《焼酎》251.あおちゅう 杜氏奥山直子 2022 30度 300ml [9913.東京都の焼酎]
製造者:青ヶ島酒造合資会社
東京都青ヶ島村無番地
本格焼酎
青ヶ島焼酎
原材料名 さつま芋(国産)、麦麹(国産)
内容量 300ml
アルコール分 30度
(以上、ラベルより転記)
今日は、
青酎(あおちゅう)をいただきます。
青ヶ島酒造さんの青酎は、《焼酎》242.青酎 池の沢 35度 300mlをいただいております。
「青酎って、なにい?」(←名古屋弁で)とお思いの御仁は、上記青酎池の沢へのリンク先記事をお読みいただきたく存じ奉ります。
“ 杜氏奥山直子”と表示されておりますが、
実際に造っていらっしゃるのは、息子さんである奥山晃さん。
なんでも、お母様の造りを受け継いでいらっしゃるのだとか。
その“ 杜氏奥山直子”のあおちゅうですが、文献には以下のような記述がありました。
「【アルコール度数】30度
【原材料】サツマイモ、麦麹
【麹菌】自然麹
【製法】どんぶり仕込み」(※1)
まずは自然麹から、
自然麹については、青ヶ島独特の製麹法があるのだとか。
なんでも「奥山晃さんの場合は「自作した棚に1段ずつオオタニワタリをかぶせた麦を入れ、3日間ほど寝かせる。その間は温度が高くなりすぎないように温度や湿度を管理するようにしている」という。」(※2)
オオタニワタリというのは、伊豆諸島に自生している大型のシダ植物です。
これを用いて、麹造りをしているのだとか。
酵母を植物から採取するならばともかく、麹の育成にも植物を利用するってのは初耳でした。
そして次は、どんぶり仕込み。
これについては、まずは以下の記述をご参照下さい。
「●どんぶり仕込み 麴、蒸原料(蒸米・蒸カンショなど)、水をかめや桶に投入し、一度で仕込みを終える仕込法をいう。大正元年までの本土の焼酎の醪はすべてこの方法で仕込まれた。たとえば球磨焼酎は麴と煮米を、薩摩のイモ焼酎は麴と蒸カンショと水とともにかめに混合して仕込み、これを発酵させた。大正二年鹿児島県ではまず麴と水とで酒母をつくり、これに蒸米と水を加えて醪をつくる二次仕込法が開発され、球磨焼酎でも大正八年に二次仕込法が採用され始め、現在では沖縄県の泡盛だけ麴と水のどんぶり仕み(一次仕込み)が残っている。」
この記述からわかることは、
“現代では焼酎の製法では二次仕込法が一般的であって、どんぶり仕み(一次仕込み法)は古い製法である”
ということです。
現代における焼酎の製造では、アルコール発酵の過程(糖をアルコールに分解する過程)で酵母が働いていることがわかっていることから、その酵母の働きを促進するために、
①初回の仕込みでは水と麹とだけを仕込んで酵母を増殖させ、
②その酵母の増殖が進んだところへ主原料(芋・大麦・米など)を投入し、糖化とアルコール発酵とを同時に促進させる
という、二次仕込みが一般的です。
これにより、「大量の酵母で糖分を一気にアルコールに変えて安全性(腐造の防止:ブログ筆者追記)を高めた」(※4)わけでした。
しかし昔はそもそも酵母の存在自体が明確にはなっておらず、あらかじめ酵母を増殖させるという発想自体がなかったのではないでしょうか。
自家用のものではなおさらでしょう。
むしろ各家庭では、仕込み自体は一回で済ませ、その後の管理をうまくいった方法で実施することを代々継承なさっていたことでしょう。
具体的には、すべての原料を一度に投入したのち、経験上知りえた最適な温度で管理したり、適度に撹拌したりして発酵を待ったのでしょう。
清酒の場合は酵母を増殖させてから仕込む“生酛造り”が江戸時代から行われており、さらに酒母の発想は菩提酛や天野酒の例までさかのぼることができます。
しかしこれらも酵母の存在を知って開発されたものではなく、大量かつ継続的にお酒を製造する過程で得られた経験則に因る技法でしょう。
「酵母の基礎的研究が若い微生物学者矢部規矩治博士、沢村真博士らの手で進められていたが、特に矢部博士の「日本酒母」(Saccharomyces Yabe 今日の清酒酵母)の発見は、日本人として初めての輝かしい業績であった。
(矢部規矩治「清酒酵母の由来について」・東化・一七・二九(一八九六)/同「日本酒母(Sacch. Sake)の本源」東農学報・三・二二一(一八九七))」(※5)
とあるとおり、酵母の存在が認識されたのは明治29-30年ごろなわけですから。
なお、泡盛の場合は、使用する米のすべてを米麹にしてから仕込むという方法が採られているので、糖化が一気に進んで酵母が育ちやすい環境を即座に作り出すことができることから、そもそも二次仕込みにする必要がないわけです。
青ヶ島における青酎の製造の始まりは商業目的ではなく、各家庭での自家用焼酎製造に由来することから、その際に用いられていたどんぶり仕込みを、製造主体が会社組織化された現在でも継承なさっているのでしょう。
これは、青酎(あおちゅう)の製造方法が、青ヶ島酒造に所属する夫々の杜氏に任されていて均一化されていないが故の結果であると思います。
(均一化されていないことについては、詳しくは青酎池の沢の記事↑まで)
お待たせいたしました。
いや、お待たせしすぎたかもしれません。
それではいただいてみましょう。
まずは生(き)、すなわちストレートでちょっとだけ。
盃に注ぐと、植物の青みのような爽やかな香りがふわりと漂っております。
華やかさも伴っているようですが、前には出てきません。
でも含むと、爽やかさと華やかさとが口の中でパッと広がります。
30度だけあって、スースーのピリピリ!
でも風味はかなり穏やかです。
重さやクセはゼロでした。
次に、水割りで。
上立ち香は消えましたが、含むと爽やかで華やかな香りをしっかりと感じます。
スーは少し残るものの、ピリは引きました。
そのせいか、芋の風味をふんわりと感じるようになりましたよ。
重さやクセはやっぱりゼロ。
甘みも引いてキリッと引き締まりました。
軽いね。
最後はロックで試してみました。
香りは華やかさが爽やかさを凌駕しているようでした。
トロリとした口当たりで、かつロックで出がちな苦みも感じました。
芋の風味は水割りほどはっきりとはしてないみたいです。
甘みはちょっとだけ感じました。
爽快な香りと引き締まった風味とを感じることができる、おいしい青酎でした。
かなり爽やかで辛口だったので、30度にもかかわらず軽さを感じました。
水割りで爽やかな香りを、そしてロックで華やかな香りを楽しめました。
それに芋焼酎なのに、重さやクセはゼロでしたよ。
ワタクシといたしましては、水割りの爽やかな風味が好みでした。
そのあおちゅう 杜氏奥山直子と合わせた今日のエサはこちら。
昨日の残りのちくわと、きゅうり。
ごま酢和えにいたしました。
まあ、無難なお味。
スーパーで買って来たじゃこ天。
フライパンを熱してから、じゃこ天に焦げ目をつけて、
ショウガじょうゆでいただきました。
これはおいしい!
海の焼酎には、海のものですね。
ごちそうさまでした。
(※1)島へ 4月号(通巻110号)p.17(2020.3 海風舎)
(※2)(※1)p.12
(※3)菅間誠之助編著『焼酎の事典』p.173(菅間誠之助執筆部分 1985.9 三省堂)
(※4)鮫島吉廣『焼酎の履歴書』p.101(2020.6 イカロス出版)
(※5)坂口謹一郎監修・加藤辨三郎編『日本の酒の歴史』p.262およびp.279(参考文献)(加藤百一執筆『日本の酒造りの歩み』p.41-315中 1977.8 研成社)
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今日は、昼間は黒猫のダンナに会えなかった。
きっとどこかのやさしい人のお家に入れてもらっていたのかも。
でも、ご飯の時間になったら、さっさと帰ってきたのでした。
ご飯だけは、おかあさんがくれるものしか食べないみたいです。
(友情出演)
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