【お酒】2256.特撰 江戸一 純米 300ml [28.兵庫県の酒]
製造者 櫻正宗株式会社
神戸市東灘区魚崎南町五丁目十番一号
清酒
300ml
アルコール分15度以上16度未満
原材料名 米(国産)、米こうじ(国産米)
精米歩合 70%
(以上、ラベルより転記)
昨日、合羽橋道具街から浅草へかけて酒気帯びで徘徊していた際、“まるごとにっぽん”で見つけて入手したのが、このお酒。
造っているのは、名水“宮水”の発見蔵と言われる櫻正宗さん。
また「正宗」の元祖であって、それは6代目山邑太左衛門さんが命名したのだとか。
「太左衛門も、「薪水しんすい」酒銘を使っていたが、ある日、京都の寺参りの際、経文に見た「臨済正宗」の文字が、太左衛門の心を強く捕えた。「正宗を音読すれば清酒せいしゅ」。しかも名刀正宗のごとく切れ味のよいイメージがわく。これをわが酒の銘としよう」。絶妙のネーミングだった。後に正宗を酒銘とする蔵元が増えたため、山邑家のは、頭に日本の名花・桜を付け、「桜正宗」が生まれる。これが、正宗の元祖とされる。」(※1)
上記文献では、“櫻正宗”と頭に“櫻”の文字を付けた理由を「後に正宗を酒銘とする蔵元が増えたため、」(※1)としております。
しかし別の文献には、
明治になってから山邑家が“正宗”を商標登録しようとしたものの認めてもらえず、しかたなく“櫻正宗”と名乗った
旨が記載されておりました。
「 『正宗』、『男山』商標については競合する出願が多数あったはずである。『正宗』に関しては、その「農商務省の調査」が行われたことを示す資料が高橋是清の次の発言として残っている。「酒の正宗も・・・出願して来たが、・・・方々の酒屋に就いて実際に調べて見ると、何処の小売屋にも正宗と云う酒がある。それは『正宗』なる酒を醸造元より仕入れて其の正物を商うている居るかと云ふとそうではなくて、其の酒屋で最上等の酒を『正宗』と稱して賣って居るのである。即ち正宗とは商標の性質は失われて最上等酒と云う意味のものになったのであるから、『正宗』は登銀(原文ママ)(登録の誤記か?:ブログ筆者追記)ができなかった」と。(64)これがのちに、『正宗』が清酒(日本酒)の慣用商標になった背景である。なぜ「最上等酒」が「清酒」に変わっていったのか、その理由はわからない。
(中略)
おそらく、現代で言うところの「純米大吟醸」などに相当する位置づけで『正宗』が使われていたといいたいのであろう(65)。『正宗+酒銘』というわけである。
(中略)
登録拒絶に対し、『正宗』側は、本来の商標保有者とされる山邑家が『正宗』商標に関する諸事情(偽ブランド酒流通、対策根拠法の欠缺など)を当時の農商務卿・西郷従道に上申し、その意はいったん諒解された(69)。しかし、最終的には断念せざるを得なくなり、「櫻」の文字を附加することで『櫻正宗』として商標を登録する(70)。他の『正宗』出願人も同様の対策を取り、現在に至っている。」(※2)
(64)帝国発明協会特許法施行五十年記念会編、「高橋是清翁記念講演会」.『特許法施行五十年紀年会報告』.帝国発明協会特許法施行五十年記念会、p.95(1936)
(65)「純米大吟醸」は基本的に「最上級」の酒ではあるが、日本酒は酒米の酒類や洗米度により価格や評価が異なる。
(69)「本来の商標保有者」としたのは諸史料から、山邑家と『正宗』商標とのつながりが最も強いと判断したことによる。
(70)特許庁編.『工業所有権制度百年史(上巻)』。発明協会.pp.132~133(1984.)は、山邑酒造株式會社編『櫻正宗誌』、山邑酒造株式會社、p.3,p.7(1934)にこの旨の記述ありとする。同社(現・櫻正宗株式会社)に事実確認を試みたが返答がなかった。したがって、この内容がほんとうに史料原本に書かれているかは確認できていない。
要するに、
“正宗=上等な酒”というイメージが定着したせいで、商標の保護がなかった江戸時代には他の蔵があやかって正宗印を用いたことで正宗の銘が乱立していたので、明治になっても山邑家の商標として認められなかったわけですね。
今日いただくこのお酒は“江戸一”という銘ですが、正宗の元祖たる山邑家(櫻正宗さん)のお酒こそが江戸で一番の評判を得たという意味であることは、上記の記述からも想定できますね。
そんな江戸一には、“特撰”の小印が付されておりました。
精米歩合70%の純米酒でした。
それではいただきましょう。
まずはひや(常温)でいただきます。
お酒の色は、無色透明でした。
上立ち香はなし。
含むとフレッシュな香りをかすかに感じます。
うまみはやや淡めですが、やや淡めなりにしっかりしています。
米のうまみに厚みはないものの、口の中でパッと広がって舌を包むように広がる感じがいたします。
熟成感はなく、酒臭さもなし。重さやクセもなし。
でも軽い苦みを少しだけ感じます。
キレはとてもよく、スッと引きます。
酸味はややひかえめでしょう。
すっぱさは弱め。
でも、おそらく乳酸に由来すると思われる酸味の深みを少し感じることができます。
スースーなし、ピリも感じません。
甘みはややひかえめでしょう。
存在はわかるものの、弱めです。
江戸一はひや(常温)だと、やや淡麗でちょい苦ちょい深スッキリ旨やや辛口のおいしいお酒でした。
やや淡めではあったものの、米のうまみしっかりでした。
それに酸味の深みも少しあって、飲み応えがありました。
ちょい苦でしたが、それもいい感じに味を引き締めておりました。
甘みは弱めでしたが、お酒の味を和らげるにはちょうど良い感じでした。
しかも重さやクセがまったくない。
それでいてキレがよく、口の中でパッと広がったあと、すぐにスッと引いてくれました。
これはかなりうまいね。
重さやクセがなく、かつキレがよいのは櫻正宗さんらしさでしょう。
それなのにけっして薄っぺらくはなく、うまみも深みも感じることができました。
まちがいなくこれは“江戸一”でしょう!
次に、燗にしてみました。
うわ!
うまみに厚みが少し出ましたよ。
それに深みも増してどっしりしてまいりました。
またちょいスーが出てまいりました。
一方で苦みが引いて、きれいな味わいに。
甘みも引いて、けっこう辛口に、それぞれなりました。
燗だと、やや淡麗でちょいスー深スッキリ旨辛口のおいしいお酒になりました。
燗のほうがちょいスーかつ辛口で、キリッと引き締まっておりましたよ。
でも苦みが引いて、雑味がまったくないきれいな味わいになりました。
それなのにうまみは厚みが少し出てやや淡めなりにしっかりで、かつ酸味の深みがはっきりして、こちらも飲み応えをしっかりと感じました。
これさ、燗もかなりうまいよ。
大手蔵らしいキレイな味わいなのに、けっしてペラペラではなく、雑味のない飲み応えを感じることができました。
きっと江戸っ子の皆さんも、こういうきれいなのにしっかりした味わいのお酒を好んでいらっしゃったことでしょう。
それ故の“江戸一”なのかと、納得いたしました。
その江戸一と合わせた今日のエサはこちら。
国産若どり骨なし手羽もと。
前回買っておいしかったので、また買ってしまいました。
それに合わせたのは、しょうがの千切り。
鍋にごま油を敷き、皮目を下にして手羽もとを焼いて、
軽く焦げ目が着いたところで、しょうがとネギの白いところとを投入して炒め、
だし汁を加え、みりんと淡口しょうゆとで味をつけ、
豆腐と野菜とを入れて、フタをパイルダーオン!
水炊き風煮物の出来上がり。
皮に焼き目を付けたことで香ばしくいただけました。
肉も皮も野菜もやわらかく、豆腐には出汁がしみていておいしゅうございました。
奈良漬。
昨日の徘徊時に、浅草にある河村屋さんで入手したもの。
この皿も、昨日の徘徊時に合羽橋道具街でついつい連れて帰って来てしまったもの。
おいしい!
深みのあるしっかりした味わいが、やや淡麗でキレのよい江戸一とバッチリでした。
ごちそうさまでした。
(※1)神戸新聞社会部編『生一本 灘五郷-人と酒と』p.98-99(1982.11 神戸新聞出版センター)
(※2)伊藤知生『『正宗』と『男山』はなぜ清酒の寛容商標となったか~近世・江戸市場における偽ブランド酒流通放置の帰結~』p.67-68(パテント 75巻13号(通号896)p.64-73 2022.12 日本弁理士会広報センター会誌編集部編)
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