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〔泡盛〕1.菊之露 100ml [9947.沖縄県の泡盛]

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菊之露酒造株式会社
沖縄県宮古島市平良字西仲宗根392-2

琉球泡盛
アルコール分30%
内容量100ml
原材料 米こうじ(タイ産米)
(以上、ラベルより転記)




とうとう“泡盛”に手を出してしまいました。
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はじめての泡盛は、菊之露酒造さんの“菊之露(きくのつゆ)”。
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なんでも、「宮古島繁華街、平良市の真ん中西里大通りにある菊之露酒造は、県内シェア2位を誇る蔵元で、幅広い層に人気がある。」(※1)のだとか。
そして今日いただくこの30度の菊之露は、「適度な濃度とまろやかな風味のベストマッチがたまらない。泡盛初心者にもオススメ。」(※2)なのだそうです。
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ところで・・・・・、

フッフッフッ。

ここからは、
ワタクシの自己満足の境地
皆さまをご案内いたしますよ。



















泡盛は、沖縄県で造られているお酒です。
ではその泡盛は、いったいどんなお酒なのでしょうか?
ここでは、法令上の定義とともに、泡盛の歴史について簡単に触れてみたいと思います。



1.法令上の定義


法令上は、下記要件に該当するお酒が泡盛であるとされております。

単式蒸留焼酎」(酒税法3条5号ロ)のうち、「米こうじ黒こうじ菌を用いたものに限る。)及びを原料として発酵させたアルコール含有物を単式蒸留機(酒税法第三条第十号イに規定する単式蒸留機をいう。以下この条において同じ。)により蒸留したもの(水以外の物品を加えたものを除く。)(酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行令1条1項、8条の3第1項2号、4項、酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行規則11条の5表中)

この条文から、以下のことがわかります。

(1)単式蒸留焼酎の一種であること
(2)原材料は米麹と水だけであること
(3)こうじには、黒こうじ菌を用いること

これらについて、それぞれの意味を調べてみました。


(1)単式蒸留焼酎の一種であること

単式蒸留焼酎とは、単式蒸留機で蒸留した焼酎です。
すなわち、蒸留のたびごとに新たに発酵醪など蒸留しようとする溶液を入れ、蒸留が終了したら蒸留残液を排出する方式の蒸留機。(※3)を用いて蒸留した焼酎ということです。
これに対するものとして、連続式蒸留機(「発酵醪を連続的に供給し、生じる蒸留残液も連続的に取り除く方式の蒸留機」(※4))で製造する焼酎(いわゆる甲類焼酎・ホワイトリカー)がありますが、泡盛の製造には後者の方式は採用することはできないわけです。

要するに、蒸留の方法はいわゆる本格焼酎(乙類焼酎)と同じであるということが言えます。


(2)原材料は米麹と水だけであること

米麹と水だけということは、米以外の原材料を用いることができないのみならず、
原料にする米の全部に麹カビをつけて米麹にしなければならないということです。

今日いただくこの菊之露の品質表示も、原材料は“米こうじ(タイ産米)”のみです。
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本格焼酎(乙類焼酎)の場合は、米麹(大部分がこれ)や麦麹(大分麦焼酎など)、あるいは芋麹(鹿児島県で使用例あり)などと水とで一次もろみを造り、酵母が繁殖したところへ主原料(米・芋・麦・その他)を入れて二次もろみを造り、その時に投入される主原料の種類に応じて米焼酎、芋焼酎、麦焼酎などに分類されます。
これは一次もろみで黒麴菌or白麴菌が出すクエン酸でpHを下げて雑菌が繁殖しにくい酸性の環境を作るとともに、酵母を繁殖させておいて主原料を投入した際にアルコール発酵を一気に進めるためと言われております。

一方で泡盛は、原料となる米の全てに麴カビをつけて麹にし、かつそれを一回の仕込みで水と共に全量投入してもろみを発酵させるのだそうです。
泡盛の場合は原料全部がこうじであるから、もろみのpHも低くなり段仕込をしなくとも安全に醸造できるのである。」(※5)との記述にあるとおり、そもそも麹以外の原料を用いないことから段仕込にする必要がないのでしょう。
もろみのpHが低くなる要因については、後述(3)で触れております。

なお、今日では、泡盛の醸造には主にタイ米が用いられているようです。
古くは地元産の米を使用していたそうですが、「明治二〇年代以降大正期にかけて、米価の高騰など要因もありながら、酒造業界はしだいに中国やベトナム、シャムの外国砕米に大きく依存していく状況が窺える。そうした中で、種々の米を試した結果、タイ米が泡盛に一番適した米であることが判明し、昭和以降に定着したようである。その理由として、タイ米は麴やモロミの工程で温度の管理がしやすいこと、麹として扱うにもサラサラして作業がしやすいこと、さらにはアルコールの収量が多いことなどがあったといわれる。」(※6)のだとか。
日本米よりもタイ米のほうが米麹にするには適していることは、かつてこちらで紹介しております。

しかし、法令上は必ずしもタイ米を使わなければならないわけではなく、「一般的に泡盛に使用する米の主流がタイ米というだけで、タイ米ではなくても大丈夫です。国産米や、島米(しまごめ)と言われる沖縄県産米を使った泡盛も製造されています。」(※7)とのことでした。


(3)こうじには、黒こうじ菌を用いること

黒麹菌については、かつてこちらで触れております。
今日においては黒麹菌は九州で本格焼酎の製造にも用いられておりますが、それは明治の末期に当時税務技官だった河内源一郎氏が沖縄から九州へ持ち込んで本格焼酎の製造へ導入を促進したことによって普及したものでした。
また戦後になって、河内氏によって黒麹菌の中から変異株の白麹菌が発見され、今日ではその白麹菌が九州における本格焼酎の製造に用いられる麹カビの主流となっております。

しかし泡盛の製造には白麹菌は用いることができず、沖縄にて古くから用いられている黒麹菌を使わなければならないと規定されております。

では、泡盛製造では、なぜ古くから黒麹が用いられてきたのでしょうか?
それは黒麹菌を用いた醸造が沖縄の環境に最適であったからこその結果であると言えます。
このことについては、文献には以下の記述がありました。

 さて、黒麹菌の大きな特徴は、黄麹菌(清酒の醸造や、黒麴菌が伝わる前に九州の焼酎醸造で用いられていた麹カビ:ブログ筆者追記)よりも生澱粉の分解力が非常に強いといわれ、またレモンのような酸っぱさの元になるクエン酸をたくさんつくり出す点にある。クエン酸はモロミの雑菌の繁殖を抑制する働きがある。泡盛や焼酎は製造過程において絶えず外界から雑菌が侵入する機会があるので、その対策は重要な要件である。
 沖縄の年間の平均気温は二二・四℃である。一番暑い夏の七~八月の平均気温はほぼ二八℃、一番温度の下がる冬の一~二月でもほぼ十六℃と暖かく、年間の平均湿度は七六%と高い。こうした温暖な気候の沖縄ではモロミが早く腐敗する可能性がある。酸の多い黒麹で仕込まれたモロミは他の雑菌が繁殖しにくくなり、暖地の沖縄に適した麹菌なのだ。」(※8)

 黒麹菌の特異な作用のメカニズムは、仕込みの際、容器と水と米麹を入れると、麹中からクエン酸が溶出してきて酸度が20~25mlとなり、pH(水素イオン指数)も3・2~3・3という強い酸性状態を示します。
 ところが、自然界に生息していて空気中を浮遊している有害な腐敗菌は、pHが4・0以下になると増殖が困難となり、生育できません。しかし、焼酎用酵母はそんな低いpH領域でも、純粋、健強に生育することができる特性をもつので、雑菌侵入の心配もなく、アルコール発酵を営む焼酎酵母だけを純粋に発酵させることができるのです。」(※9)

本土における清酒の醸造は造りに適した寒冷期に集中して造る“寒造り”に収斂されていきました。
一方で沖縄では、年間を通して温暖な気候であるにもかかわらず、黒麹菌を用いることで一年中製造することができたのだそうです。



2.なんで“泡盛(あわもり)”って言うの?


泡盛(あわもり)という名称の由来については、諸説あるようです。
これらのうち、容器に注いだ際の泡でアルコール度数を図っていたことに由来するという説が有力であるようです。
このことについて、文献には以下の記述がありました。

 ちなみに泡盛の語源にはいくつかの説がある。泡盛の原料が粟であったとする原料起源説、蒸留したては泡が盛り上がり、容器に注いだ際に生じる泡を見て酒の度合を判断するという泡由来説、影響力の強かった薩摩が九州の焼酎と区別するために泡盛と名付けたという薩摩説、梵語で酒を意味するアワムリからきた梵語説等である。現在は、粟を使わない地域でも伝統的にアワモリの呼称があることや、琉球王国と交流があった中国西南部および東南アジアでも「泡を盛る」技法が散見されることから「泡」由来説が穏当とされている。」(※10)



3.泡盛の歴史


(3-1)いつ伝わったか

泡盛は沖縄で独自に発明されたのではなく、琉球王国が14世紀~16世紀ごろに中国や東南アジアと盛んに交易をしており、その過程で蒸留酒の製法が伝来したことに起源があるとのことでした。
このことについて、文献に以下のような記述がありました。

 蒸留機は紀元前3000年に西アジア今のイラク付近で発明されたといわれています。西アジアで発明された蒸留の技術は,13世紀にはインドを経て中国に伝わり,さらに南下してシャム(現在のタイ王国)に伝わったとされています。
 14世紀から16世紀にかけて,琉球国は貿易立国を掲げ,東南アジアの国々と盛んに交易をしておりました。特に,シャムとの交易は頻繁であったといわれております。その頃私たちの祖先はシャムから蒸留酒とその製造技術を持ち帰り,それを琉球の気候と風土にあった沖縄独特の製法に改良し,1470年頃に現在の琉球泡盛の原型ができたといわれております。」(※11)

上記の文献(※11)では、シャム(現在のタイ王国)から琉球へ伝来したという説を採用しておりますが、一方では中国から伝来したという説もあるようです。

泡盛には500年以上の歴史があるという。それは遥か昔(14世紀)察度王の時,琉球ははじめて明に朝貢し、琉球王国形成への道を歩み始めることとなった。そして,中国に明政府が建立された際の冊封制度(1372年)に付随して1420年からシャム(現在のタイ)との貿易が正式に始まり,シャムから輸入された蒸留酒「ラオ・ロン」が南ルートで渡ってきたことや,最近では中国福建省の「露酒」(ルチュウ)が泡盛のルーツではともいわれている。」(※12)

さらには、泡盛の起源は一つではなく、琉球王国による多方面との交易の成果であるとする説もあるようです。
これによれば、泡盛は交易の相手国だった様々な国からもたらされた酒や技術の集大成として泡盛が沖縄で花開いたということになるでしょう。

 だが、十五世紀当時における琉球の交易相手国はシャム王国のみだったわけではなく、マラッカ・スマトラ・ジャワ・安南(ベトナム)など東南アジア各国と交易を行っていた。
(中略)
 琉球王国はシャムに限らず、東南アジア方面の蒸留酒を入手していた可能性がある。したがって、タイのラオ・ロン起源説は、むしろ広く「東南アジアルート」として考えるのが妥当だろう。」(※13)
 琉球と中国は公式には一三七二年以来進貢・冊封関係にあり、歴史的に交流が深い国だったことはいうまでもない。とくに福建省の泉州や福州には琉球館が所在し、歴史的交流の拠点だったところである。福建省の蒸留酒に関心が払われなかったのはどのような理由によるものか不明であるが、研究史の上では致命的なことであった。
 既述のように一五三四年に来琉した陳侃はシャム伝来の蒸留酒を振る舞われ、その造り方は中国の露酒(蒸留酒)と同じだったと記している。一五六二年の冊封使・郭汝霖(かくじょりん)も陳侃の記録を踏襲して、似たような手記を残している。しかし、その後冊封使の記録からはシャムと蒸留酒に関する記録は全くみえなくなる。まさしくこの時期は、琉球とシャムの交易が途絶えた時期(一五七〇年)と符合している。つまり、接待用の南蛮酒が東南アジア方面から入手できなくなったことを示しているのである。こうした中で、地酒としての泡盛がしだいに磨かれていくことになると思われる。」(※14)
泡盛の伝来を考える場合、東南アジアルートとともに、常に中国の福建ルートも射程におかないわけにはいかないのである。
 なにも酒だけに限ったことではないが、様々なもののルーツを考える場合、単一的・一方向的に伝来を考えることは慎まなければならない。人間の交流は多面的かつ重層的であり、両方向的なこともある。泡盛の伝来も歴史的な展開を考えあわせると、東南アジアからの蒸留酒の舶来とともに、中国の福建省を経由しての蒸留酒の舶来が十分に予想されるのであり、こうした多面的な交流の中で生成されてきたことを忘れてはならないだろう。」(※15)


(3-2)どんなお酒だったのか?

いまでこそ、沖縄へ行けばだれでも気軽に飲むことができる泡盛。

しかしもともとは琉球王家の許可を得て製造・上納されていた貴重なもので、庶民が手を出すことはけっしてかなわなかったのだそうです。
このことについて、文献に以下のような記述がありました。

 琉球王府時代、泡盛の製造は首里三箇(しゅりさんか)と呼ばれる3町の焼酎職にのみ許され、王家の御用酒をつくる傍ら営業を行っていた。原料は王家から下賜され、それからできる一定量の泡盛を上納していた。
 米9斗に対し泡盛4斗を上納したというから、トンあたり収量300~400リットル、泡盛の度数を40%として計算すると、できた泡盛の50~70%を上納していたことになる。残りが製造人のものになる。
 もし、ごまかしがあれば家財没収、あるいは島流しになり、焼酎職という製造免許を持たずに密造するものがあれば斬刑に処せられたので、泡盛造りは命がけの作業だった。
 泡盛は王府の貴重な献上品であり、また焼酎職が営業用に回す泡盛も当然高価な酒になる。とても庶民が気軽に飲める代物ではない。」(※16)

では、琉球王朝時代の庶民は、いったいどのような酒を飲んでいたのでしょうか?
それはなんと、“芋焼酎(芋酒)”だったのだとか。
このことについて、手書きの古い文献には以下のような記述がありました。

一旦芋酒ノ醸造ガ本県二行ハレテカラハ泡盛ニ求メ得ザル味・香ト原料ヲ安価ニ得ラルル事ト、醸造方法ノ簡便ナルコトナドわうシテ(原文ママ)久シカラズシテ本酒ハ全国ヲ風靡シテシマッタ.芋酒ヨリ古ク本県ニ製造サレテヰタ泡盛ヲ圧倒スルノ観ガアッタ.カクシテ、芋酒ハ維新逅ハ芋酒ハ本県ノ日常酒精飲料トシテノ唯一ノ権威者トナツテヰタノデアル。泡盛ガ上流階級一部人士ノ飲料デアレバ、芋酒ハ中流以下殆ンド全般庶民ノ飲料トナツテヰタ。」(※17)

しかしその芋焼酎(芋酒)は自家醸造であったため、明治になって酒税法が制定されて自家醸造が禁止されてからは次第にすたれていったのだそうです。

斯クノ如ク上下一般ニ広ク愛好サレテ来タ酒モ明治四十一年一月県内消費ノ酒ニモ一様ニ酒税法ノ適用ヲ見ル様ニナツタ結果自由醸造ハ厳禁セラレ農家所有ノ蒸留器ハ全部撤去サレテシマツタ。當町官吏ガ各戸ニ厳密ニ点検シ器具ノ凡ベテヲ没収或ハ破壊シタ為メニ今デハ芋酒ハ勿論之ニ用ヒラレタ器具ノ片影ダニモ見ル事ガ出来ナイ。
 カクシテ永年ノ間沖縄一般ニ常用サレテ居タ芋酒ハ全ク廃滅シテ終ヘタノデアル。」(※18)

このことについて、ある文献では沖縄の芋焼酎とは異なり、薩摩の芋焼酎が壊滅することはなかった。琉球芋焼酎の廃滅は、沖縄に正当な酒、泡盛があったことによる悲劇といえるかもしれない。(※19)と評しておりました。
察するに、明治に入って琉球王家の支配が解けたことで泡盛製造の制約が解禁され、“焼酎”としての免許があれば泡盛を自由かつ簡単に製造できることになったが故に、自家醸造だった芋焼酎(芋酒)は密造酒として製造が禁止されて衰退していったのでしょうね。

でも近年になって、この芋焼酎(芋酒:イムゲー)を復活させた例があるみたいですね。
そのイムゲーを紹介するネタは、いつか来るであろうイムゲーをいただく機会までとっておきたいと思います。























あー、気が済んだ気が済んだ!



お待たせいたしました。
それではこの菊之露、いただいてみたいと思います。

まずは生(き)、すなわちストレートでちょっとだけ。
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香りがするよ!
盃に注ぐと、香木のような重厚な香りが立ってまりましたよ。

30度ですから、けっこうピリリ。
風味のベースは米でしょうけれど、香木のような香りとともに、黒麹のかび臭いような香ばしさが満載です!
甘みもしっかりしております。


次は、水割りでいただこうと思います。
というのも、文献に以下のような記述があったから。

 個人的な感覚ではありますが,泡盛の一般酒を味わう際には,ぜひ水割りを試して欲しいと思います。
 飲んだことのない方にとっては“きつい”“くさい”酒である印象もあるようですが,アルコール度数40度近くあるのですから,ストレートでは刺激が強く感じられます。しかしながら,泡盛は全麹仕込みの濃醇なお酒です。水を足すことで,伸びのある味わいが感じられると思います。」(※20)
30度のもので酒5:水5の割合で割るのが一般的な飲み方とされています。」(※21)

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割っても香りや風味はしっかりしておりますよ。
米の風味とともに香ばしさが満載で、香りもそれに続きます。
割ったことでさっぱりしておりますが、甘みはわかります。
苦みがちょっとだけ出るかな。


泡盛は、米の風味とともに、独特で重厚な香りと黒麹の香ばしさとが満載のおいしいお酒でした。

これ、面白いね!
九州の焼酎よりも香りが豊かで、黒麹の香ばしさがガツンと来るのね。
しかもそれらが、飲み終わった後も喉の奥の方に残っていて、こうして記事を書いている今も感じるのよね。
それが泡盛をいただく際の楽しみなのかもしれません。
ただ、それ故に、お湯割りにすると、ちょっと飲みにくいかもね。

それにこのことは、得てしてクセや飲みにくさのように感じてしまうかもしれません。
ましてや飲み過ぎて二日酔いになってしまったら、きっと最悪の事態を招くことでしょう。

これはなんか、ハマってしまいそうな予感がいたしますよ。
今年は沖縄へ行こうかな?


(※1)田崎聡『泡盛王国』p.80(2006.8 発行/有限会社食の王国社 発売/丸善(株)出版事業部)
(※2)(※1)p.173
(※3)菅間誠之助編著『焼酎の事典』p.159(照屋比呂子執筆部分 1985.9 三省堂)
(※4)(※3)p.160
(※5)西谷尚道『泡盛醸造の特徴』p.1147(日本醸造協会雑誌 66巻12号p.1145-1149中 1971.12)
(※6)萩尾俊章『泡盛の文化史〈新装改訂版〉』p.61(2016.1 有限会社ボーダーインク)
(※7)ファンファーレ・ジャパン編集部編『泡盛マイスターの編集長と酒好きにすすめたい泡盛の香り』p.64(2018.8 有限会社ボーダーインク)
(※8)(※6)p.48-49
(※9)佐久本武『特集2 楽しい酒 泡盛』p.59(食と健康 47巻12号(通号564) p.54-61中 2003.12 日本食品衛生協会)
(※10)長谷川清『沖縄の泡盛産業』p.146(松蔭大学紀要 13巻 2010.3 松蔭大学)
(※11)饒平名卓『泡盛談義』p.25(輸入食糧協議会報 通号612 p.25-30中 1999.9 輸入食糧協議会事務局)
(※12)杵鞭充治『琉球の香り,泡盛』p.31(香料 233号 p.31-39中 2007.3 日本香料協会)
(※13)(※6)p.30
(※14)(※6)p.30-31
(※15)(※6)p.39
(※16)鮫島吉廣『焼酎の履歴書』p.178(2020.6 イカロス出版)
(※17)田中愛穂『調査研究 琉球泡盛ニ就イテ-焼酎麴の原点-』p.559-561(限定復刻版 1978.8 ㈱出版ビジネス永田社)
(※18)(※17)p.569
(※19)(※16)p.181
(※20)玉村隆子『泡盛の魅力 -その味と香り-』p.30(香料 255号 p.21-30中 2012.9 日本香料協会)
(※21)(※11)p.28
あ~酒臭かった!(34)  酒くさコメント(6) 
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あ~酒臭かった! 34

酒くさコメント 6

johncomeback

拙ブログへコメントありがとうございます。
僕のブログのオマケで掲載した写真の魚はニシンです。
数か月前に北海道から送られきたモノを冷凍保存していました。
数か月も冷凍していたので煮つけてもチョットぱさついていました。
僕は毎晩、韓国焼酎<鏡月>をお湯割りで飲んでいます。
by johncomeback (2021-06-21 22:09) 

hanamura

私にも苦手な酒類はあって健康診断前の禁酒日でよかったです。
by hanamura (2021-06-22 05:36) 

newton

泡盛愛が感じられますね。今度、水割りは試してみたいと思います。
by newton (2021-06-22 14:20) 

skekhtehuacso

johncomebackさん、冷凍モノでも、あの肉厚のやつはなかなか入手しづらいですよ。
by skekhtehuacso (2021-06-22 21:15) 

skekhtehuacso

hanamuraさん、私は泡盛をひととおり飲み尽くしてから、本当に苦手かどうか判断したいと思います。
by skekhtehuacso (2021-06-22 21:17) 

skekhtehuacso

newtonさん、愛というよりも、敬意です。
泡盛の何たるかの基礎中の基礎を踏まえてからいただかないと、泡盛やそれを造っている人たちに対して失礼だと思ったからです。
と言っても、実は完全に自己満足なんですけれどね。
by skekhtehuacso (2021-06-22 21:20) 

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