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【お酒】539.櫻正宗 特別純米酒 宮水の華 300ml【追記あり】 [28.兵庫県の酒]

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櫻正宗株式会社
神戸市東灘区魚崎南町五丁目10番1号

原材料名/米(国産)、米こうじ(国産米)
使用米/兵庫県産山田錦100%使用
精米歩合/65%
アルコール度数/15度以上16度未満
300ml詰
(以上、ラベルより転記)



灘五郷は魚崎郷に位置し、日本全国に存在する“〇〇正宗”の元祖である櫻正宗さんのお酒は、かつて上撰のお燗瓶と、大吟醸カップに特撰吟醸、そして上撰本醸造のクールチェリーをいただいております。
今日いただくこのお酒は、“宮水”を使用した特別純米酒です。

特別純米酒の意味については、かつてこちらでまとめておりますので、ご覧ください


今日いただくこのお酒の名前には、“宮水”の名が使われています。

この“宮水”の意味について、ある文献では以下のように紹介されています。
宮水(みやみず)」とは、兵庫県西宮市の海岸近くの特定の地下から汲み上げられている地下水のことで、灘酒の名声を全国に広めた第一の要因といわれる。この水が醸造用水として非常に優れた水であることが発見されたのは、天保十一年(1840)のことである。」(※1)

西宮の一部の地域には、この宮水を汲み上げるための井戸が存在しています。


これは、櫻正宗さんが所有している宮水の井戸です。
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そして、一般的には、この宮水を最初に発見したのが、櫻正宗の六代目ご当主である山邑太左衛門(やまむらたざえもん)さんであると言われているようです。
今日いただくこのお酒のラベルには、その経緯について詳しく書かれています。
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“一般的には、”と書きましたが、どうもこれには異論もあるみたいです。
このことについて、別の文献では以下のように紹介されていました。
しかし、西宮の水は、同じ魚崎郷の雀部市郎右衛門(ささべいちろううえもん)(原文では“雀”にくさかんむりが付く:ブログ筆者注記)により天保八年(一八三七)に発見された、との異説もある(『灘酒沿革誌』)。」(※2)
また、別に天保8年やはり魚崎の雀部市郎右衛門(こちらはくさかんむりなし:ブログ筆者注記)という人が、西宮に酒蔵を持ち、鱗印という井戸の水で酒を仕込んだところ、良い酒ができたので宮水の研究を始めたそうだ。」(※3)

これをふまえてか、宮水の井戸が密集する地域に掲示された説明版の内容は、この両論が併記されたものとなっています。
(読みにくくてスミマセン。)
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これらの記述によれば、雀部さんは山邑さんよりも3年早く発見していることになります。
それでも櫻正宗さんが宮水発見の蔵を自称なさるのは、いったいどのような理由によるものなのでしょうか?
この点は、今後調べてみたいと思います。
調べてないのかよ!


☆★☆★【2016/10/22追記】☆★☆★

その後、手元の文献に以下の記述があることを発見しました。

しかし、宮水が酒造用水として比類のない霊水であることが知られるようになったのは、天保8年(1837)に雀部市右衛門(ささべいちうえもん)が西宮で鱗(うろこ)井戸を発見して、この井戸水を用いて造った酒を江戸に出荷したところ好評であったこともあるが、何よりも山邑太左衛門(やまむらたざえもん)の功績によるところが大きい、山邑家はその当時(江戸時代末期)西宮郷と魚崎郷で酒を造っていたが、常に西宮郷の酒が優れていることに気づき、酒造米を同一にしたり、蔵人を交代させたりしたが効果がなかった。そこで西宮郷、梅の木蔵の井水を魚崎郷で用いたところ、西宮の酒同様、良酒が醸出された。このことから断然意を決して、天保11年(1840)より西宮郷の梅の木蔵の梅の木井戸(うめのきいど)の井水を魚崎に輸送し仕込水に用いるようになり、優秀な酒が造られ江戸の市場でも大好評であった。以後灘はもとより、他地方の酒造家も競って西宮の井水を求め、使用するに至ったという。この梅の木井戸が宮水発祥の井戸となり、山邑太左衛門が発見者とされている。」(※12)

要するに、最初に宮水を発見したのは雀部さんだけれども、宮水が優れていることをはじめて実証したのは山邑さんだということでしょうね。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


もっとも、櫻正宗さんがなぜ宮水の発見蔵であることをここまでアピールなさるのでしょうか?
それは、宮水が酒造用水としてものすごく優れているからでしょう。
そして、それを発見したのがわが蔵の当主であるとおっしゃりたいのでしょう。

では、宮水は、いったいどのくらい優れているのでしょうか。
このことについて、文献には以下のような記述がありました。
なにしろ宮水は、酒造りに有害な鉄イオンをほとんど含まない。その代わり酵母の増殖にすぐれた栄養となるリンを2ppmも含む。よその酒造水の10倍近い濃度である。そればかりでなく、分析にもひっかからないほどの微量の諸成分が、酒造りに絶好の割合で溶け込んでいるらしい。」(※4)
宮水を使った酒は、秋晴れといって円熟度を増し、味が一段と豊醇になる。つまり、灘酒特有の香り高い芳醇味が生れるだけではなく、夏を過ごして秋になると、他地方の酒とは反対に、酒質が向上するのが特徴である。」(※5)

出来たてのお酒よりも秋になったほうがおいしいということは、保存が効くということにもなりますね。
この点は、かつて灘酒が江戸へ運ばれてもてはやされた一因なのかもしれませんね。


なお、宮水については、私自身がぜひ“覚えておきたい”と思うことをこの記事の最後にまとめておきました。
もし興味がおありでしたら、お読みください。


お待たせいたしました。
それでは、そろそろいただいてみたいと思います。
特別純米酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。

色はほぼ無色透明です。
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うまみは淡めですが、かなりしっかりしています。
お米のうまみが凝縮されたようなうまみです。
それでいて、濃くガツンと来るのではなくて、奥ゆかしい感じがします。
しかも、純米酒ですが、苦みや雑味が全くありません。

酸味はかなりはっきりしています。
すっぱさがかなり豊かですが、けっして雑な感じではなくて、きれいな酸味です。
しかもこの酸味には、深みを感じます。
それでいて、刺激やピリピリ感は全くありません。

甘みはひかえめです。
しかし、ほんのわずかに存在することがわかります。
これがお酒の味にコクを添えているようです。


深みのあるきれいな酸味と、奥ゆかしいうまみとを味わうことができる、やや淡麗でやや辛旨口のおいしいお酒でした。
醸造アルコールを添加していないのに軽快で、しかも雑味が出ていません。
これは丁寧に造ってある証拠でしょう。
特別純米酒を名乗るにふさわしいお酒だと思います。
さすが灘の名門、櫻正宗さんのお酒でした。






★☆宮水について覚えておきたいこと★☆


(1)宮水地帯:もはや最後の砦

宮水が湧き出る井戸がある場所のことを、宮水地帯といいます。
この宮水地帯については、「場所は、市役所の南方約500m、国道43号線のすぐ南で、東西250m、南北250mの範囲である。かつては、東西500m、南北1kmくらいの範囲であったが、自然条件の変化から狭まってきている。」とのこと(※6)。

この、宮水地帯が狭まったことについて、別の文献では以下のように紹介していました。
大正末期までは海岸近くでも良い水が得られ、第一図に示すように国道四三号線以南から海岸に至る一kmのすべての地域(第一次・第二次宮水撤収地帯を含む)で揚水されていた。
海岸地帯から北へ四〇〇mの間に散在する宮水井戸は、西宮港の改修工事(明治末期から大正はじめにかけて:ブログ筆者注記)によって被害を被り、宮水中のクロールが増加し、酒造用水に適さなくなって第二次宮水撤収地帯まで縮小されたのである。
その後、昭和九年(1934)には室戸台風による被害を受け、さらに北方へ井戸場を移す必要に迫られた。これが現在も使用されている第三次宮水地帯である。
この地域には、約三〇の井戸場に七十余本の井戸が掘られ、揚水されている。この地帯こそ宮水の得られる北限であり、この地帯の宮水が劣化すれば、もはや代替地はない。」(※7)


(2)なぜここで湧くのか?:偶然の賜物

では、なぜこの場所で、酒造りに最適な水が湧くのでしょうか?
この点について、文献では以下のように紹介されておりました。
西宮市の南部は、図2に示すように古墳時代中期までは、海が現在の西宮市役所よりさらに北へ1.2kmのところまで袋状に入り込んでいた。中世後期には入り江の沼沢地も陸地化し、海岸寄りの元の陸地部分(ここが今の宮水地帯:ブログ筆者注記)と一体となって現在の西宮の地形となった。したがって、山麓より南下する御手洗川の伏流水は、かつて海底であった浅海性の貝殻、海藻、プランクトンなどの堆積物を含む砂層を通り、無機成分を溶解し適度の中硬水でカリウムが多く、リンが特異的に多い法安寺伏流となって宮水地帯へと向かう。
宮水地帯は、夙川の旧河床と推定され、その第一供給源は、夙川から西宮(戎)神社付近の地下を流下する、酸素を多く含んだ戎伏流で、これに無機成分を多く含む上記の法安寺伏流が、宮水地帯に隣接した北部で合流し、酒造りにとって種々の有効成分の付加と、有害成分の除去が自然に行われ、酒造りに最適の成分を供えた宮水になると考えられている。」(ここまで※8)
例えば、鉄分の多い法安寺伏流は、酸素の多い戎伏流と合流すると、鉄分は酸化して不溶性の酸化鉄となって除去され、鉄分のきわめて少ない宮水となる。」(※9)

要するに、こういうことでしょう。

★1:宮水地帯の北側は、かつて海(入り江)だった。
★2:海だったところを通ってくる法安寺伏流が、酒造りに必要な成分を運んでくる。
★3:一方、宮水地帯の北西側からは、酸素を含んだ戎伏流が流れてくる。
★4:法安寺伏流と戎伏流とは、宮水地帯のちょうど北面で合流する。
★5:合流により、有効成分がちょうどよくなると共に、有害成分が除去される。

これはまさに、偶然の賜物ですな。
上記(1)で紹介した文献では、現在の宮水地帯が北限であると記述されていましたが、その理由はこういうこと(特に上記★4★5)だったのですね。


(3)震災による影響:直接的な影響はほとんど無し

その後、西宮では、第三次宮水地帯を脅かす出来事が起こります。
それは、阪神・淡路大震災です。

しかし宮水は、震災に負けることなく湧き続けたようです。
これについて、文献では以下のように紹介していました。
宮水地帯の酒造用井戸の障害はほとんど認められない。地震直後数日間は、わずかに濁りが認められたが徐々に沈殿し透明になった。濁度の長引く井戸は、有機物10mg・l-1、全鉄0.2~0.15mg・l-1となった井戸があったが、時々井戸底を静かに攪拌しながら5㎥・h-1程度に揚水を続けたところ約1カ月で有機物2~3mg・l-1全鉄0.03~0.01mg・l-1に減少し正常値に戻った。
宮水地帯とその周辺部の井戸は被害がほとんど無いのは、帯水層が主に砂層であり、井戸側も強固に出来ていることと、平素から過剰揚水にならぬよう管理されているためであろう。
以上述べたようにこのたびの震災による地下水への影響は比較的少なかったと考えられ、管理された酒造用井戸水、宮水への影響は、震災直後を除いてはほとんど無く、むしろあるとすれば、その後の復興のための建設工事、河川改修工事等による直接的、間接的な影響であろう。」(※10)


(4)宮水の保全活動

宮水の井戸は、もはや最後の砦まで攻め込まれています。
それ故、西宮では、官民を挙げてその保全に取り組んでいるようです。

このことについて、文献では以下のように紹介していました。
宮水の保全と調査は古く1924年、当時の地質、地下水の権威者、関係官公庁、灘五郷関係者らにより「宮水保護調査会」が組織され宮水保護のため、海水侵入防止策として、港湾浚渫時期が従来は冬季か早春であったのを、初夏または梅雨前に変更する案を議決し、兵庫県会においても認められた。また宮水地帯周辺を含む広範囲にわたる井水の水位、水質の調査を行い、宮水の流路、各種成分の等値曲線図など詳細な調査結果が1927年に発表されている。このような組織立った調査は、わが国では地下水調査の嚆矢とされている。
調査会は一時中断後、1954年塩水化等の問題もあって再び西宮市長を会長に「宮水保存調査会」が組織され調査と保全活動を活発に行っている。(中略)保全活動の主なものを挙げると、(中略)そのほか、伏流水の流路と思われる場所の地下室の排除要請、または地中梁下、地下側壁部に砂利層を設けることによる伏流水のバイパス工事の要請、地下水に影響の少ない基礎杭工法の採用等の要望を宮水地帯周辺半径1km範囲の地下工事を伴う建設工事に対して、西宮市建設局の指導を得て、事業主、施工者の理解と協力のもとに、100棟を越えるビル、マンション建設について対策、協議を行っている。
特に、国、公共団体等による大規模建設工事の場合は、地下水対策委員会を設け学識経験者を交え検討、試行、施工後の事後確認を行い、時には数年以上に及ぶこともあった。ことに震災以後の公共団体、法人、個人による建設ラッシュ時には毎月十数件の対策協議を行った。このように遠く過去から現在に至るまで、多くの地域の人達の理解と協力のもとに、この僅か10k㎡の、しかも半ば以上市街化された涵養源しか持たない宮水や西三郷の井水が、水質水量ともに保全されていることは奇跡的と言わねばならない。」(※10)


かつて読んた文献では、“地下水は共有財(コモンズ)であって、私的に使えば悲劇が起きるが、適切に管理すれば持続的に機能し得る”とのことが書かれていました(※11)。
どちらが先かということもありますが、宮水の保全活動はそれを地で行くものなのでしょう。


(※1)小泉武夫監修『日本酒百味百題』p.94(2000.4 柴田書店)
(※2)鈴木芳行『日本酒の近現代史 酒造地の誕生』p.55(2015.5 吉川弘文館)
(※3)鎌田勉『にしのみやの水と宮水』p.95(水道協会雑誌 第563号 1981.8 日本水道協会)
(※4)河合信和『この道 酒どころ灘の宮水の調査を続ける済川要さん』p.107(科学朝日 第38巻第8号 1978.8 朝日新聞社)
(※5)済川要『名水を訪ねて(5)宮水』p.57(地下水学会誌 第31巻第1号 1989.2 日本地下水学会)
(※6)(※3)p.96
(※7)岩井重久『みず 天の恵み宮水の不思議』p.82(『灘の酒博物館』(1983.10 講談社)に収録)
(※8)髙岡祥夫『宮水の保全活動について-阪神大震災と宮水の状況-』p.15(水環境学会誌 第24巻第1号(通号231号)2001.1 日本水環境学会)
(※9)(※7)p.86
(※10)(※8)p.16-17
(※11)榧根勇『地下水と地形の科学 水文学入門』p.13より(2013.2文庫化、原本は1992刊 講談社学術文庫)
(※12)灘酒研究会編『改訂 灘の酒 用語集』p.31-32(1997.10 灘酒研究会)
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あ~酒臭かった! 41

酒くさコメント 4

tarou

おはようございます、ひこにゃんにコメントありがとうございました。

さこにゃんは町おこしで、まだ健在のようですね!
彦根の町が観光で発展してくれると良いですね(^○^)
by tarou (2015-04-30 07:48) 

hanamura

この酒飲みの娘の名前が「宮子」じゃぁねぇ・・・。
平成に◎子、◎子、◎子、逆にウケてます。
by hanamura (2015-04-30 20:02) 

skekhtehuacso

tarouさん、彦根へ行った際に、しまさこにゃんのカップ酒を見つけたのです。
中身はすでにいただいていた黒松金亀と同じでしたので、買いませんでしたが。
by skekhtehuacso (2015-04-30 22:49) 

skekhtehuacso

hanamuraさん、個人情報ぎりぎりのコメントありがとうございます。
まさか宇都宮に由来するわけではないでしょうね。

by skekhtehuacso (2015-04-30 22:53) 

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