【お酒】843.富士正 カップ [22.静岡県の酒]
富士正酒造合資会社
静岡県富士宮市根原450-1
原材料名 米・米麹・醸造アルコール
国産米100%使用
アルコール分15.0度以上16.0度未満
180ml
(以上、ラベルより転記)
手元の文献を開いてみたところ、富士正酒造さんについて以下のように紹介されておりました。
「一八八六年(慶応二年)創業。この蔵で特筆すべきは、一九七〇年頃に、天然醸造という名で純米酒を世に出したということであろう。当時は三増酒全盛の時代であった。三増酒とは、アルコールを多く添加し糖類なども添加して、同じ量の原料米で純米酒の約三倍の量の酒が出来ることからいう(正しくは三倍増醸酒)。こくも味わいもなく、べたついて後味も良くないのが三増酒の特徴であるが、そうしたまがいものの酒に飽き足りなくて、難しい条件下で純米酒に挑戦したのである。しかし、良い物を造ったからといって、いきなり売り出せるとは限らない。良いものが圧力をかけられることさえある。(以下略)」(※1)
私はこれを読んで、この当時に純米酒製造に対してかけられていた圧力について紹介している記述をかつて読んだことを思いだしました。
これを全て引用すると冗長ですし、それに固有名詞を含むことから問題が生じかねないと思いますので、要点と思われる部分だけを抽出して引用します。
「(これより前は略)一九七二(昭和四十七)年、政府奨励米割り当ての関係でそれまで仕込みの三五パーセントは三増酒でなければならない、と決められていた規制がなくなった(以下略)」(※2)
「「三増酒をやめた時、税務署に税収が減るじゃないかとさんざんしぼられたのですが、これが後々まで尾を引きました。一番きつかったのは純米酒の生産量が半分くらいに増えた昭和五十年代で、うちは酒を寝かせて熟成させる必要があることを全く理解してもらえなかった」」(※3)
文章で表現することは簡単かもしれませんが、三増酒全盛のこの時期に蔵元さんが受けた純米酒製造に対する制度的・行政的な圧力は、きっと相当ひどいものだったことでしょう。
そんな中でいち早く純米酒製造に踏み切った富士正酒造さんのご苦労は、並大抵のものではなかったと思います。
今日は、そんないち早く純米酒製造を再開なさった蔵元さんの普通酒をいただきます。
(ここまで引っぱっておいて、純米酒じゃないのかよ!)
普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。
お酒の色は、きれいな金色でした。
うまみはやや淡めですが、けっこうしっかりしています。
醸し出された酒臭い(←ほめ言葉です)うまみに、苦みと香ばしさとがはっきりしています。
キレはよいみたいで、透明感すら感じます。
酸味はややひかえめです。
さわやかさを少し感じる程度です。
刺激やピリピリ感はありません。
甘みはややひかえめです。
わずかに感じる程度です。
やや淡麗で香ばしいお酒でした。
苦みと香ばしさとがちょっと目立つようですが、それでもキレがよくて後味はすっきりしています。
そういえば、同じ富士宮市で造られた高砂も、苦みがはっきりしていました。
どのような食べ物と合うように造られているのか、気になるところです。
(※1)高橋清隆『新・静岡県の地酒 名酒蔵めぐり』p.59-60(1996.7 静岡新聞社)
(※2)上野敏彦『闘う純米酒 神亀ひこ孫物語』p.30(2006.12 平凡社)
(※3)(※2)p.35
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