≪ドキュメンタリー≫普通じゃないへんな人 [雑感]
「外で食事をしよう。」
という両親や妹からの提案を、私は断った。
理由は、出かけたときに、旧知の人に出くわすのが嫌だったから。
「今なにしてるの?」
その一言をかけられることに、恐怖を感じていたから。
私は、子どもの頃は優等生ではないものの、いわゆる“よい子”だった。
それは幼稚園の頃ぐらいに“大人に褒められる方法”を身に着けていたから。
しかし、大学を出て社会に出るや否や、上命下達でやりたくないことでもしなければいけない社会になじめず、仕事を辞めてしまった。
同僚が普通にできることが自分にはできないから、どこで働いてもうまくいかない。
自分独りで一旗揚げようと模索したこともあったけれど、それもうまくいかなかった。
今ではもう、人生の何もかもを諦めている。
「自分一人生きていけさえすれば、それでいい」
と自分に言い聞かせて、とある個人事業主の下で雑用係をしながら時間と魂とを切り売りして、なんとか生活している。
それ故に、旧知の人に出くわして「今、なにしてるの?」と聞かれることがとても怖いのです。
外食の誘いを私が断ると、両親や妹は私を批判した。
「外で食事するくらい、いいじゃない」
「外食は普通はうれしいはずなのに」
「へんな人」
「普通は」「へんな人」という言葉は、私の心の中に怒りのエネルギーを噴出させた。
いったいどうして、私は“普通じゃないへんな人”になってしまったのか?
私は、両親から愛されたことがいっさいなかった。
子どものころから自分の存在自体を認めてもらったことはなかったし、両親から抱きしめられたことすらなかった。
覚えているのは、怒鳴られたことや、叩かれたことだけ。
小さかった頃、自分から母に抱き着いてみたものの、「暑苦しい」と言われて突き放されたこともあったっけ。
両親に認められたのは、学校の成績がよかったときや、世間体のよいことをしたときだけ。
それ故、働くようになって仕事ができないと評価されることで、職場からだけでなく、家族や世の中全体からも自分の存在自体を否定されていると思ってしまう。
そのせいで、まともに働けない人間の標本みたいな存在になってしまったのだ。
まともじゃないのは、働くことだけではない。
誰かとかかわりを持つと、自分がどう評価されているか気になって仕方がない。
子どもの頃から人嫌いだったが、大人になってからは人を信じることがまったくできず、気が置けない友達や恋人を持つことすらもできなくなってしまった。
だからこそ、私は“普通じゃないへんな人”になってしまったのだ。
つまり、自分を“普通じゃないへんな人”にしたのは、ほかならぬ私の両親なのだ。
私の両親が、子どもだった私の心をズタズタに切り裂いたからこそ、大人になった私は“普通じゃないへんな人”になってしまったのだ。
そう思うと、私は怒りのエネルギーを心の中に抑え込むことができなくなってしまった。
そして両親に対して、怒鳴ってしまったのだった。
「いったい誰のせいだと思っているんだ?」
「オレを“普通じゃないへんな人”にしたのは、お前らだろ!」
「オレは・・・・、」
「オレは・・・・、」
「・・・・。」
そんな自分の怒鳴り声を聞いて、今朝は目が覚めた。
夢の中の出来事に対して、私はじっさいに怒鳴り声を張り上げていたのだ。
目覚まし時計が鳴る時刻の、わずか2分前の出来事だった。
こういうこと、たまにあるのよね。
思い出したくもないことや忘れたいことが、夢の中であたかも現実の真っ最中であるかの如く再現されること。
しかも目が覚めるまではそれが夢だとは全く気が付かないこと。
これだから、今日は一日中ずっと憂鬱だった。
でもね、
帰宅して、黒猫のダンナに遊んでもらったり、
具だくさんみそ汁の具や粗末な料理をつまみながら芋焼酎のお湯割りをあおったりしていたら、
ようやく心が落ち着きました。
そして今日の憂鬱な出来事をネタにして、
“笑い話”としてこうして紹介できるまでに回復いたしましたとさ。
ああ、
でもやっぱり、
オイラは、“普通じゃないへんな人”なんだよな。
まあいいか。
誰にも迷惑をかけずに生きて行きさえすれば、問題ないか。
という両親や妹からの提案を、私は断った。
理由は、出かけたときに、旧知の人に出くわすのが嫌だったから。
「今なにしてるの?」
その一言をかけられることに、恐怖を感じていたから。
私は、子どもの頃は優等生ではないものの、いわゆる“よい子”だった。
それは幼稚園の頃ぐらいに“大人に褒められる方法”を身に着けていたから。
しかし、大学を出て社会に出るや否や、上命下達でやりたくないことでもしなければいけない社会になじめず、仕事を辞めてしまった。
同僚が普通にできることが自分にはできないから、どこで働いてもうまくいかない。
自分独りで一旗揚げようと模索したこともあったけれど、それもうまくいかなかった。
今ではもう、人生の何もかもを諦めている。
「自分一人生きていけさえすれば、それでいい」
と自分に言い聞かせて、とある個人事業主の下で雑用係をしながら時間と魂とを切り売りして、なんとか生活している。
それ故に、旧知の人に出くわして「今、なにしてるの?」と聞かれることがとても怖いのです。
外食の誘いを私が断ると、両親や妹は私を批判した。
「外で食事するくらい、いいじゃない」
「外食は普通はうれしいはずなのに」
「へんな人」
「普通は」「へんな人」という言葉は、私の心の中に怒りのエネルギーを噴出させた。
いったいどうして、私は“普通じゃないへんな人”になってしまったのか?
私は、両親から愛されたことがいっさいなかった。
子どものころから自分の存在自体を認めてもらったことはなかったし、両親から抱きしめられたことすらなかった。
覚えているのは、怒鳴られたことや、叩かれたことだけ。
小さかった頃、自分から母に抱き着いてみたものの、「暑苦しい」と言われて突き放されたこともあったっけ。
両親に認められたのは、学校の成績がよかったときや、世間体のよいことをしたときだけ。
それ故、働くようになって仕事ができないと評価されることで、職場からだけでなく、家族や世の中全体からも自分の存在自体を否定されていると思ってしまう。
そのせいで、まともに働けない人間の標本みたいな存在になってしまったのだ。
まともじゃないのは、働くことだけではない。
誰かとかかわりを持つと、自分がどう評価されているか気になって仕方がない。
子どもの頃から人嫌いだったが、大人になってからは人を信じることがまったくできず、気が置けない友達や恋人を持つことすらもできなくなってしまった。
だからこそ、私は“普通じゃないへんな人”になってしまったのだ。
つまり、自分を“普通じゃないへんな人”にしたのは、ほかならぬ私の両親なのだ。
私の両親が、子どもだった私の心をズタズタに切り裂いたからこそ、大人になった私は“普通じゃないへんな人”になってしまったのだ。
そう思うと、私は怒りのエネルギーを心の中に抑え込むことができなくなってしまった。
そして両親に対して、怒鳴ってしまったのだった。
「いったい誰のせいだと思っているんだ?」
「オレを“普通じゃないへんな人”にしたのは、お前らだろ!」
「オレは・・・・、」
「オレは・・・・、」
「・・・・。」
そんな自分の怒鳴り声を聞いて、今朝は目が覚めた。
夢の中の出来事に対して、私はじっさいに怒鳴り声を張り上げていたのだ。
目覚まし時計が鳴る時刻の、わずか2分前の出来事だった。
こういうこと、たまにあるのよね。
思い出したくもないことや忘れたいことが、夢の中であたかも現実の真っ最中であるかの如く再現されること。
しかも目が覚めるまではそれが夢だとは全く気が付かないこと。
これだから、今日は一日中ずっと憂鬱だった。
でもね、
帰宅して、黒猫のダンナに遊んでもらったり、
具だくさんみそ汁の具や粗末な料理をつまみながら芋焼酎のお湯割りをあおったりしていたら、
ようやく心が落ち着きました。
そして今日の憂鬱な出来事をネタにして、
“笑い話”としてこうして紹介できるまでに回復いたしましたとさ。
ああ、
でもやっぱり、
オイラは、“普通じゃないへんな人”なんだよな。
まあいいか。
誰にも迷惑をかけずに生きて行きさえすれば、問題ないか。