株式会社
秋田県湯沢市前森四丁目3番18号

アルコール分15度以上16度未満
原材料名 米(国産)・米麹(国産米)・糖類・酸味料
2000ml詰
(以上、ラベルより転記)



今日いただくこのお酒は、秋田県湯沢市に拠点を置く蔵元さんのお酒です。

両関は、比較的有名な銘柄です。
東京では、両関を置いている居酒屋さんも多いようです。


“秋田の酒造業は江戸時代に行われた鉱山開発とともに発展したが、当時はまだ地産地消のレベルにとどまっていた”ということは、かつて福小町をいただいた際に、その記事の最後で触れました。
このことは、当然ながら湯沢においても当てはまります。
それどころか、どうやら湯沢は、院内銀山の開発によって発展した町だったようです。

また、上記のリンク先では、両関酒造さんが秋田県における酒造技術の改良に貢献したことについても触れました。

これらのことについてやや詳しく書いてある文献を見つけました。
この記事の末尾で紹介しておきますので、ご参照ください。


残念ながら、このお酒は糖類・酸味料添加の三増酒です。
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両関酒造さんのカップ酒は、かつては本醸造を詰めたものも存在しました。
それは、このカップ酒と同じデザインで、ピンク色のものでした。
しかし、ある酒屋さんで聞いたところ、どうやらその銘柄は廃止になってしまったようです。

これは私の感想ですが、むしろ廃止すべきはこっちの三増酒のほうではないでしょうか。
それとも秋田では、本醸造の味よりも、糖類・酸味料を添加した三増酒の味のほうがより好まれているのでしょうか。
お酒の嗜好には地域差があるでしょうし、秋田のお酒にはけっこう三増酒が残っていますので、そうであっても仕方がないでしょうね。


三増酒ではありますが、かつて秋田県における酒造技術の改良に貢献した両関酒造さんが造ったお酒ですから、きっとおいしいお酒に改良されていることでしょう。
そうであることを期待しつつ、今日もぬる燗でいただきます。


一口いただくと、最初に甘みを感じました。
けっこう甘めです。
これは残存糖類によるものでしょうか。

酸味はややはっきりしています。
スッキリさわやかな酸味です。
ほんの少しすっぱさも感じます。
しかし、刺激やピリピリ感はありません。

うまみはやや淡めですが、しっかりしています。
酒臭さは感じませんが、かといってやわらかいわけではありません。
これは、添加されている酸味料の味でしょうか。


甘みと酸味との調和のよい、やや淡麗で甘口のお酒でした。
味に角やクセがないので飲みやすいと思います。
これが糖添醸造の効果なのでしょうか。
糖類・酸味料添加のお酒の中では、おいしいほうだと思います。
そう感じるのは、糖添でもおいしいお酒を造るという、蔵元さんの技術改良の成果でしょうか。
それとも、私の舌がまだまだ経験不足であることが原因なのでしょうか。




☆★秋田県湯沢市の発展と、両関による酒造技術の改良☆★


(1)秋田県湯沢市の発展:院内銀山とともに

湯沢の発展には、院内銀山の開発が大きく影響していたようです。
文献では、このことを以下のように記述していました。

1606年(慶長11)以降の院内銀山の開発・隆盛は、湯沢を院内の物質供給地、さらに商業中心地に成長させる。しかもその政治・経済的統合力は雄勝一円におよんだ。1714年(正徳4)の湯沢は、久保田・湊・横手・大館・十二所・能代についで、秋田7番目の町として誕生している。」(※1)

ただし、江戸時代における湯沢の酒造業は、あくまでも鉱山労務者や周辺都市を販売対象とするものであって、決して江戸や上方への販売を狙っていたわけではありませんでした。
このことは、文献にも「湯沢の酒造業は、小作米を原料とする地主兼営の手工的酒造が主で、販路も新庄・矢島藩領や院内銀山のほか松岡・吉乃・田子内の銀山・銅山など、地方的市場に限られていた。」と書かれています。(※2)。

これらは、この記事の冒頭で紹介したリンク先で引用している記述の内容と合致しますね。


(2)両関による酒造技術の改良

両関酒造さんが秋田県における酒造技術の改良に貢献したことについては、この記事の冒頭で紹介したリンク先で文献を引用して紹介しました。

しかし、その取り組みは、決して簡単なことではなかったようです。
そのことを書いた文献から、技術改良に関する記述と、その普及に関する記述とをご紹介したいと思います。

「両関」の伊藤忠吉も、灘の醸造技術を学んで帰ったが、灘の暖地醸造法は湯沢の醸造には適せず、六尺一本(約5,400L入り桶)を腐らせ失敗した。この量は小規模の酒屋では破産にいたるほどの量であった。しかしその後の原因追究の結果は、気候温和な暖地硬質米を使用する灘酒と寒地の軟質米を用いる湯沢酒の間に気温制約のあることをつきとめた。ここに「寒地醸造法」の発見をみるのである。これなどは酒造業が風土産業として、ローカルな環境を基盤に成立していることをしめしている。

さらに両関は、1907年国税庁滝野川醸造試験場主催第1回酒造講習会に参加し、研鑽の末、新手法による醸造を開発した。両関の酒造技術変革への試みは、日本醸造協会主催第1回全国清酒品評会での一等賞、1909年第2回品評会での2位、1913年第4回同品評会での優等賞の獲得に示された。この結果両関には県内は勿論、県外からも多数の同業者が視察・技術伝習にくるようになり、酒造技術講翌(原文ママ)を受けた者は200人を越すといわれる。

湯沢は両関の酒造技術の公開により、また優良な酒造米の移出地として、東北における酒造業の先進地として名声を高めるようになった。」(以上、(※3))


(※1)山中進『秋田県湯沢市における酒造業・製材木工業の地域的展開(明治期~昭和初期)』p.147(東北地理31巻3号 1979.7 東北地理学会)
(※2)(※1)p.148
(※3)(※1)p.149
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酒くさコメント 2

あとりえSAKANA

お酒?って思うくらいすっきりした
ラベルですね!
味にピッタリ?
by あとりえSAKANA (2014-12-10 21:40) 

skekhtehuacso

あとりえSAKANAさん、さすがデザイナーですね。
目の付け処がただの酔っ払いである私とはちがいますね。

カップのデザインのとおり、たしかにクセがなくて飲みやすいお酒でした。
でも、できることならば、糖添ではないものをいただきたかった…。
by skekhtehuacso (2014-12-11 22:10) 

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