【お酒】2248.十旭日(じゅうじあさひ) 純米酒 わんわんカップ [32.島根県の酒]
製造者:旭日酒造有限会社
島根県出雲市今市町662
品目:日本酒
内容量:180ml
原材料名:米(国産)・米麹(国産米)
使用米:五百万石(100%使用)
精米歩合:70%
アルコール分:15度
日本酒度:+9
(以上、ラベルより転記)
昨日に引き続き、浅草にある“まるごとにっぽん”で入手した島根県のお酒をいただきます。
今日いただくのは、“十旭日(じゅうじあさひ)”
なんでも、明治40年に皇太子の侍従長から“旭日”の名をもらい、また七代目が能勢の妙見山を信仰していたことから、その紋章である矢筈十字を旭日に付けたという銘なのだとか。
その旭日酒造さんのお酒は、かつて以下の物をいただいておりました。
【お酒】838.十旭日(じゅうじあさひ) 上撰 カップ
【お酒】841.十旭日(じゅうじあさひ) ナイスデイアサヒ カップ
【お酒】863.十旭日(じゅうじあさひ) 上撰 お燗瓶
【お酒】887.十旭日(じゅうじあさひ) 本醸造 カップ
今日いただくこのカップ酒は五百万石を100%使用した純米酒ですが、
その名は、“わんわんカップ”だってさ!
大関さんの逆鱗に触れないよう、うまいこと考えたもんだなこりゃ。
こちらひさびさの十旭日、いただいてみましょう。
純米酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。
お酒の色は、濃いね。
香りはなし。
うまみは濃いめ。
酒臭さ(ほめ言葉、以下同じ)とともに、熟成感を穏やかに感じます。
米のうまみは厚みはなく、舌の上を突くように感じます(わかりづら!)。
苦みがあって、強めでけっこう鋭いです。
キレはそれほどでもないみたい。
酸味はややはっきり。
すっぱさはそれほどでもないものの、酸味自体の深みを少し感じます。
ちょいスーですが、ピリはなし。
甘みはややひかえめ。
存在はわかるものの、苦みに負けていて前に出て来ないみたいです。
濃醇苦ちょい枯ちょい深ちょいスー旨やや辛口のおいしいお酒でした。
このうまみは、かつていただいた十旭日のそれを思い出させてくれました。
苦みが突出しておりましたが、うまみがしっかりしているせいか、それほど気にはなりませんでした。
それとも、スーと隠れた甘みとが和らげてくれていたのかな?
苦みが突出しているので、けっして飲みやすくはないでしょう。
それでも、おいしいお酒であると、私は感じました。
ところで、
わんわんカップがあるということは・・・・、
次回の、十旭日の心だ~!
【お酒】2247.玉櫻 純米酒 悠々燗々。 カップ [32.島根県の酒]
製造者:玉櫻酒造有限会社
島根県邑智郡邑南町原村148
清酒
内容量:180ml
原材料名:米(国産)、米こうじ(国産米)
精米歩合:70%
アルコール分:15度
(以上、カップの印刷事項より転記)
こちらひさびさの島根県産のお酒!
島根県産酒をいただくのは、2019年10月30日以来でした。
と言っても、島根県で入手したものではなく、浅草にある“まるごとにっぽん”で見つけたものでした。
玉櫻酒造さんのお酒は、かつて以下の物をいただいております。
【お酒】844.玉櫻 カップ
【お酒】875.玉櫻 純米酒 カップ
【お酒】1503.玉櫻 純米 とろとろ にごり酒 カップ
今日いただくこのお酒は、
カンカン・ランラン?
リンリン・ランラン(留園♪)
いや、
“悠々燗々。”’(ゆうゆうかんかん?)なる、燗酒向きの純米酒なんだってさ。
蔵元さんのWesbiteでは、トップページで詳しく紹介されておりましたよ。
品質表示はこちら、
かつていただいた玉櫻純米酒カップと同じでした。
それではいただきます。
燗向きのお酒ですから、燗にしていただきます。
お酒の色は、濃いね!
香りは、アルコール香をかすかに感じる程度。
枯れた香りはわかりません。
含むと、最初に酸味が来ましたよ。
強くはないものの、すっぱさに鋭さを少し、そして深みも少し感じます。
ちょいスーですが、ピリはなし。
うまみは濃くはないみたいですよ。
熟成感があって枯れているものの、角や荒さは全く感じません。
米のうまみはどちらかというと弱めかな。
苦みや雑味は全く感じません。
しかもキレがよいですね。
甘みはややひかえめ。
ゼロではないものの、前には出て来ないみたいです。
枯ちょいすっぱちょい深ちょいスーやや辛口のおいしいお酒でした。
枯れているものの角や荒さはなく、しつこさを全く感じませんでした。
うまみはそれほど濃くは感じませんでしたが、酸味の深みを感じたためかけっしてペラペラではなく、飲み応えを感じました。
それなのに全く雑味がなく、むしろ飲みやすく感じました。
ただ、冷めるにつれて角が少し出て来るみたいでした。
これ、かなりうまいね。
熟成酒って、枯れているだけでうまみがなくてスカスカだったり、逆にしつこいほど重いものもありますよね。
でもこれは、飲み応えもあり、かつしつこさもなく、まさにちょうどよい塩梅でございました。
また島根県へ行きたくなるようなお酒でした。
[ワイン]20.五一わいん ブラン 180ml [999920.長野県のワイン]
製造者:株式会社林農園
長野県塩尻市大字宗賀1298-170
日本ワイン
品目:果実酒
原材料名:ぶどう(日本産)/酸化防止剤(亜硫酸塩)
アルコール分:12%
内容量:180ml
(以上、ラベルより転記)
林農園さんのワインは、これまでに以下の物をいただいております。
[ワイン]12.五一わいん 白 カップ
[ワイン]13.五一わいん 赤 カップ
[ワイン]19.五一わいん ルージュ 180ml
今日いただくのは、ブラン(BLANC:白)という名の白ワイン。
これも国産ぶどうを100%使用した日本ワイン。
冷蔵庫で冷やしたものをいただきます。
上立ち香はなし。
含むと、ぶどうの風味をふんわりと感じます。
しつこくはなく、かつキレがよいですね。
酸味は強くはないものの、鋭さを感じます。
軽い渋みも感じます。
甘みは前には出て来ないみたいです。
さっぱりスッキリやや辛口のおいしい白ワインでした。
ぶどうの風味が決して薄くはないものの、しつこくはなく、口当たりがさっぱりしておりました。
しかもキレがよくて、後味スッキリでした。
酸味や渋みが程よく効いていて、味を引き締めているように感じました。
甘みはわかるものの、前には出ず隠れているようでした。
おいしいと思います。
食事にも合うので、普段飲みにはよいのではないでしょうか。
《焼酎》270.川辺 300ml [9943.熊本県の焼酎]
製造者 繊月酒造株式会社
熊本県人吉市新町一番地
品目 本格焼酎
地理的表示 球磨
原材料名 米(相良村産)、米麹(相良村産米)
アルコール分 25度
内容量 300ml
(以上、ラベルより転記)
こちらひさびさの球磨焼酎。
繊月酒造さんの焼酎は、これまでに以下の物をいただいております。
《焼酎》19.繊月 200ml【追記あり】
今日いただくこの球磨焼酎は、
“川辺”(かわべ)。
限定品なんだってさ。
蔵元さんの販売サイトでは、「16年連続で水質日本一を誇る清流川辺川の水と、その名水で育った相良村産米のみで作り上げた純米焼酎。清流を想わせる、透き通るような香りと味わいが特徴です。」と紹介されておりました。
ラベルにもありました。
品質表示はこちら。
そういえば、繊月酒造さんも、令和2年(2020年)の水害で被害を被った蔵元さんでした。
どうやら復活を遂げられたようで、何よりです。
その繊月酒造さんと言えば、あたしゃあの広い試飲コーナーが忘れられません。
大きな部屋の中にテーブルがずらり。
各テーブルには焼酎のボトルが数種類並べてあって、勝手に飲んでよい方式。
もはや試飲とは言えない、むしろ無料の飲み屋の如く酔える場所。
私が行った際には、すでに出来上がっているおっさんがいて、
「この繊月、いつ造ったの?」
「先月だろ!」
って、周りの人があきれるほど繰り返しておりましたよ。
人吉をはじめ球磨川流域へは、いつかまた行きたい場所。
そのためにも、肥薩線の復旧を心の底から願う次第でごさいます。
話のネタが尽きたところで、いただきます。
まずは生(き)、すなわちストレートでちょっとだけ。
上立ち香はなし。
でも含むと華やかな香りをかすかに感じます。
米の風味がとても豊か。
重さやクセ、焦げ臭はゼロ。
甘みは弱めです。
ちょいスーちょいピリですが、強くはないですね。
次に、ロックで試してみました。
含むとほんのり華やか。
米の風味はしっかりで、生よりも厚みを感じます。
ロックで出がちな苦みはあるものの、それほど強くはありません。
一方でロックにしたことで、生よりも甘みをはっきりと感じるようになりました。
スースーは、ちょっと残るかな。
これも重さやクセ、焦げ臭はなし。
最後に、ソーダ割にしてみましたよ。
含み香ほんのり。
米の風味がふんわりですが、これも厚みを感じます。
苦みは引いて、甘みも少し引きます。
軽いね。
軽快ながらも米の風味しっかりの、おいしい米焼酎でした。
風味から判断するに、おそらく減圧蒸留でしょう。
でも米の風味に厚みを感じたことから、減圧蒸留の良さを活かしていることがわかりました。
それとともに、ロックで甘みをしっかりと感じ、ソーダ割では軽さを感じることができました。
おいしいということは熊本でいただいて知っておりましたが、家でいただいてもやっぱりおいしい米焼酎でした。
その川辺と合わせた今日のエサはこちら。
肉を食べたかったので、アメリカ産豚肉の安売りを買ってまいりました。
冷蔵庫の残り野菜をほじくり出して来て、
肉野菜炒め。
アメリカ産の豚肉はやっぱり固かったけれど、
深みを出すために入れた愛知県産赤味噌の風味がいい感じでした。
ごちそうさまでした。
石垣島での泡盛集めと聖地巡礼と [旅]
今回は、石垣島へ行ってまいりました。
石垣島には、泡盛の蔵元さんが6軒ございます。
「石垣島産の泡盛の小瓶を集めてやろう!」
「運がよければ、カップ泡盛にも出会うかも!」
と思いつつ、出かけてまいりました。
なお、いつものごとく、旅の記事はかなり長めになっております。
また今回は、ただでさえ長い記事の中に、専門用語の解説を2度設けております。
石垣島の文化にご興味がおありの御仁はともかく、かならずしもそうではない皆さまにおかれましては、どうかテキトーに流してお読みいただき、ときどき鼻でクスリと笑っていただければ幸甚です。
★☆2024年1月19日(金)★☆
今回は、京成電鉄検見川駅から。
拙宅から成田空港へ公共交通機関で向かった場合、京成利用が最も早いとわかったもので。
京成津田沼駅と宗吾参道駅とで乗りかえて、
成田空港駅に到着。
成田空港から乗ったのは、
peach石垣空港行MM531便。
飛びます、飛びます!(坂上二郎さんより)
いいえ、もう飛んでいます。
あーあ、がっかり!
窓から見える景色は、雲ばっかり。
と、いうことは?
いささか早い時刻ではございますが、
飲まなきゃやってられません罠。
(景色が見えても飲むくせに)
搭乗時間は3時間!
新幹線だったらあっちゅう間だけれど、座席が狭い飛行機ではいささかつらいわ。
雲の下へ降りると、青い海が見えましたよ!
石垣空港へ到着。
まずは、空港内を物色。
大量GET!
でもこの時、なにを入手したかを確認せずにいたことが、後での失敗の原因になったのでした。
石垣空港からは、東運輸の石垣バスターミナル行(市内方面)に乗車。
さんぴん茶を飲みながら向かったのでした。
15分ほどバスに乗って、大浜バス停で下車。
バス停の近くにあった前泊商店で、
昼食と“アレ”とを入手。
雨が降ってきやがった!
昼間なのに“アレ”を入手した天罰か?
雨の中を歩いてバス道を引き返し、大浜公民館までやってまいりました。
その大浜公民館のとなりに、神社のようなものを発見!
一見すると、神社のようにも見えるこの施設。
でもこれは神社ではなく、“御嶽”です。
沖縄本島では“ウタキ”と読むそうですが、
石垣島では“オン”なのだそうです。
その御嶽(ウタキ/オン)が神社とはどうちがうのか。
私が調べた限りでは、下記について異なるのだとか。
(一)信仰の対象物が存在しない。
(二)御嶽(オン)が設けられた目的はそれぞれ異なる。
(三)それぞれの御嶽で祀られている神様はすべて異なる。
(四)閉鎖的な場所である。
そうなんです!
ここから、御嶽に関する長い長い解説が始まるのですよ。
(一)信仰の対象物が存在しない。
日本(ヤマト)の神社には本殿にご神体が祀られていて、それを拝殿から拝むことで神様に通じているわけですよね。
しかし御嶽には、拝殿はあっても、ご神体となるものはありません。
ご神体がなければそれを祀る本殿もなく、“イビ(威部)”と呼ばれる自然の空間が信仰の対象なのだそうです。
さらには拝殿すらなく、ただイビとして、原っぱや雑木林だけしかない御嶽さえもあるのだとか。
「 御嶽は、祈りや祭りを行う「祭祀空間」であり、地域の様々な「伝統芸能」を奉納する「文化的空間」でもある。神司(つかさ)の祈りの場である「イビ」には素足でしか入れない御嶽もある。イビは拝殿と繋がっており、森を最も神聖視する祭祀空間となっている。
御嶽には、日本本土の神社で祭礼を行う本殿にあたる拝殿があるが、そこに御神体はない。道教の廟のような神像やご神体もなければ、仏教の仏像や経典のようなものもない。すなわち、御嶽は建築物の中に神象を奉るものではない。そこは、鬱蒼した森に吹く風、鳥、老木の威厳など、五感で体験できる自然信仰の祭祀空間である。同時に、時代や社会を超え、日々の荒波を生きる人々の魂を蘇らせる森の空間でもある。」(※1)
ところで、上記引用文の中に、“神司(つかさ)”という、神に仕える存在が出てまいりました。
この神司(つかさ)は八重山や宮古での呼称で、沖縄本島では“祝女(ノロ)”と称するそうです。
これについて、文献には以下のような記述がありました。
「祭祀をとり仕切るのが、神社ではほとんど男性の神主であるのに対し、沖縄ではどこへいっても、本島ではノロ、宮古・八重山では司(つかさ)と呼ばれる神女であることだ。」(※2)
「本土では一般に、神社での祭りを司る神主や寺の僧侶は男性であるし、神聖な空間への女性の入域を禁止する女人禁制も多くみられる。沖縄は逆で、宗教儀礼を司るのは女性で、女性たちによって祭祀が営まれる御嶽は、原則的に男子禁制である。」(※3)
なお、御嶽には、鳥居や石灯篭が設置されていることがあります。
しかし、「鳥居は、かつてはなかったようだが、最近設けている御嶽がふえてきた。賽銭箱、狛犬の類は、少なくとも私は、御嶽では目にしたことがない。」(※4)とのこと。
「ヤマト風の鳥居や石燈籠や堂々たる神殿など、もともと余計なものであったろう。」(※5)と書かれておりました。
(二)御嶽(オン)が設けられた目的はそれぞれ異なる。
御嶽は沖縄各地に散在するものの、その設置の目的はそれぞれ異なるそうです。
とは言っても、沖縄本島では、御嶽(ウタキ)は「一村落一御嶽という原則」(※6)があるそうですので、御嶽(ウタキ)に祀られる神は、祖先神や村落の守り神だったりすることが想像できます。
一方で石垣島を中心とする八重山地方では、御嶽(オン)は村落の単位に関係なく設けられているとのこと。
そして御嶽(オン)を設けた目的は、御嶽(オン)を設けた人々の都合で決められていたとのこと。
「 『琉球国由來記』では、御嶽という聖地を、「村を愛護する祖霊神、島立神、島守神と、祝福をもたらすニライ・カナイの神、航海守護神などに関係する聖地に限られている」ようだと仲松氏は理解している(仲松弥秀「御嶽」、『沖縄大百科辞典』上、所収、一九八三年)
この中で最も多いのは村(ムラ)愛護神の御嶽で、古い村ならどこにでも見られる。そのほとんどが血縁的な共同体集落にあり、村の宗家に近い聖所につくられ、そこをカナメとして集落が展開している。この点では祖霊を祭る日本(ヤマト)の村の産土(うぶすな)の社(やしろ)に類似している。しかし、御嶽は祖霊崇拝の村愛護神ばかりではない。航海安全を祈る御嶽もあり、ニライ・カナイ神を祀る御嶽もある。」(※7)
“ニライ・カナイ”とは、沖縄や奄美諸島で信じられている伝説の楽土で、そこから年ごとに神様が訪れて豊穣をもたらし、また火や稲、それに島人の祖先もここから渡来して来たと考えられている場所だそうです。
ニライ・カナイの神を祀るとは、そこから渡来する神様をお招きする場所ということでしょうか?
なぜ御嶽(オン)では、このように多種多彩・各別各異なる神様をそれぞれ祀っているのか。
明確な答えは見つかりませんでしたが、(※5)の文献にはその答えを見つける上で手掛かりになりそうな“分類”がありました。
「 私は石垣市で牧野清氏から次のように聞いたことがある。
「御嶽信仰は結局、人間の欲望から出ているものと思います。私は沢山のウタキの実態の研究から自分なりの分類方法を考えついた。それは祭る側の違いからの分類。祭られている神の性質からの分類、それに発生の違いからの分類です。」
(中略)
この牧野分類法を簡略化すると、次のように整理できるだろう。
一、祭る主体からの分類
a、一族による門中御嶽(もんちゅうオン) b、村共同体で祭る御嶽 c、統治者による蔵元御嶽(くらもとオン)
二、祭る神の違いからの分類
a、農業神 b、海神 c、保護神 (ただし、a、b、cを合わせ祀る場合も多い)
三、御嶽発生(成立の事情)の違いからの分類
a、降火崇拝から b、降穀(こうこく)崇拝から c、降星崇拝から d、航海の安全祈願の場所から e、先祖墓、偉人墓から (そせぞれ(ママ)の聖域となった由來は先述した琉球古記録や村に伝わる神話、伝統の類から識別する。)
右の分類からも分るとおり、沖縄の御嶽は日本の産土社とも神社とも同一視できない。村の平安や農作を祈る場であったり、神秘的な降火体験や降星を見た体験などから、聖地と定めて、村の繁栄を祈った場合もある。また竜宮の神に海の安全祈願や豊漁を祈ったウタキもある。じっさいに石垣島のウタキ(ママ)を回って、年間の祭祀がどのように行われているかを見ても、その性質の多様さが分る。」(※8)
上記の分類以外にも、「“牛馬繁盛”」(※9)を祈願したり、さらには「“雨乞限定”」(※9)の御嶽(オン)もあるそうですよ。
ここからは、私の推測です。
神社には神話があり、寺院には開祖と教義とがあって、その霊験にあやかって各地へ伝播していますよね。
でも御嶽(オン)は、その土地の人々がかつて特定の事象(身の危険・飢饉・不漁・悪天候など)で困っていた歴史があって、その事象を乗り越えるために神様の力を借りたいという、生活に密着した都合で設けられているわけなのでしょうね。
それ故、石垣島など八重山地方における「御嶽信仰は結局、人間の欲望から出ているもの」(※7)と言えるのでしょう。
(三)それぞれの御嶽で祀られている神様はすべて異なる。
このように御嶽(ウタキ/オン)は特定の村落共同体のために(ウタキ)、あるいはその土地の人々の都合や欲望で設けられている(オン)ことから、そこに祭られている神様は一つひとつ異なるものなのだとか。
それ故、日本(ヤマト)の神社のように、複数の神社で同じ神々(天照大神・天神・八幡神・稲荷神など)を祀ることはめったにないそうです。
「 御嶽の神は、御嶽ごとに違い、同じ神名はめったになく、神社にあって素戔嗚尊が日本全国至るところで祀られている如き、同じ神が複数の御嶽に祀られている例はめったにない。これは、それぞれの神が、その土地固有の、土地と深く結びついたた神であることの証左でもあろう。」(※10)
(四)閉鎖的な場所である。
日本(ヤマト)の神社では、もちろん聖域として立ち入りを禁ずる場所はあっても、一般人の参拝を拒むということはまずないと思います。
しかし御嶽は、上述のとおり、ごく狭い範囲の集団のために設けられている施設であることから、その集団に属さない人々の参拝を拒む例が少なくないそうです。
それ故、もちろんイビへの立ち入りは厳禁であるのみならず、たとえ参拝目的であったとしても一般人による域内への立ち入りを拒否する旨を入口で掲示している御嶽もあるのだとか。
観光客には立ち入ってもらいたくないのに、勝手に入って来てしまうので困っている御嶽もあるそうですよ。
ましてや、(一)で紹介した、拝殿すらなく原っぱや雑木林のイビだけが存在する御嶽は、管理がものすごく難しいことでしょう。
そもそもそこへ立ち入る観光客ら島外の人々が、そこを御嶽であると認識できない場所もあるかと推測いたします。
今回、私が引用した文献(※1)の序文のさらに前には、以下の注意書きがありました
「 御嶽は、祭祀の日以外、地域の人々も畏れて立ち入る事を謹む聖地であり、祈りの空間です。
御嶽の現状を変えることや境内のものを持ち去ることは、神罰が下されると伝えられて固く禁じられております。
御嶽によって、許可なく入ることを禁じた看板もあります。
長い間、深い信仰心で守られた御嶽に敬意の心を忘れず、入る際は、地域の方に確認しましょう!」(※11)
と、いうことで、
今回の徘徊では、以下の通りといたしました。
1:御嶽(オン)の域内には入らず、外からの参拝・撮影に留めました。
2:域内への立ち入りが許されていることが明白な場合は、入って参拝させていただきました。
3:2:の場合でも、イビへは入りませんでした(男子禁制)。
それでは、ここ大浜にある御嶽から。
黒石御嶽(グリシオン)。
鳥居は、もともとは御嶽にはなかったことは先述いたしました。
しかし、今回立ち寄った石垣島の御嶽には、ほぼ付いておりましたよ。
拝殿。
拝殿の背後には、イビを画するものと思われる石垣を確認することができました。
海が見えてまいりました。
大石御嶽。
黒石御嶽のとなりにありました。
大石御嶽の隣には、
今回の旅でぜひともご尊顔を拝し奉りたかった御仁が!
この人は、
“オヤケアカハチ”。
このオヤケアカハチなる人物は、
いったいどういう人だったのでしょうか?
まずは、この一文から。
「琉球王朝の第二尚氏、尚真王氏(ママ)時代、つまり西暦一五〇〇年前後、八重山の大浜在住のオヤケアカハチが反乱した。」(※12)
ここからは、オヤケアカハチが、
琉球王府に対して反乱を起こした首謀者だったということがわかります。
なお、
“第二尚氏”とありますが、いわゆる琉球王府の王家(尚氏)は、琉球統一から琉球処分まで、一統ではなかったのです。
中山王だった尚巴志(第一尚氏)が北山と南山とを攻略して琉球を統一するものの、その後、第一尚氏7代目のとき、尚氏の家臣だった金丸かなまるがクーデターによって王座に就き、尚円王と名乗って尚氏の姓を継ぎました(第二尚氏)。
この第二尚氏が、明治政府による琉球処分まで琉球を統治したのでした。
話をオヤケアカハチへ戻します。
オヤケアカハチとは、当時の「石垣島の大浜地区の支配者」(※13)であって、「波照間島生まれのオヤケアカハチは、大望を抱き一時、竹富島に移り住むが、竹富島を経由して、石垣島の大浜に居住することになる。大浜では人々の信頼を受け酋長になったという。」(※14)とあるとおり、
ここ大浜一帯を支配領域とするいわゆる豪族だったわけです。
当時は八重山諸島は琉球王府の支配を受けており、島民に対して重税を課していたとのこと。
「大きな島の石垣島でも、琉球王朝に取入っている親方衆を除いて農漁民たちは貧しい生活を喘いでおり、アカハチは、その味方をせずにはいられなくなる。
彼は、農漁民窮迫の真因は王府の定めた年貢の高いことにあると考え、その減免を願い出たが、王府に取入っている島の有力者=長田大翁主ながたのうふしゆは激怒した。」(※15)
ちなみにこの長田大翁主さん、オヤケアカハチ暗殺のために自分の妹である古乙姥 くいつば をオヤケアカハチの嫁に差し出したそうです。
ところがこの古乙姥さん、なんとオヤケアカハチに心底惚れ込んでメロメロになってしまい、計画は実現しなかったのだとか。
オヤケアカハチは「琉球王府の正式の記録である『球陽』には三年間も貢納しなかったというのである」(※16)とあるものの、いつまでも拒否し続けることができず、実力行使へ。
「アカハチはついに長田大翁主を討ちにかかった。急襲したといわれる。この戦で、長田の二人の弟、那礼塘なれとう、那礼嘉佐成なれかさなりは殺された。長田はかろうじて難を逃れ、西表島の古見こみに落ちのびた。」(※17)
一旦は勝利したかに見えたオヤケアカハチ。
しかし、「一五〇〇年二月二日に、首里王府は軍勢を出した。軍船の数を、『球陽』は四六艘とし、尚真王の事蹟を伝えた『百浦添欄干の銘』には一〇〇艘としている。兵の数を『球陽』は三〇〇〇余としている。」(※17)とあるとおり、王府が大軍勢を率いて掃討に乗り出し、「王府軍が上陸したら、なにしろ多勢に無勢で勝負はきまっていた。アカハチらは善戦もむなしく、ここに憤死したのである。」(※18)との結末を迎えたのでした。
今でも大浜に暮らす人々にとっては、自分たちの先祖とともに歩み、ともに汗をかいて働き、先祖のために戦ってくれたオヤケアカハチは、大浜の英雄であるとお考えなのでしょう。
その想いが、この像の建立に至ったのかもしれません。
オヤケアカハチ像の向かって右側にも、御嶽がありました。
手元にある文献には記載がなかった御嶽。
ネット上では、火の神御嶽(ビィナカンオン)と紹介されておりました。
崎原御嶽(サキバルオン、サキィバルオン)
この奥がイビかな?
ここからは、道をそれて進んでいくと、
出た!
沖縄名物“野良ポトス”。
しかもデカい!
観葉植物のやつとは比べ物にならないね。
さらに進んで行くと、
クワズイモ?
八丈島でも見たけれど、密集度合いがぜんぜんちがう。
あぎじゃびよい!(うわ!)
ぬーやるばーがー。(なんということだ。)
一月だというのに、アサガオが咲いているよ!!
これまたデカい石だこと。
それに木が生えとるがね。
津波大石だってさ。
流されて来たのね。
階段が付いてはいましたが、
イビである可能性もあるので、上がるのは止めました。
津波大石の隣にあるのが、
オヤケアカハチの碑。
オヤケアカハチさんと奥さん(古乙姥 くいつば さん)とが並んで祀られておりました。
古乙姥さんの碑は、かつては別の場所にあったみたいですね。
碑文を乗せておきますが、
気になるとこを抜粋して紹介します。
へー!
日本(ヤマト)では明治維新後までなかった自由民権運動が、ここ石垣島では室町年代にはすでに始まっていたの???(自由民権って表現はどうかと思うな・・・。)
石垣島での自由民権運動に関心していたら、
雨がやみましたよ!
いよいよ海へ。
大浜海岸。
岩場なので海水浴ができない大浜海岸。
観光地ではないせいか、誰もいない。
ここも、何らかの祈りの場だったらしい。
(ネット上では、東崎浜(カースンヤー浜)の願所と紹介されておりました。)
石を並べた祈りの場。
そういえばこういう祈りの場、
↓郷ノ浦港(長崎県壱岐市)でも見たよ。
(壱岐郷ノ浦港にて)
砂が白いね!
オイラの家の近所にある人工海浜(東京湾)とはぜんぜんちがう。
砂地のとなりには、珊瑚でいっぱいの場所がありました。
ワタクシは今、無数に横たわる動物の死骸の上を踏みつけて歩いているわけでございます。
珊瑚の次は、岩場。
地層が見えていますね。
その岩場の一角に、
波で浸食されたと思われる割れ目がありました。
その岩の割れ目の上にあるのが、
これ!
オヤケアカハチの足跡なんだってさ。
それにしても、静かな海。
晴れていたら青色がもっと鮮やかだったことでしょう。
時刻は午後一時。
腹が減ってまいりました。
前泊商店さんで買ってきた、
じゅーしーおにぎりとフライのセット(¥130-)を、
オリオンゼロライフとともにいただきます。
まずは、石垣島に嘉例(かりー:乾杯)!
“じゅーしー”は、沖縄の炊き込みご飯。
豚肉が入っていて、味がしっかり!
でも豚の脂で手がベトベト。
このフライも、ラードを使っているのかな?
なにもつけなくても十分においしい!
くわっちーさびたん!
まーさんでした。
天気も良くなりつつあるので、
中心地を目指して、西へと歩いて行きました。
それにしても、蒸し暑い!
雨が降ってすぐに止み、日が差してきたからでしょう。
一月だというのに、こんな格好でも汗だくでした。
フクギだ!
沖縄の街路樹の代表格ですね。
沖縄では、
丁字路の突き当りには、
石敢當(いしがんとう)があるのが当たり前。
魔除けだそうですね。
シーサーもいるさー。
守り神だもんね。
私としては、赤瓦屋根の上にいる印象が強かったシーサー。
建物が高層化するにつれて、門番へと役割を変えつつあるのかな?
ベニデマリ?、サンタンカ?
これも沖縄の街路樹でよく見かけますね。
しばらく歩くと、公園らしき場所を発見。
でもこれって、御嶽だね!
(安居御嶽(アングンオン))
ここは鳥居をくぐって参拝させていただきました。
公園の一部になっているわけですから、どう見ても参拝してもよいタイプのやつでしょ!
側面から、イビや石碑が丸見えでした。
さらに歩いて行くと、
糸数御嶽(イトゥカジオン)。
航海安全を祈った御嶽だってさ。
拝殿は、あまり手が加えられていない様子。
これは入ってはいけないやつでしょう。
側面からは、イビが丸見え。
イビの奥(西側)は道路に面しており、
石垣越しに、祭壇のようなものがあることが確認できました。
これも御嶽。
天川御嶽(アーマーオン)。
域内には遊具があるし、
説明版もあったので、
参拝可能と判断し、域内に入って拝ませていただきました。
拝殿の背後には。イビとの結界が。
ここへは近づきませんでした。
さらに歩くと、また御嶽らしき森を発見。
いきなりイビとの結界が!
西側へ回ると、鳥居がありました。
美崎御嶽(ミシャギオン、ミサキィオン、クギオン)
オイラには、よそ者の立ち入りを拒んでいるような佇まいだと感じました。
拝殿。
鳥居の手前から中を眺めていたら、
勝手に入り込んで写真を撮っているいい歳したおっさんがいたよ。
オイラの姿を見たら、隠れやがった。
ということは、こいつ確信犯だな。
信仰している人たちの気持ちを蹂躙するな!
ホテルに到着。
予約してあるお店の開店時刻は午後6時。
それまでは、チト早すぎ。
繁華街であるユーグレナモールを徘徊。
3種GET!
でもこれ、全部重複でした。
空港で入手したものを確認しなかったツケが回ってきたのでした。
徘徊していると、いい時間になりました。
今日は、“居酒屋ぶーやー”さんへ。
まずはオリオン!
くわっちーさびら。
ニガナの白和え。
あたしゃどうしてもこれを食べたくて、ぶーやーさんを選んだのでした。
苦味あるが、けっして嫌な苦味ではない。
むしろ青みがほどよくて爽やか。
それにごま油が香ばしいね。
やみつき塩ダレきゅうり。
梅と鰹節風味。
鰹節の味が濃くて、ビールが進む。
それにやっぱり、地方へ来ると野菜がおいしい!
目の前には、石垣島産の泡盛が勢ぞろい。
白百合を水割りでいただきました。
含むと華やかな香りかすかに感じます。
割ってあるのに、米の風味に厚みがありました。
黒麹の香ばしさは弱め。
割ってあるせいか、けっこう飲みやすいわ。
マグロの刺身。
これはおいしい!
臭みはなく、水っぽさもない。
オイラの家の近所にあるスーパーで売っているやつとはぜんぜんちがう!
宮之鶴をロックで。
ピリあるけれど、強くない。
かなり辛口で、キリッとしていますよ。
でも、黒麹の香ばしさ効いていて、飲み応えを感じました。
くわっちーさびたん!
おいしかった!
念願のニガナ白和え、食べることが叶って大満足でした。
二軒目は、石垣島ヴィレッジへ。
ここは小さな店舗が集合している、酒好きにはたまらない場所。
“たたんばぁ”さんへ。
そういえば、宮崎にもお店がありましたね。
一杯目は、請福イムゲー。
香りが華やか。芋の風味穏やかで香ばしく、甘味もはっきりしています。
なお、「イムゲーって何?」とお思いの御仁は、こちらをご参照くださいな。
ポテトサラダをつまみつつ。
二杯目は、島うらら。
石垣産の米で造った泡盛は、米の風味が豊かで、黒麹の香ばしさがおだやかでした。
泡盛と言えばタイ米使用が一般的ですが、地元産のお米で造ったものもあるのね。
甘辛肉団子(3個100円)。
これ、ショウガが効いていてものすごくおいしい!
三杯目は、赤馬。
南国のお酒っぽい華やかな香りがしっかり。
黒麹の香ばしさは穏やかでした。
くわっちーさびたん!
たたんばぁさん、宮崎でも石垣島でも大満足でした。
こうして、石垣島での一日目は、終わりを告げたのでした。
★☆2024年1月20日(土)★☆
翌朝も、やや曇り気味。
まずは街の西側へ歩いて行ったのでした。
御嶽を発見!
長田御嶽(ナーターオン)
一説によれば、長田大翁主ながたのうふしゆ(オヤケアカハチに攻められて西表島へ逃げた人)の一族を祀ってあるとか。
ガジュマルのアーチを発見!
すごいね。
根っこがさ、タイルの目地に沿って網目状に伸びていましたよ。
土がある場所が本能的にわかるんだね。
桃林寺へ。
1614年(慶長19年)開山の古刹。
大坂冬の陣が起きた年ですよ!
本堂で合掌。
境内を散策していたら、
「こんなところにあっていいの?」
と思うものを発見。
これ、
厨子甕(ジーシガーミ:琉球様式の骨壺)ですよね。
遺体を風葬した後、洗骨した骨を納めるやつですよ。
誰か入っているのかな?
「地球上の生きとし生けるもの、草も木も山も川もすべてのものは、お互いに恩恵をうけ、また与えあっている同じ船の客である」という禅語なんだってさ。
平成26年に整備しなおした記念の碑でした。
その背後には、墓石らしきものが並んでおりました。
手元にある文献(下郡剛編著『近世琉球寺院の原風景を追う―石垣島桃林寺の墓碑と三牌―』2015.3 日本史史料研究会)によれば、かつてここには僧侶の墓地があったそうです。
それを上記のとおり整備しなおしたのだとか。
墓石らしきものは、その当時に移設した墓石だそうです。
にゃんこ登場!
遊んでくれました。
ありがとうね。
これも御嶽か?
由来が記された碑があったので、入ってよろしいと解釈いたしました。
入らなきゃ読めませんからね。
八重山キリシタン事件殉教の地だって。
十字の紋が印象的。
これも御嶽の一つ(元宮良の主の御嶽(ムトゥメーラヌシューヌオン))に数えるみたいでした。
本日の折り返し地点まで到達。
長崎御嶽(ナースクオン、ナーサキィオン)
神域へ入れそうな気配はなし。
それ故、鳥居の手前から参拝させていただきました。
でもこの長崎御嶽、隣が公園になっていたのでした。
それ故、イビが丸見えでした。
長崎御嶽からは、今朝来た道の一本南側の道を通って、東へ折り返しました。
途中で立ち寄った酒屋さんで、瑞泉の古酒を見つけてGET!
100mlで600円だってさ。
途中で北へ進路を変更し、さらに歩いていると、
なにやら御嶽のようなものを発見!
へー!
長田大翁主霊だってさ。
またしても出てきた、オヤケアカハチの関係者。
八重山農林高校の一角に、
とある頌徳碑を発見!
うわ!
これ、
このブログではものすごく重要!
ものすごく重要なので、文字に起こしました。
「波照間髙康ハ大史姓第五代目ノ大偉人デ西暦一六九四年(元禄七年)西表首里大屋子時代公用デ首里ヘ出張セラレ公務ヲ終エテ八重山ヘ帰ル途中台風ニ遇イ清國ノ鎮海二漂着シタガ幸ニ厦門将軍大老爺ト面会シ「黄ハンス芋」ノ貴重ナル食糧作物タルコトヲ始メテ知リ其ノ種子ヲ頂キ大事ニ持ッテ琉球本島ニ安着シ直チニ薯種子ヲ垣花ニ仮植シ琉球本島ヘモ分ケ與エソレカラ無事ニ帰郷シテ移植シタノガ八重山ニ於ケル甘藷伝來ノ初メデアル爾來八重山ハ凡ユル災難ニ遭ツテモ芋ノ惠ミニヨツテ救世セラレテキタノデアルココニ於テ島民ハ芋ノ恩惠ニ浴スルト共ニ翁ノ偉功ノ崇髙ナルヲ深ク肝銘シタノデアル翁ハ八重山産業ノ大恩人デアリ其ノ偉德ハ永ク後世ノ亀鑑トナル茲ニ全住民ノ喜捨浄財ニヨリ碑ヲ建テ其ノ功德ヲ賛仰スル次第デアル」
このことは、手元にあった文献でも紹介されておりました。
さつまいもが大陸から琉球へ伝来したルートは複数あるみたいで、そのうちの一つらしい。
このブログでは、かつて、
さつまいもの伝来について、
琉球から薩摩へ伝えた、前田利右衛門さん。
薩摩から八丈島へ伝えた、菊池親子。
の2例を紹介してまいりました。
そして今、ここに、
大陸(清国)から八重山へ伝えた波照間高康さんの例が追加されたのでした。
めでたし、めでたし!
(自己満足だな)
さつまいものことを考えていたら、腹が減ってまいりました。
そこで向かったのは、知念商会さん。
知念商会さんと言えば、
“オニササ”ですよね。
ささみフライ(¥200)を取って、
おにぎり(¥80)を取って、
あいだにソースをかけて、
袋を裏返して、
ギューッ!
オニササのできあがり。
おにぎりとささみフライとをギューッとするから、オニササ。
でーじまーさん!(とてもおいしい!)
ささみがやわらかくて、衣がカリカリ!
お米はつやつやした炊き方で最高!
その両者がギューッで熟(な)れた感じがとてもおいしい。
これにはビールやな、ビール!
(なんで2回言うんだよ)
オニササで、お腹も心も満たされました。
知念商会さんから進路を南へ戻した酔っぱらい。
さらに歩いていると、
小学校に出くわしました。
その一角に、奉安殿を発見!
戦前戦中にかけて建てられた、御真影(天皇皇后の写真)と教育勅語とをしまっておくための倉庫。
かつて筑波鉄道筑波線の真壁駅跡で見かけて以来のご無沙汰でした。
さらに歩いていると、路地の奥に鳥居を発見。
手元にある文献には記載なし。
ネット上では、岸若御嶽(キツィパカオン)と紹介されておりました。
小さな御嶽でした。
ユーグレナモールへ戻ってまいりました。
そこで、これらをGET!
これらは石垣島産ではごさいませんが、初見故にGETいたしました。
ホテルへ戻ってきた酔っぱらい。
二日間の成果を梱包し、
郵便局から発送。
これだけあると、飛行機の機内へ持ち込めないでしょうからね。
その後徘徊を再開していたら、雑貨店を発見。
FILさん。
あーあ、
また悪いクセが出てしまった(¥1,650-)。
連れて帰って来てしまったのでした。
.
時刻はいささか早めでしたが、
飲み始めることにいたしました。
730交差点。
その北側にあった、73バルさんへ。
730円で三杯飲めるんだってさ。
ただしビールは+90円。
まずはオリオン生。
歩き回ったせいか、いっそうおいしい!
マカロニサラダを頼んだら、
「ハーフにしたほうがいい。」と言われて、従ったのですが、
この量でハーフって、いったい?
カレー味で、チリ少し。
これは酒が進んでしまうやつですぞ!
スパムも入っとるがや。
水菜が出てきてこんにちは。
枝豆も、一人前にしてはけっこうな量でしたよ。
二杯目は、宮之鶴をソーダ割りで。
かなり軽い、スイスイと行けてしまいました。
三杯目は、請福ソーダ割り。
黒麹の風味が穏やかながらも効いておりました。
くわっちーさびたん!
¥1,600台でした
ここで引き揚げるには、いささか早すぎ。
そこで今日も、石垣島ヴィレッジへ。
せんべろ風土さんへ。
1,000円で三杯+小鉢のシステム。
ただしビールは一杯のみ利用可。
ここでもまずはビールから。
ゆし豆腐。
豆の味が濃いね。
柴漬け食べたい!(山口美江より)。
八重山かまぼこ。
赤坂小町!
じゃなかった、プリプリ!
二杯目は、請福ロック。
おいしい!
麹の香りほんのり
苦味少しあって、黒麹の香ばしさはっきり。
甘みもほんのり感じました。
アジフライ。
揚げたてに限る!
三杯目は、於茂登ロック。
アルコール香かすか。甘くて苦味が鋭い。麹香り弱め。
これもおいしいね。
くわっちーさびたん!
¥1,800台でした。
まだ明るいですけれど、
けっこう飲んだので、これで退散。
ホテルへ戻ったのでした。
こうして、石垣島での二日目は、終わりを告げたのでした。
★☆2024年1月21日(日)★☆
三日目の朝。
雨でした。
最終日は、昼の便で成田へ戻る予定でした。
そこでまずは、730交差点を渡って、
バスターミナルの位置を確認したのですが、
戻ろうとしたら、
マラソンが始まっていて戻れず。
しかたがない。
戻れないとわかったからには、そりゃ、
たとえ朝であっても、
飲むしかしかたがありません罠。
9時発のバスに乗ろうとしたのですが、
運転手さんが到着したのが3分後で、出発が4分後。
沖縄の人は、ゆっくりだねぇ。
しかもバスは、マラソン渋滞に引っかかって動けやしない。
なんとか石垣空港にたどり着いたのですが、
通常では30分ほどの行程のはずなのに、
一時間近くかかってしまったのでした。
腹が減ったので、早めの昼食。
そういえば、石垣島へ来たのに、八重山そばを食べていませんでした。
魚の出汁がおいしい。
丸麺で、噛み応えしっかり。
もちろんビールにも合う!
くわっちーさびたん!
帰りもpeach
石垣島よ、さようなら。
生きてさえいれば、また来られるだろう。
この日も窓から見えたのは雲ばかり。
しかたがないので、ビールを飲みながら帰ったとさ。
その日の夜のこと・・・。
昨日送ったばかりの荷物が、
もう届いちゃった!
成果を無事、回収することができたのでした。
めでたし、めでたし!
【引用した文献】
(※1)李春子『八重山の御嶽-「祈り」と「祭り」の祭祀空間』p.130(李春子編著『八重山の御嶽-自然と文化』p.130-199 2019.3 榕樹書林)
(※2)岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』p.12(2019.2 平凡社新書905)
(※3)赤嶺政信監修『沖縄の神と食の文化』p.23(2003.4 青春出版社プレイブックスインテリジェンスPI-055)
(※4)(※2)p.8-12
(※5)色川大吉『御嶽信仰と祖先崇拝-八重山群島石垣島の場合-』p.150(東京経済大学人文自然科学論集 通号94 p.162-150 東京経済大学人文自然科学研究会)
(※6)(※3)p.24
(※7)(※5)p.162
(※8)(※5)p.162-161
(※9)藤井佐美『石垣島の御嶽と説話-四箇の伝承事例を中心に-』p.146-148四箇御嶽一覧表より(説話・伝承学 20巻 p.144-160 2012.3 説話・伝承学会)
(※10)(※2)p,17-18
(※11)(※1)p.2
(※12)丸山顯德『沖縄八重山のオヤケアカハチの戦い』p.228-229(アジア遊学 189号 p.228-232 2015.09 勉誠出版)
(※13)大城立裕『琉球の英傑たち』p.147(1992.10 プレジデント社)
(※14)(※12)p.230
(※15)上笙一郎『日本植民地児童文学史 稿・30 叙事詩『オヤケ アカハチ』の役割 -琉球=沖縄篇(4)の下』p.36(日本古書通信 第982号 p.36-37 2011.5 日本古書通信社)
(※16)(※12)p.229
(※17)(※13)p.156
(※18)(※13)p.157
石垣島には、泡盛の蔵元さんが6軒ございます。
「石垣島産の泡盛の小瓶を集めてやろう!」
「運がよければ、カップ泡盛にも出会うかも!」
と思いつつ、出かけてまいりました。
なお、いつものごとく、旅の記事はかなり長めになっております。
また今回は、ただでさえ長い記事の中に、専門用語の解説を2度設けております。
石垣島の文化にご興味がおありの御仁はともかく、かならずしもそうではない皆さまにおかれましては、どうかテキトーに流してお読みいただき、ときどき鼻でクスリと笑っていただければ幸甚です。
★☆2024年1月19日(金)★☆
今回は、京成電鉄検見川駅から。
拙宅から成田空港へ公共交通機関で向かった場合、京成利用が最も早いとわかったもので。
京成津田沼駅と宗吾参道駅とで乗りかえて、
成田空港駅に到着。
成田空港から乗ったのは、
peach石垣空港行MM531便。
飛びます、飛びます!(坂上二郎さんより)
いいえ、もう飛んでいます。
あーあ、がっかり!
窓から見える景色は、雲ばっかり。
と、いうことは?
いささか早い時刻ではございますが、
飲まなきゃやってられません罠。
(景色が見えても飲むくせに)
搭乗時間は3時間!
新幹線だったらあっちゅう間だけれど、座席が狭い飛行機ではいささかつらいわ。
雲の下へ降りると、青い海が見えましたよ!
石垣空港へ到着。
まずは、空港内を物色。
大量GET!
でもこの時、なにを入手したかを確認せずにいたことが、後での失敗の原因になったのでした。
石垣空港からは、東運輸の石垣バスターミナル行(市内方面)に乗車。
さんぴん茶を飲みながら向かったのでした。
15分ほどバスに乗って、大浜バス停で下車。
バス停の近くにあった前泊商店で、
昼食と“アレ”とを入手。
雨が降ってきやがった!
昼間なのに“アレ”を入手した天罰か?
雨の中を歩いてバス道を引き返し、大浜公民館までやってまいりました。
その大浜公民館のとなりに、神社のようなものを発見!
一見すると、神社のようにも見えるこの施設。
でもこれは神社ではなく、“御嶽”です。
沖縄本島では“ウタキ”と読むそうですが、
石垣島では“オン”なのだそうです。
その御嶽(ウタキ/オン)が神社とはどうちがうのか。
私が調べた限りでは、下記について異なるのだとか。
(一)信仰の対象物が存在しない。
(二)御嶽(オン)が設けられた目的はそれぞれ異なる。
(三)それぞれの御嶽で祀られている神様はすべて異なる。
(四)閉鎖的な場所である。
そうなんです!
ここから、御嶽に関する長い長い解説が始まるのですよ。
(一)信仰の対象物が存在しない。
日本(ヤマト)の神社には本殿にご神体が祀られていて、それを拝殿から拝むことで神様に通じているわけですよね。
しかし御嶽には、拝殿はあっても、ご神体となるものはありません。
ご神体がなければそれを祀る本殿もなく、“イビ(威部)”と呼ばれる自然の空間が信仰の対象なのだそうです。
さらには拝殿すらなく、ただイビとして、原っぱや雑木林だけしかない御嶽さえもあるのだとか。
「 御嶽は、祈りや祭りを行う「祭祀空間」であり、地域の様々な「伝統芸能」を奉納する「文化的空間」でもある。神司(つかさ)の祈りの場である「イビ」には素足でしか入れない御嶽もある。イビは拝殿と繋がっており、森を最も神聖視する祭祀空間となっている。
御嶽には、日本本土の神社で祭礼を行う本殿にあたる拝殿があるが、そこに御神体はない。道教の廟のような神像やご神体もなければ、仏教の仏像や経典のようなものもない。すなわち、御嶽は建築物の中に神象を奉るものではない。そこは、鬱蒼した森に吹く風、鳥、老木の威厳など、五感で体験できる自然信仰の祭祀空間である。同時に、時代や社会を超え、日々の荒波を生きる人々の魂を蘇らせる森の空間でもある。」(※1)
ところで、上記引用文の中に、“神司(つかさ)”という、神に仕える存在が出てまいりました。
この神司(つかさ)は八重山や宮古での呼称で、沖縄本島では“祝女(ノロ)”と称するそうです。
これについて、文献には以下のような記述がありました。
「祭祀をとり仕切るのが、神社ではほとんど男性の神主であるのに対し、沖縄ではどこへいっても、本島ではノロ、宮古・八重山では司(つかさ)と呼ばれる神女であることだ。」(※2)
「本土では一般に、神社での祭りを司る神主や寺の僧侶は男性であるし、神聖な空間への女性の入域を禁止する女人禁制も多くみられる。沖縄は逆で、宗教儀礼を司るのは女性で、女性たちによって祭祀が営まれる御嶽は、原則的に男子禁制である。」(※3)
なお、御嶽には、鳥居や石灯篭が設置されていることがあります。
しかし、「鳥居は、かつてはなかったようだが、最近設けている御嶽がふえてきた。賽銭箱、狛犬の類は、少なくとも私は、御嶽では目にしたことがない。」(※4)とのこと。
「ヤマト風の鳥居や石燈籠や堂々たる神殿など、もともと余計なものであったろう。」(※5)と書かれておりました。
(二)御嶽(オン)が設けられた目的はそれぞれ異なる。
御嶽は沖縄各地に散在するものの、その設置の目的はそれぞれ異なるそうです。
とは言っても、沖縄本島では、御嶽(ウタキ)は「一村落一御嶽という原則」(※6)があるそうですので、御嶽(ウタキ)に祀られる神は、祖先神や村落の守り神だったりすることが想像できます。
一方で石垣島を中心とする八重山地方では、御嶽(オン)は村落の単位に関係なく設けられているとのこと。
そして御嶽(オン)を設けた目的は、御嶽(オン)を設けた人々の都合で決められていたとのこと。
「 『琉球国由來記』では、御嶽という聖地を、「村を愛護する祖霊神、島立神、島守神と、祝福をもたらすニライ・カナイの神、航海守護神などに関係する聖地に限られている」ようだと仲松氏は理解している(仲松弥秀「御嶽」、『沖縄大百科辞典』上、所収、一九八三年)
この中で最も多いのは村(ムラ)愛護神の御嶽で、古い村ならどこにでも見られる。そのほとんどが血縁的な共同体集落にあり、村の宗家に近い聖所につくられ、そこをカナメとして集落が展開している。この点では祖霊を祭る日本(ヤマト)の村の産土(うぶすな)の社(やしろ)に類似している。しかし、御嶽は祖霊崇拝の村愛護神ばかりではない。航海安全を祈る御嶽もあり、ニライ・カナイ神を祀る御嶽もある。」(※7)
“ニライ・カナイ”とは、沖縄や奄美諸島で信じられている伝説の楽土で、そこから年ごとに神様が訪れて豊穣をもたらし、また火や稲、それに島人の祖先もここから渡来して来たと考えられている場所だそうです。
ニライ・カナイの神を祀るとは、そこから渡来する神様をお招きする場所ということでしょうか?
なぜ御嶽(オン)では、このように多種多彩・各別各異なる神様をそれぞれ祀っているのか。
明確な答えは見つかりませんでしたが、(※5)の文献にはその答えを見つける上で手掛かりになりそうな“分類”がありました。
「 私は石垣市で牧野清氏から次のように聞いたことがある。
「御嶽信仰は結局、人間の欲望から出ているものと思います。私は沢山のウタキの実態の研究から自分なりの分類方法を考えついた。それは祭る側の違いからの分類。祭られている神の性質からの分類、それに発生の違いからの分類です。」
(中略)
この牧野分類法を簡略化すると、次のように整理できるだろう。
一、祭る主体からの分類
a、一族による門中御嶽(もんちゅうオン) b、村共同体で祭る御嶽 c、統治者による蔵元御嶽(くらもとオン)
二、祭る神の違いからの分類
a、農業神 b、海神 c、保護神 (ただし、a、b、cを合わせ祀る場合も多い)
三、御嶽発生(成立の事情)の違いからの分類
a、降火崇拝から b、降穀(こうこく)崇拝から c、降星崇拝から d、航海の安全祈願の場所から e、先祖墓、偉人墓から (そせぞれ(ママ)の聖域となった由來は先述した琉球古記録や村に伝わる神話、伝統の類から識別する。)
右の分類からも分るとおり、沖縄の御嶽は日本の産土社とも神社とも同一視できない。村の平安や農作を祈る場であったり、神秘的な降火体験や降星を見た体験などから、聖地と定めて、村の繁栄を祈った場合もある。また竜宮の神に海の安全祈願や豊漁を祈ったウタキもある。じっさいに石垣島のウタキ(ママ)を回って、年間の祭祀がどのように行われているかを見ても、その性質の多様さが分る。」(※8)
上記の分類以外にも、「“牛馬繁盛”」(※9)を祈願したり、さらには「“雨乞限定”」(※9)の御嶽(オン)もあるそうですよ。
ここからは、私の推測です。
神社には神話があり、寺院には開祖と教義とがあって、その霊験にあやかって各地へ伝播していますよね。
でも御嶽(オン)は、その土地の人々がかつて特定の事象(身の危険・飢饉・不漁・悪天候など)で困っていた歴史があって、その事象を乗り越えるために神様の力を借りたいという、生活に密着した都合で設けられているわけなのでしょうね。
それ故、石垣島など八重山地方における「御嶽信仰は結局、人間の欲望から出ているもの」(※7)と言えるのでしょう。
(三)それぞれの御嶽で祀られている神様はすべて異なる。
このように御嶽(ウタキ/オン)は特定の村落共同体のために(ウタキ)、あるいはその土地の人々の都合や欲望で設けられている(オン)ことから、そこに祭られている神様は一つひとつ異なるものなのだとか。
それ故、日本(ヤマト)の神社のように、複数の神社で同じ神々(天照大神・天神・八幡神・稲荷神など)を祀ることはめったにないそうです。
「 御嶽の神は、御嶽ごとに違い、同じ神名はめったになく、神社にあって素戔嗚尊が日本全国至るところで祀られている如き、同じ神が複数の御嶽に祀られている例はめったにない。これは、それぞれの神が、その土地固有の、土地と深く結びついたた神であることの証左でもあろう。」(※10)
(四)閉鎖的な場所である。
日本(ヤマト)の神社では、もちろん聖域として立ち入りを禁ずる場所はあっても、一般人の参拝を拒むということはまずないと思います。
しかし御嶽は、上述のとおり、ごく狭い範囲の集団のために設けられている施設であることから、その集団に属さない人々の参拝を拒む例が少なくないそうです。
それ故、もちろんイビへの立ち入りは厳禁であるのみならず、たとえ参拝目的であったとしても一般人による域内への立ち入りを拒否する旨を入口で掲示している御嶽もあるのだとか。
観光客には立ち入ってもらいたくないのに、勝手に入って来てしまうので困っている御嶽もあるそうですよ。
ましてや、(一)で紹介した、拝殿すらなく原っぱや雑木林のイビだけが存在する御嶽は、管理がものすごく難しいことでしょう。
そもそもそこへ立ち入る観光客ら島外の人々が、そこを御嶽であると認識できない場所もあるかと推測いたします。
今回、私が引用した文献(※1)の序文のさらに前には、以下の注意書きがありました
「 御嶽は、祭祀の日以外、地域の人々も畏れて立ち入る事を謹む聖地であり、祈りの空間です。
御嶽の現状を変えることや境内のものを持ち去ることは、神罰が下されると伝えられて固く禁じられております。
御嶽によって、許可なく入ることを禁じた看板もあります。
長い間、深い信仰心で守られた御嶽に敬意の心を忘れず、入る際は、地域の方に確認しましょう!」(※11)
と、いうことで、
今回の徘徊では、以下の通りといたしました。
1:御嶽(オン)の域内には入らず、外からの参拝・撮影に留めました。
2:域内への立ち入りが許されていることが明白な場合は、入って参拝させていただきました。
3:2:の場合でも、イビへは入りませんでした(男子禁制)。
それでは、ここ大浜にある御嶽から。
黒石御嶽(グリシオン)。
鳥居は、もともとは御嶽にはなかったことは先述いたしました。
しかし、今回立ち寄った石垣島の御嶽には、ほぼ付いておりましたよ。
拝殿。
拝殿の背後には、イビを画するものと思われる石垣を確認することができました。
海が見えてまいりました。
大石御嶽。
黒石御嶽のとなりにありました。
大石御嶽の隣には、
今回の旅でぜひともご尊顔を拝し奉りたかった御仁が!
この人は、
“オヤケアカハチ”。
このオヤケアカハチなる人物は、
いったいどういう人だったのでしょうか?
まずは、この一文から。
「琉球王朝の第二尚氏、尚真王氏(ママ)時代、つまり西暦一五〇〇年前後、八重山の大浜在住のオヤケアカハチが反乱した。」(※12)
ここからは、オヤケアカハチが、
琉球王府に対して反乱を起こした首謀者だったということがわかります。
なお、
“第二尚氏”とありますが、いわゆる琉球王府の王家(尚氏)は、琉球統一から琉球処分まで、一統ではなかったのです。
中山王だった尚巴志(第一尚氏)が北山と南山とを攻略して琉球を統一するものの、その後、第一尚氏7代目のとき、尚氏の家臣だった金丸かなまるがクーデターによって王座に就き、尚円王と名乗って尚氏の姓を継ぎました(第二尚氏)。
この第二尚氏が、明治政府による琉球処分まで琉球を統治したのでした。
話をオヤケアカハチへ戻します。
オヤケアカハチとは、当時の「石垣島の大浜地区の支配者」(※13)であって、「波照間島生まれのオヤケアカハチは、大望を抱き一時、竹富島に移り住むが、竹富島を経由して、石垣島の大浜に居住することになる。大浜では人々の信頼を受け酋長になったという。」(※14)とあるとおり、
ここ大浜一帯を支配領域とするいわゆる豪族だったわけです。
当時は八重山諸島は琉球王府の支配を受けており、島民に対して重税を課していたとのこと。
「大きな島の石垣島でも、琉球王朝に取入っている親方衆を除いて農漁民たちは貧しい生活を喘いでおり、アカハチは、その味方をせずにはいられなくなる。
彼は、農漁民窮迫の真因は王府の定めた年貢の高いことにあると考え、その減免を願い出たが、王府に取入っている島の有力者=長田大翁主ながたのうふしゆは激怒した。」(※15)
ちなみにこの長田大翁主さん、オヤケアカハチ暗殺のために自分の妹である古乙姥 くいつば をオヤケアカハチの嫁に差し出したそうです。
ところがこの古乙姥さん、なんとオヤケアカハチに心底惚れ込んでメロメロになってしまい、計画は実現しなかったのだとか。
オヤケアカハチは「琉球王府の正式の記録である『球陽』には三年間も貢納しなかったというのである」(※16)とあるものの、いつまでも拒否し続けることができず、実力行使へ。
「アカハチはついに長田大翁主を討ちにかかった。急襲したといわれる。この戦で、長田の二人の弟、那礼塘なれとう、那礼嘉佐成なれかさなりは殺された。長田はかろうじて難を逃れ、西表島の古見こみに落ちのびた。」(※17)
一旦は勝利したかに見えたオヤケアカハチ。
しかし、「一五〇〇年二月二日に、首里王府は軍勢を出した。軍船の数を、『球陽』は四六艘とし、尚真王の事蹟を伝えた『百浦添欄干の銘』には一〇〇艘としている。兵の数を『球陽』は三〇〇〇余としている。」(※17)とあるとおり、王府が大軍勢を率いて掃討に乗り出し、「王府軍が上陸したら、なにしろ多勢に無勢で勝負はきまっていた。アカハチらは善戦もむなしく、ここに憤死したのである。」(※18)との結末を迎えたのでした。
今でも大浜に暮らす人々にとっては、自分たちの先祖とともに歩み、ともに汗をかいて働き、先祖のために戦ってくれたオヤケアカハチは、大浜の英雄であるとお考えなのでしょう。
その想いが、この像の建立に至ったのかもしれません。
オヤケアカハチ像の向かって右側にも、御嶽がありました。
手元にある文献には記載がなかった御嶽。
ネット上では、火の神御嶽(ビィナカンオン)と紹介されておりました。
崎原御嶽(サキバルオン、サキィバルオン)
この奥がイビかな?
ここからは、道をそれて進んでいくと、
出た!
沖縄名物“野良ポトス”。
しかもデカい!
観葉植物のやつとは比べ物にならないね。
さらに進んで行くと、
クワズイモ?
八丈島でも見たけれど、密集度合いがぜんぜんちがう。
あぎじゃびよい!(うわ!)
ぬーやるばーがー。(なんということだ。)
一月だというのに、アサガオが咲いているよ!!
これまたデカい石だこと。
それに木が生えとるがね。
津波大石だってさ。
流されて来たのね。
階段が付いてはいましたが、
イビである可能性もあるので、上がるのは止めました。
津波大石の隣にあるのが、
オヤケアカハチの碑。
オヤケアカハチさんと奥さん(古乙姥 くいつば さん)とが並んで祀られておりました。
古乙姥さんの碑は、かつては別の場所にあったみたいですね。
碑文を乗せておきますが、
気になるとこを抜粋して紹介します。
へー!
日本(ヤマト)では明治維新後までなかった自由民権運動が、ここ石垣島では室町年代にはすでに始まっていたの???(自由民権って表現はどうかと思うな・・・。)
石垣島での自由民権運動に関心していたら、
雨がやみましたよ!
いよいよ海へ。
大浜海岸。
岩場なので海水浴ができない大浜海岸。
観光地ではないせいか、誰もいない。
ここも、何らかの祈りの場だったらしい。
(ネット上では、東崎浜(カースンヤー浜)の願所と紹介されておりました。)
石を並べた祈りの場。
そういえばこういう祈りの場、
↓郷ノ浦港(長崎県壱岐市)でも見たよ。
(壱岐郷ノ浦港にて)
砂が白いね!
オイラの家の近所にある人工海浜(東京湾)とはぜんぜんちがう。
砂地のとなりには、珊瑚でいっぱいの場所がありました。
ワタクシは今、無数に横たわる動物の死骸の上を踏みつけて歩いているわけでございます。
珊瑚の次は、岩場。
地層が見えていますね。
その岩場の一角に、
波で浸食されたと思われる割れ目がありました。
その岩の割れ目の上にあるのが、
これ!
オヤケアカハチの足跡なんだってさ。
それにしても、静かな海。
晴れていたら青色がもっと鮮やかだったことでしょう。
時刻は午後一時。
腹が減ってまいりました。
前泊商店さんで買ってきた、
じゅーしーおにぎりとフライのセット(¥130-)を、
オリオンゼロライフとともにいただきます。
まずは、石垣島に嘉例(かりー:乾杯)!
“じゅーしー”は、沖縄の炊き込みご飯。
豚肉が入っていて、味がしっかり!
でも豚の脂で手がベトベト。
このフライも、ラードを使っているのかな?
なにもつけなくても十分においしい!
くわっちーさびたん!
まーさんでした。
天気も良くなりつつあるので、
中心地を目指して、西へと歩いて行きました。
それにしても、蒸し暑い!
雨が降ってすぐに止み、日が差してきたからでしょう。
一月だというのに、こんな格好でも汗だくでした。
フクギだ!
沖縄の街路樹の代表格ですね。
沖縄では、
丁字路の突き当りには、
石敢當(いしがんとう)があるのが当たり前。
魔除けだそうですね。
シーサーもいるさー。
守り神だもんね。
私としては、赤瓦屋根の上にいる印象が強かったシーサー。
建物が高層化するにつれて、門番へと役割を変えつつあるのかな?
ベニデマリ?、サンタンカ?
これも沖縄の街路樹でよく見かけますね。
しばらく歩くと、公園らしき場所を発見。
でもこれって、御嶽だね!
(安居御嶽(アングンオン))
ここは鳥居をくぐって参拝させていただきました。
公園の一部になっているわけですから、どう見ても参拝してもよいタイプのやつでしょ!
側面から、イビや石碑が丸見えでした。
さらに歩いて行くと、
糸数御嶽(イトゥカジオン)。
航海安全を祈った御嶽だってさ。
拝殿は、あまり手が加えられていない様子。
これは入ってはいけないやつでしょう。
側面からは、イビが丸見え。
イビの奥(西側)は道路に面しており、
石垣越しに、祭壇のようなものがあることが確認できました。
これも御嶽。
天川御嶽(アーマーオン)。
域内には遊具があるし、
説明版もあったので、
参拝可能と判断し、域内に入って拝ませていただきました。
拝殿の背後には。イビとの結界が。
ここへは近づきませんでした。
さらに歩くと、また御嶽らしき森を発見。
いきなりイビとの結界が!
西側へ回ると、鳥居がありました。
美崎御嶽(ミシャギオン、ミサキィオン、クギオン)
オイラには、よそ者の立ち入りを拒んでいるような佇まいだと感じました。
拝殿。
鳥居の手前から中を眺めていたら、
勝手に入り込んで写真を撮っているいい歳したおっさんがいたよ。
オイラの姿を見たら、隠れやがった。
ということは、こいつ確信犯だな。
信仰している人たちの気持ちを蹂躙するな!
ホテルに到着。
予約してあるお店の開店時刻は午後6時。
それまでは、チト早すぎ。
繁華街であるユーグレナモールを徘徊。
3種GET!
でもこれ、全部重複でした。
空港で入手したものを確認しなかったツケが回ってきたのでした。
徘徊していると、いい時間になりました。
今日は、“居酒屋ぶーやー”さんへ。
まずはオリオン!
くわっちーさびら。
ニガナの白和え。
あたしゃどうしてもこれを食べたくて、ぶーやーさんを選んだのでした。
苦味あるが、けっして嫌な苦味ではない。
むしろ青みがほどよくて爽やか。
それにごま油が香ばしいね。
やみつき塩ダレきゅうり。
梅と鰹節風味。
鰹節の味が濃くて、ビールが進む。
それにやっぱり、地方へ来ると野菜がおいしい!
目の前には、石垣島産の泡盛が勢ぞろい。
白百合を水割りでいただきました。
含むと華やかな香りかすかに感じます。
割ってあるのに、米の風味に厚みがありました。
黒麹の香ばしさは弱め。
割ってあるせいか、けっこう飲みやすいわ。
マグロの刺身。
これはおいしい!
臭みはなく、水っぽさもない。
オイラの家の近所にあるスーパーで売っているやつとはぜんぜんちがう!
宮之鶴をロックで。
ピリあるけれど、強くない。
かなり辛口で、キリッとしていますよ。
でも、黒麹の香ばしさ効いていて、飲み応えを感じました。
くわっちーさびたん!
おいしかった!
念願のニガナ白和え、食べることが叶って大満足でした。
二軒目は、石垣島ヴィレッジへ。
ここは小さな店舗が集合している、酒好きにはたまらない場所。
“たたんばぁ”さんへ。
そういえば、宮崎にもお店がありましたね。
一杯目は、請福イムゲー。
香りが華やか。芋の風味穏やかで香ばしく、甘味もはっきりしています。
なお、「イムゲーって何?」とお思いの御仁は、こちらをご参照くださいな。
ポテトサラダをつまみつつ。
二杯目は、島うらら。
石垣産の米で造った泡盛は、米の風味が豊かで、黒麹の香ばしさがおだやかでした。
泡盛と言えばタイ米使用が一般的ですが、地元産のお米で造ったものもあるのね。
甘辛肉団子(3個100円)。
これ、ショウガが効いていてものすごくおいしい!
三杯目は、赤馬。
南国のお酒っぽい華やかな香りがしっかり。
黒麹の香ばしさは穏やかでした。
くわっちーさびたん!
たたんばぁさん、宮崎でも石垣島でも大満足でした。
こうして、石垣島での一日目は、終わりを告げたのでした。
★☆2024年1月20日(土)★☆
翌朝も、やや曇り気味。
まずは街の西側へ歩いて行ったのでした。
御嶽を発見!
長田御嶽(ナーターオン)
一説によれば、長田大翁主ながたのうふしゆ(オヤケアカハチに攻められて西表島へ逃げた人)の一族を祀ってあるとか。
ガジュマルのアーチを発見!
すごいね。
根っこがさ、タイルの目地に沿って網目状に伸びていましたよ。
土がある場所が本能的にわかるんだね。
桃林寺へ。
1614年(慶長19年)開山の古刹。
大坂冬の陣が起きた年ですよ!
本堂で合掌。
境内を散策していたら、
「こんなところにあっていいの?」
と思うものを発見。
これ、
厨子甕(ジーシガーミ:琉球様式の骨壺)ですよね。
遺体を風葬した後、洗骨した骨を納めるやつですよ。
誰か入っているのかな?
「地球上の生きとし生けるもの、草も木も山も川もすべてのものは、お互いに恩恵をうけ、また与えあっている同じ船の客である」という禅語なんだってさ。
平成26年に整備しなおした記念の碑でした。
その背後には、墓石らしきものが並んでおりました。
手元にある文献(下郡剛編著『近世琉球寺院の原風景を追う―石垣島桃林寺の墓碑と三牌―』2015.3 日本史史料研究会)によれば、かつてここには僧侶の墓地があったそうです。
それを上記のとおり整備しなおしたのだとか。
墓石らしきものは、その当時に移設した墓石だそうです。
にゃんこ登場!
遊んでくれました。
ありがとうね。
これも御嶽か?
由来が記された碑があったので、入ってよろしいと解釈いたしました。
入らなきゃ読めませんからね。
八重山キリシタン事件殉教の地だって。
十字の紋が印象的。
これも御嶽の一つ(元宮良の主の御嶽(ムトゥメーラヌシューヌオン))に数えるみたいでした。
本日の折り返し地点まで到達。
長崎御嶽(ナースクオン、ナーサキィオン)
神域へ入れそうな気配はなし。
それ故、鳥居の手前から参拝させていただきました。
でもこの長崎御嶽、隣が公園になっていたのでした。
それ故、イビが丸見えでした。
長崎御嶽からは、今朝来た道の一本南側の道を通って、東へ折り返しました。
途中で立ち寄った酒屋さんで、瑞泉の古酒を見つけてGET!
100mlで600円だってさ。
途中で北へ進路を変更し、さらに歩いていると、
なにやら御嶽のようなものを発見!
へー!
長田大翁主霊だってさ。
またしても出てきた、オヤケアカハチの関係者。
八重山農林高校の一角に、
とある頌徳碑を発見!
うわ!
これ、
このブログではものすごく重要!
ものすごく重要なので、文字に起こしました。
「波照間髙康ハ大史姓第五代目ノ大偉人デ西暦一六九四年(元禄七年)西表首里大屋子時代公用デ首里ヘ出張セラレ公務ヲ終エテ八重山ヘ帰ル途中台風ニ遇イ清國ノ鎮海二漂着シタガ幸ニ厦門将軍大老爺ト面会シ「黄ハンス芋」ノ貴重ナル食糧作物タルコトヲ始メテ知リ其ノ種子ヲ頂キ大事ニ持ッテ琉球本島ニ安着シ直チニ薯種子ヲ垣花ニ仮植シ琉球本島ヘモ分ケ與エソレカラ無事ニ帰郷シテ移植シタノガ八重山ニ於ケル甘藷伝來ノ初メデアル爾來八重山ハ凡ユル災難ニ遭ツテモ芋ノ惠ミニヨツテ救世セラレテキタノデアルココニ於テ島民ハ芋ノ恩惠ニ浴スルト共ニ翁ノ偉功ノ崇髙ナルヲ深ク肝銘シタノデアル翁ハ八重山産業ノ大恩人デアリ其ノ偉德ハ永ク後世ノ亀鑑トナル茲ニ全住民ノ喜捨浄財ニヨリ碑ヲ建テ其ノ功德ヲ賛仰スル次第デアル」
このことは、手元にあった文献でも紹介されておりました。
さつまいもが大陸から琉球へ伝来したルートは複数あるみたいで、そのうちの一つらしい。
このブログでは、かつて、
さつまいもの伝来について、
琉球から薩摩へ伝えた、前田利右衛門さん。
薩摩から八丈島へ伝えた、菊池親子。
の2例を紹介してまいりました。
そして今、ここに、
大陸(清国)から八重山へ伝えた波照間高康さんの例が追加されたのでした。
めでたし、めでたし!
(自己満足だな)
さつまいものことを考えていたら、腹が減ってまいりました。
そこで向かったのは、知念商会さん。
知念商会さんと言えば、
“オニササ”ですよね。
ささみフライ(¥200)を取って、
おにぎり(¥80)を取って、
あいだにソースをかけて、
袋を裏返して、
ギューッ!
オニササのできあがり。
おにぎりとささみフライとをギューッとするから、オニササ。
でーじまーさん!(とてもおいしい!)
ささみがやわらかくて、衣がカリカリ!
お米はつやつやした炊き方で最高!
その両者がギューッで熟(な)れた感じがとてもおいしい。
これにはビールやな、ビール!
(なんで2回言うんだよ)
オニササで、お腹も心も満たされました。
知念商会さんから進路を南へ戻した酔っぱらい。
さらに歩いていると、
小学校に出くわしました。
その一角に、奉安殿を発見!
戦前戦中にかけて建てられた、御真影(天皇皇后の写真)と教育勅語とをしまっておくための倉庫。
かつて筑波鉄道筑波線の真壁駅跡で見かけて以来のご無沙汰でした。
さらに歩いていると、路地の奥に鳥居を発見。
手元にある文献には記載なし。
ネット上では、岸若御嶽(キツィパカオン)と紹介されておりました。
小さな御嶽でした。
ユーグレナモールへ戻ってまいりました。
そこで、これらをGET!
これらは石垣島産ではごさいませんが、初見故にGETいたしました。
ホテルへ戻ってきた酔っぱらい。
二日間の成果を梱包し、
郵便局から発送。
これだけあると、飛行機の機内へ持ち込めないでしょうからね。
その後徘徊を再開していたら、雑貨店を発見。
FILさん。
あーあ、
また悪いクセが出てしまった(¥1,650-)。
連れて帰って来てしまったのでした。
.
時刻はいささか早めでしたが、
飲み始めることにいたしました。
730交差点。
その北側にあった、73バルさんへ。
730円で三杯飲めるんだってさ。
ただしビールは+90円。
まずはオリオン生。
歩き回ったせいか、いっそうおいしい!
マカロニサラダを頼んだら、
「ハーフにしたほうがいい。」と言われて、従ったのですが、
この量でハーフって、いったい?
カレー味で、チリ少し。
これは酒が進んでしまうやつですぞ!
スパムも入っとるがや。
水菜が出てきてこんにちは。
枝豆も、一人前にしてはけっこうな量でしたよ。
二杯目は、宮之鶴をソーダ割りで。
かなり軽い、スイスイと行けてしまいました。
三杯目は、請福ソーダ割り。
黒麹の風味が穏やかながらも効いておりました。
くわっちーさびたん!
¥1,600台でした
ここで引き揚げるには、いささか早すぎ。
そこで今日も、石垣島ヴィレッジへ。
せんべろ風土さんへ。
1,000円で三杯+小鉢のシステム。
ただしビールは一杯のみ利用可。
ここでもまずはビールから。
ゆし豆腐。
豆の味が濃いね。
柴漬け食べたい!(山口美江より)。
八重山かまぼこ。
赤坂小町!
じゃなかった、プリプリ!
二杯目は、請福ロック。
おいしい!
麹の香りほんのり
苦味少しあって、黒麹の香ばしさはっきり。
甘みもほんのり感じました。
アジフライ。
揚げたてに限る!
三杯目は、於茂登ロック。
アルコール香かすか。甘くて苦味が鋭い。麹香り弱め。
これもおいしいね。
くわっちーさびたん!
¥1,800台でした。
まだ明るいですけれど、
けっこう飲んだので、これで退散。
ホテルへ戻ったのでした。
こうして、石垣島での二日目は、終わりを告げたのでした。
★☆2024年1月21日(日)★☆
三日目の朝。
雨でした。
最終日は、昼の便で成田へ戻る予定でした。
そこでまずは、730交差点を渡って、
バスターミナルの位置を確認したのですが、
戻ろうとしたら、
マラソンが始まっていて戻れず。
しかたがない。
戻れないとわかったからには、そりゃ、
たとえ朝であっても、
飲むしかしかたがありません罠。
9時発のバスに乗ろうとしたのですが、
運転手さんが到着したのが3分後で、出発が4分後。
沖縄の人は、ゆっくりだねぇ。
しかもバスは、マラソン渋滞に引っかかって動けやしない。
なんとか石垣空港にたどり着いたのですが、
通常では30分ほどの行程のはずなのに、
一時間近くかかってしまったのでした。
腹が減ったので、早めの昼食。
そういえば、石垣島へ来たのに、八重山そばを食べていませんでした。
魚の出汁がおいしい。
丸麺で、噛み応えしっかり。
もちろんビールにも合う!
くわっちーさびたん!
帰りもpeach
石垣島よ、さようなら。
生きてさえいれば、また来られるだろう。
この日も窓から見えたのは雲ばかり。
しかたがないので、ビールを飲みながら帰ったとさ。
その日の夜のこと・・・。
昨日送ったばかりの荷物が、
もう届いちゃった!
成果を無事、回収することができたのでした。
めでたし、めでたし!
【引用した文献】
(※1)李春子『八重山の御嶽-「祈り」と「祭り」の祭祀空間』p.130(李春子編著『八重山の御嶽-自然と文化』p.130-199 2019.3 榕樹書林)
(※2)岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』p.12(2019.2 平凡社新書905)
(※3)赤嶺政信監修『沖縄の神と食の文化』p.23(2003.4 青春出版社プレイブックスインテリジェンスPI-055)
(※4)(※2)p.8-12
(※5)色川大吉『御嶽信仰と祖先崇拝-八重山群島石垣島の場合-』p.150(東京経済大学人文自然科学論集 通号94 p.162-150 東京経済大学人文自然科学研究会)
(※6)(※3)p.24
(※7)(※5)p.162
(※8)(※5)p.162-161
(※9)藤井佐美『石垣島の御嶽と説話-四箇の伝承事例を中心に-』p.146-148四箇御嶽一覧表より(説話・伝承学 20巻 p.144-160 2012.3 説話・伝承学会)
(※10)(※2)p,17-18
(※11)(※1)p.2
(※12)丸山顯德『沖縄八重山のオヤケアカハチの戦い』p.228-229(アジア遊学 189号 p.228-232 2015.09 勉誠出版)
(※13)大城立裕『琉球の英傑たち』p.147(1992.10 プレジデント社)
(※14)(※12)p.230
(※15)上笙一郎『日本植民地児童文学史 稿・30 叙事詩『オヤケ アカハチ』の役割 -琉球=沖縄篇(4)の下』p.36(日本古書通信 第982号 p.36-37 2011.5 日本古書通信社)
(※16)(※12)p.229
(※17)(※13)p.156
(※18)(※13)p.157
[ワイン]19.五一わいん ルージュ 180ml [999920.長野県のワイン]
製造者:株式会社林農園
長野県塩尻市大字宗賀1298-170
日本ワイン
品目:果実酒
原材料名:ぶどう(日本産)/酸化防止剤(亜硫酸塩)
アルコール分:12%
内容量:180ml
(以上、ラベルより転記)
林農園さんのワインは、かつて以下の物をいただいております。
[ワイン]12.五一わいん 白 カップ
[ワイン]13.五一わいん 赤 カップ
今日いただくこのワインは、ルージュ(ROUGE)という名の赤ワイン。
日本ワインを名乗れるのは、国産ぶどうを100%使用しているから。
それではいただきます。
もちろん、冷蔵庫で冷やしたものをいただきます。
香りはないですね。
含むとぶどうの風味に厚みを感じます。
渋みも少しありますが、突出してはおりません。
酸味は鋭さはわかるものの、弱めです。
一方で、甘みがほぼゼロですね。
どっしりしているがキリッと引き締まった、おいしい辛口赤ワインでした。
ぶどうの風味が豊かなのに、辛口でけっこう引き締まった感じがいたしました。
渋みと酸味の鋭さも感じましたが、突出することなく味の要素として働いているように感じました。
おいしいね。
これは食事、とくに脂っぽいものに合うでしょうね。
【お酒】2246.白鶴 大吟醸 180ml [28.兵庫県の酒]
白鶴酒造株式会社
神戸市東灘区住吉南町四丁目五番五号
日本酒
アルコール分 15%以上16%未満
原材料名 米(国産)、米こうじ(国産米)、醸造アルコール
精米歩合 50%
180ml
(以上、ラベルより転記)
灘五郷は御影郷に蔵を置く白鶴酒造さん。
本家である本嘉納家(菊正宗)に対して、白嘉納家とも称されます。
その白鶴酒造さんのお酒は、これまでに以下のものをいただいております。
【お酒】1193.白鶴 上撰 淡麗純米 お燗瓶
【お酒】1457.白鶴 上撰 金冠 200ml カップ
【お酒】1499.白鶴 特撰 特別純米酒 山田錦 180ml
【お酒】2050.白鶴 純米大吟醸 180ml
【お酒】2082.白鶴 大吟醸 180ml アルミボトル
【お酒】2118.白鶴 香るうまくち原酒 アルミ缶
【お酒】2157.白鶴 上撰 山田錦 カップ
今日いただくこのお酒は、アル添大吟醸。
話のネタもないですので、さっさといただきます。
大吟醸ですから、冷蔵庫で冷やしたものをいただきます。
お酒の色は、ほぼ無色でした。
上立ち香は、鼻を近づけるとかすかにフルーティー。
でも含むとそれが口の中でふわりと広がって、鼻へと抜けて行きます。
うまみはやや淡めですが、しっかりしています。
米のうまみに淡めながらにも厚みを感じます。
吟醸酒にありがちな苦みが少しあって、鋭さを感じます。
酒臭さはなく、熟成感もなし。
キレは、アル添酒にしてはそれほどでもないみたい。
酸味はややひかえめ。
すっぱさはわかるものの、弱めです。
スーはないものの、なぜかちょいピリ!
甘みはややひかえめ。
存在はわかるものの前には出て来ず、かすかに感じる程度です。
ちょい芳香のやや淡麗でちょい苦ちょいピリ旨やや辛口のお酒でした。
やや淡めでしたが、それでも米のうまみをしっかりと感じ、飲み応えがありました。
ただ、ちょい苦とちょいピリとを感じ、大吟醸、すなわち「吟味して製造した清酒」(清酒の製法品質表示基準(平成元年11月22日国税庁告示第8号)1)でかつ「固有の香味及び色沢が特に良好なもの」(同2(2))を名乗るにもかかわらず、雑味が目立つように思いました。
それにアル添酒にしてはキレがそれほどでもなく、かつ苦みやピリも相俟ってしつこさを感じました。
あくまでも、私の感想ですけれどね。
【お酒】2245.玉水 上撰 お燗瓶 180ml [40.福岡県の酒]
製造者 玉水酒造合資会社
福岡県みやま市高田町舞鶴214-1
アルコール分 15度
原材料名 米(国産)・米こうじ(国産米)・醸造アルコール・糖類
内容量 180ml
(以上、ラベルより転記)
玉水酒造さんのお酒は、これまでに【お酒】2242.玉水(たまみず) カップをいただいております。
今日いただくこのお酒には、上撰の小印が付されておりました。
ですが原材料名を見ると、これも玉水カップと同じ糖類添加の三増酒でした。
話のネタが尽きたところで、いただいてみたいと思います。
普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。
あ、そうそう!
先週末に出かけた先で、また悪いクセが出てしまいました。
立ち寄った雑貨店で、こいつにひとめぼれ。
連れて帰って来てしまいました(¥1,650)。
今日はこれを使っていただきます。
お酒の色は、かすかに着いていることがわかる程度でした。
香りがありますね。
酒臭い(ほめ言葉:以下同じ)香りをかすかに感じます。
うまみはやや濃いめ。
米のうまみに厚みを少し感じ、かつ酒臭さをほんのりと感じます。
渋みがあって、強くはないものの鋭さを感じます。
キレはよく、スッと引きますが、アル添酒特有の透明感は感じません。
酸味はひかえめ。
すっぱさはゼロでしょう。
でもちょいスー!
ピリはなし。
甘みはかなりはっきり。
けっこう甘くて、やや重めです。
やや濃醇でちょい渋ちょいスースッキリ旨甘口のおいしいお酒でした。
糖添なのに米のうまみがしっかりかつ酒臭さほんのりで、飲み応えがありました。
一方でかなり甘めでしたが、それでもちょい渋とキレの良さ、それにスース―感が働いているせいか、それほどしつこくは感じませんでした。
かなり甘めでしたが、おいしいお酒でした。
この味が、きっと地元の皆さんに愛されているが故に、糖類添加をやめられないのかな?
もちろん糖類添加は増醸目的であってけっして調味のためではないでしょうけれど、やめると、あくまでも結果として、甘みが後退して辛口になってしまうでしょうね。
もっとも、九州には辛口のアルコール飲料として焼酎がございますから、清酒はむしろ甘口であることに需要があるのかもしれませんね。
あくまでも、ワタクシの推測ですけれど。
2023年→2024年の年越し徘徊(★☆お知らせ★☆) [旅]
2023年末のこと。
「本当は行きたくないけれど、義理で行かなければならない場所」
へ行ったのですが、
あたしゃ行ったところで早朝から出かけてしまい、夕刻に戻ってくるという生活を送っておりました。
もちろん、出かけた先では酒を集め、かつ飲んだくれておりました。
2023年末から2024年正月にかけての徘徊。
その顛末を、ここに紹介いたします。
★☆2023年12月30日(土)★☆
早朝の新宿駅。
7時ちょうどの、あずさ1号で♪
私は私はあなたから、・・・♪
松本駅へ
改札外にあるNewdaysで、
岩波と高天とをGET。
松本からは、普通電車に乗って中央西線へ。
いただいたコメントに返答させてもらいつつ、
ありゃ!
今年の木曽谷は、雪がまったく残っていないわ。
そもそも降っていないのかな?
そんなこんなで、目的地に到着。
木曽福島駅(長野県木曽郡木曽町)。
高台にある木曽福島駅から街へは、坂を下りて行かねばなりません。
今年は雪が残っていなかったので、比較的簡単に下りることができました。
目指したのは、とちの屋さん。
燗酒。
すんきと赤かぶ漬けとが付いておりました。
すんきは、冬だけの木曽の名物。
塩を使わず、葉についている乳酸菌だけで発酵させる、すっぱいお漬物なのです。
あたしゃこのすんきをどうしても食べたくて、冬は必ず木曽福島へ来ているのでございます。
赤かぶ漬けも、ややすっぱめ。
これもこのお店の自作らしいよ。
そのすっぱいすんきと赤かぶ漬けとが、
辛口の燗酒(七笑白梅かな?)とバッチリ!
満を持してのご登場は、
すんきそば!
すんきのすっぱさが、かつお出汁のかけつゆとバッチリ!
これを考えた人、天才だわ。
もちろんそばもおいしいがね。
そしてそのすんきそばが、これまた酒と合うこと合うこと!
最後は、白濁したそば湯をいただいて、
あー、なにもかもがおいしかった。
今年も無事に、すんきそばを食べることができました。
このあと、スーパーにてこれらを入手。
お腹も心も満たされたところで、木曽川見物へ。
行人橋歩道橋。
ここから上流を見た景色が、私の木曽でのお気に入り。
街中を散策し、
お店を発見。
“en-shouten”さんだってさ。
武富士?(それは¥en shop)
へー!
すんきで発酵させたビールだってさ。
これがすんきを使ったという、
“鹿塩GOSE”(発泡酒)。
たしかに原材料名に“すんき”って書いてある。
塩も入っているのね。
木曽川を眺めながら、いただくことにいたしましたよ。
すっぱ~!
すんきというよりも、梅干しのような風味は、塩とコリアンダーとの影響か?
ビール(発泡酒)自体が軽めなせいか、すっぱさがより強烈に感じますよ。
古道具のお店を発見。
“pu–ka puka。゜”さんだって。
盃をGET!
青い猪に心惹かれました。
木曽福島での徘徊はこれで終了。
木曽福島駅へ戻って、
保存されている蒸気機関車を見学し、
電車に乗って、次の目的地へと向かったのでした。
途中下車したとある駅では、三千盛の“本醸”をGET!
★☆2023年12月31日(日)★☆
大晦日の朝は、京都駅から。
今にも降り始めそうな曇天。
商店が開店する時刻までは、いささか早すぎるので、
鴨川に沿って北上することにいたしました。
しかし、七条大橋から先へは行けませんでした。
仕方がないので、路地裏へ。
民泊かな?
古い建物を改築して使っているのでしょう。
お地蔵さん。
祠がきちんと整備されているところに、周辺住民の結束の強さが表れていると思います。
今はホテルとして使用されているこの建物。
任天堂の本社だったそうです。
正面橋の西側には、梵鐘が置いてありましたよ。
川沿いの道を歩く酔っぱらい。
かつての五条楽園の裏側で、かつ刑場(六条河原)があったあたり。
歩いていると、アオサギ発見。
望遠で撮影してみましたが・・・、
1mくらいまで接近して撮影しても逃げません!
餌付けされているのかな?
この祠は、苔むした屋根がいいね。
五条大橋からは、再び河原へ降りることができました。
たった一人であてもなく(実はあるんだけれど)歩く時間。
オイラには絶対に必要だわ。
ここは夏になると“ゆか(納涼床)”が出るところですね。
だから、河原側からも出入りできる構造になっているのかな。
セリですね?
美味しそうでしたけれど、肝蛭がいる可能性があるので食べませんでした。
♂3羽 / ♀2羽。
剣呑だな。
対岸に南座が見えると、
そこはもう、四条河原町の交差点。
四条通を西へ少し進んだところで、新京極通を北上。
錦天満宮へ到着。
二礼二拍手一礼。
それにしても、朝から人大杉!
しかも聞こえてくるのは京都弁ではなくて、海の向こうで使われている言葉ばかり。
月桂冠・神聖(いっぱいやっか?;伴淳三郎)・富翁。
いずれも京都伏見に蔵を置く蔵元さん。
振り返ると、錦天満宮の鳥居が鎮座まします。
両端が隣の建物に突き刺さっていることで有名ですね。
鳥居をくぐると、本日の目的地へ到着。
錦市場です。
ぼちぼち商店が開店する時刻。
このとき、今朝、時計のネジを巻き忘れていたことに気づきました。
あぶなかった!
まだ全店開店とまではいかない模様。
お目当ての酒屋さん(津之喜酒舗さん)は開店しておりました。
桝源と神蔵とをGET!
一杯100円の振る舞い酒。
朝からなにも食べていない胃袋にしみわたりました。
器土合爍さん。
丹山純米大吟醸一合瓶(¥1,320-)をGET!
錦市場の出口。
これを引き返す気にはなれないな。
ということで、錦市場の出口から南下して、四条通へ。
四条通にあったファミリーマートで、月桂冠のカップ酒をGET!(300mlだとよ)
どこでも入手可能な商品でしょうけれど、蔵元さんが蔵を置く京都で入手することに意義があるのですよ。(どんな意義があるんだよ。)
その四条通にあったバス停から、京都駅へ向かうバスに乗車。
新今宮駅(大阪市浪速区)から、
絶滅危惧種の201系電車に乗車。
省エネ電車のチョッパユニット起動音を堪能しつつ、
JR難波駅(大阪市浪速区)にて下車。
駅の隣にあるライフにて、白鶴の大吟醸一合瓶をGET!
OCAT内にあるやまやで、宮城県と秋田県との酒をそれぞれGET!
南海電車の難波駅。
風格のあるこの建物は、昭和7年(1932年)生まれ(五・一五事件と同年)。
これを維持するためには、金銭的にも労力的にも大変なんだろうな。
その難波駅に入っている高島屋の酒コーナー(地下)で、鷹勇の純米強力MYCUPをGET!
既出でしたが、どうやらカップの色とラベルとが変わったみたいでした。
地上へ出て、日本橋へと足を進めた酔っぱらい。
目指したのはもちろん!
初かすみ酒房さん。
久保本家酒造さん(奈良県宇陀市大宇陀)の直営店です。
まずは生小。
座るとすぐに「飲み物は?」と聞かれるので、「生小!」と答えることに決めております。
おでん(大根とたまご)
この日最初の食事でした。
へー!
ひやおろしがあるのね。
ひやおろし生酛純米を注文。
酸味が深いね!、しかもかなり枯れていますよ。
それでいて角はなく、むしろ穏やかで甘口でした。
冷酒でいただきましたが、燗のほうが深みが映えてよかったかも。
たこぬた。
めざし。
大和のどぶを冷酒で(生貯なので)。
さわやかさと共に米のうまみしっかり。しかも辛口だね。
さば塩焼。
ポテトサラダ。
生酛のどぶを、燗で。
香りがクリーミー!
枯れているけれどすっきり辛口で、深みがなくて軽い!
生酛のどぶは毎年味が変わるから面白いお酒なのでした。
宇和島(じゃこ天)。
そしてとどめの、どぶビール!(生酛のどぶ+ビール)。
これはスイスイと行けてしまう危険な飲み物ですぞ!
ああ、おいしかった!
初かすみ酒房さん、今回も堪能させていただきました。
★☆2024年1月1日(月)★☆
元旦は、JR四日市駅(三重県四日市市)から。
だーれもいない道を歩いて、
1番街商店街へ。
元日ですからね。
お店はどこもお休み。
諏訪神社。
ここで初詣をしようという算段だったのでした。
拝殿にて二礼二拍手一礼。
え?
なんだって?
「どうしてわざわざ四日市まで来て初詣をしようと思ったのか?」ってか?
それはね。
四日市へ来れば、元日でも、
安田屋さんで朝から酒を飲むことができるから。
上原浩さんの薫陶を受けたというここのご主人、
酒造りに関する知識がものすごい!
オイラみたいな本を読んでいるだけの連中にはわからないことまでご存知でいらっしゃる。
まずは、十旭日(じゅうじあさひ)袋吊りおりがらみ生を冷酒で。
香り爽やか。
米のうまみに爽やかさと軽い苦みとが効いていてやや甘口。
それらの中でも苦みがいい感じでしたよ。
二杯目は、玉川山廃2018酒造年度純米酒。
要するに、少なくとも6年は熟成させているわけですよ。
この色!
香りからして枯れていますね。
米の風味はまるで煎餅のように香ばしい。
しかも酸味の深みがしっかり。深い味わいのお酒でした。
同じ蔵元さんの通常の純米酒もいただきました
こっちは枯れてはいるもののそれほどでもなく、しかもスッキリしておりました。
色を見ても違いがわかりますもんね。
安田屋さん、2年連続で堪能させていただきました。
JR四日市駅へ戻るのが面倒臭くなったので、
近鉄四日市駅から名阪乙特急に乗車。
名古屋駅でJRに乗り換えて、
岐阜駅(岐阜県岐阜市)へ到着。
店はみな閉まっている商店街を抜けて、
金色の鳥居が見えると、
金(こがね)神社。
拝殿にて二礼二拍手一礼。
え?
なんだって?
「どうしてわざわざ岐阜まで来たのか?」ってか?
元日でも、金神社へ来れば、
露店で藤﨑摠兵衛商店さんのにごり酒にありつけるから。
甘口を選びました。
たしかに甘口でしたが、アル添の効果か、にごり酒にしてはけっこうスッキリしておりました。
気が付くと、もう午後2時。
この日も朝から何も食べていなかったのでした。
たこ焼き屋を発見。
”BROWN DOT”さん。
ビールをいただきながら、たこ焼きが焼けるのを待ちました。
こちらがBROWN DOTさんのたこ焼き。
(フライングで2個食べてしまいましたことをお詫び申し上げます。)
しょうゆ味の香ばしいたこ焼き。
これね、オイラが子供の頃から食べていたたこ焼きの味ですよ!
たこ焼きはソースよりも、しょうゆ味でちょっと焦げているほうが香ばしくておいしいのです。
こちらひさびさのしょうゆ味のたこ焼き。
BROWN DOTさん、懐かしい味をごちそうさまでした。
こうして、岐阜を離れたのでした。
★☆2024年1月2日(火)★☆
彦根駅(滋賀県彦根市)。
大師寺を発見。
お大師様に合掌。
南無大師遍照金剛。
彦根城の堀端の道を歩いて行くと、
ここでもアオサギ発見。
こっちはすぐに逃げました。
彦根城の天守が見えると、
♪京橋は、ええとこだっせ♪
♪グランシャトーが、おまっせ♪
(それ京橋ちがい!)
グランシャトー、
ではなくて、夢京橋キャッスルロードへやってまいりました。
目的はただ一つ!
林屋さん(酒店)へ。
いしだみつにゃんカップと、しまさこにゃんカップとをGET!(中身は金亀)
金亀のカップ酒はほぼ飲み尽くしておりますが、この2つはネタが尽きたときに手をつけようと企んでいたのでした。
アル中ハイマー型ダメ人間のオイラが入ったら、
いったいどうなってしまうのだろうか。
彦根駅に戻った酔っぱらい。
観光案内所に併設されていた売店で、喜多酒造さんの純米吟醸一合瓶をGET!
その彦根駅からは、近江塩津行の新快速(と言ってもここ彦根から先に通過駅は無し)に乗車。
びわこ大仏が見えると、
そこはもう、いつもの長浜駅。
そして中島屋食堂さんには、
いつものとおり、フラれましたとさ。
いつものとおり、麺屋たい風さんへ入ろうとしたもの、
なんとこちらにもフラれてしまいました!
朝からなにも食べていないので、腹が減って死にそうだ!
商店街へ急行し、
笑楽屋ごちさんへ。
ビールはやっぱり注文してしまいますね。
近江牛丼ですよ。
やわらかっ!
脂しっかり!
おいしい!
ビールにも
合わないわけが
ないわいな!
あー、おいしかった。
酒気帯びのまま、大通寺へ参拝。
本堂にて合掌。
帰命無量寿如来
南無不可思議光
長浜へ来た際のお約束は、
日吉神社にも参拝すること。
拝殿の裏は、長浜で一番お気に入りの場所。
いつか、桜の咲いている時期に来てみたいものです。
日吉神社に参拝したら、お隣にあるお稲荷さんにも参拝せねばなりませぬ。
長浜での成果はゼロ。
何度も来ている街ですし、正月は酒屋さんが閉まっているので仕方がありません罠。
こうして、この日の徘徊は終了したのでした。
すじですね!
「本当は行きたくないけれど、義理で行かなければならない場所」
へ行ったのですが、
あたしゃ行ったところで早朝から出かけてしまい、夕刻に戻ってくるという生活を送っておりました。
もちろん、出かけた先では酒を集め、かつ飲んだくれておりました。
2023年末から2024年正月にかけての徘徊。
その顛末を、ここに紹介いたします。
★☆2023年12月30日(土)★☆
早朝の新宿駅。
7時ちょうどの、あずさ1号で♪
私は私はあなたから、・・・♪
松本駅へ
改札外にあるNewdaysで、
岩波と高天とをGET。
松本からは、普通電車に乗って中央西線へ。
いただいたコメントに返答させてもらいつつ、
ありゃ!
今年の木曽谷は、雪がまったく残っていないわ。
そもそも降っていないのかな?
そんなこんなで、目的地に到着。
木曽福島駅(長野県木曽郡木曽町)。
高台にある木曽福島駅から街へは、坂を下りて行かねばなりません。
今年は雪が残っていなかったので、比較的簡単に下りることができました。
目指したのは、とちの屋さん。
燗酒。
すんきと赤かぶ漬けとが付いておりました。
すんきは、冬だけの木曽の名物。
塩を使わず、葉についている乳酸菌だけで発酵させる、すっぱいお漬物なのです。
あたしゃこのすんきをどうしても食べたくて、冬は必ず木曽福島へ来ているのでございます。
赤かぶ漬けも、ややすっぱめ。
これもこのお店の自作らしいよ。
そのすっぱいすんきと赤かぶ漬けとが、
辛口の燗酒(七笑白梅かな?)とバッチリ!
満を持してのご登場は、
すんきそば!
すんきのすっぱさが、かつお出汁のかけつゆとバッチリ!
これを考えた人、天才だわ。
もちろんそばもおいしいがね。
そしてそのすんきそばが、これまた酒と合うこと合うこと!
最後は、白濁したそば湯をいただいて、
あー、なにもかもがおいしかった。
今年も無事に、すんきそばを食べることができました。
このあと、スーパーにてこれらを入手。
お腹も心も満たされたところで、木曽川見物へ。
行人橋歩道橋。
ここから上流を見た景色が、私の木曽でのお気に入り。
街中を散策し、
お店を発見。
“en-shouten”さんだってさ。
武富士?(それは¥en shop)
へー!
すんきで発酵させたビールだってさ。
これがすんきを使ったという、
“鹿塩GOSE”(発泡酒)。
たしかに原材料名に“すんき”って書いてある。
塩も入っているのね。
木曽川を眺めながら、いただくことにいたしましたよ。
すっぱ~!
すんきというよりも、梅干しのような風味は、塩とコリアンダーとの影響か?
ビール(発泡酒)自体が軽めなせいか、すっぱさがより強烈に感じますよ。
古道具のお店を発見。
“pu–ka puka。゜”さんだって。
盃をGET!
青い猪に心惹かれました。
木曽福島での徘徊はこれで終了。
木曽福島駅へ戻って、
保存されている蒸気機関車を見学し、
電車に乗って、次の目的地へと向かったのでした。
途中下車したとある駅では、三千盛の“本醸”をGET!
★☆2023年12月31日(日)★☆
大晦日の朝は、京都駅から。
今にも降り始めそうな曇天。
商店が開店する時刻までは、いささか早すぎるので、
鴨川に沿って北上することにいたしました。
しかし、七条大橋から先へは行けませんでした。
仕方がないので、路地裏へ。
民泊かな?
古い建物を改築して使っているのでしょう。
お地蔵さん。
祠がきちんと整備されているところに、周辺住民の結束の強さが表れていると思います。
今はホテルとして使用されているこの建物。
任天堂の本社だったそうです。
正面橋の西側には、梵鐘が置いてありましたよ。
川沿いの道を歩く酔っぱらい。
かつての五条楽園の裏側で、かつ刑場(六条河原)があったあたり。
歩いていると、アオサギ発見。
望遠で撮影してみましたが・・・、
1mくらいまで接近して撮影しても逃げません!
餌付けされているのかな?
この祠は、苔むした屋根がいいね。
五条大橋からは、再び河原へ降りることができました。
たった一人であてもなく(実はあるんだけれど)歩く時間。
オイラには絶対に必要だわ。
ここは夏になると“ゆか(納涼床)”が出るところですね。
だから、河原側からも出入りできる構造になっているのかな。
セリですね?
美味しそうでしたけれど、肝蛭がいる可能性があるので食べませんでした。
♂3羽 / ♀2羽。
剣呑だな。
対岸に南座が見えると、
そこはもう、四条河原町の交差点。
四条通を西へ少し進んだところで、新京極通を北上。
錦天満宮へ到着。
二礼二拍手一礼。
それにしても、朝から人大杉!
しかも聞こえてくるのは京都弁ではなくて、海の向こうで使われている言葉ばかり。
月桂冠・神聖(いっぱいやっか?;伴淳三郎)・富翁。
いずれも京都伏見に蔵を置く蔵元さん。
振り返ると、錦天満宮の鳥居が鎮座まします。
両端が隣の建物に突き刺さっていることで有名ですね。
鳥居をくぐると、本日の目的地へ到着。
錦市場です。
ぼちぼち商店が開店する時刻。
このとき、今朝、時計のネジを巻き忘れていたことに気づきました。
あぶなかった!
まだ全店開店とまではいかない模様。
お目当ての酒屋さん(津之喜酒舗さん)は開店しておりました。
桝源と神蔵とをGET!
一杯100円の振る舞い酒。
朝からなにも食べていない胃袋にしみわたりました。
器土合爍さん。
丹山純米大吟醸一合瓶(¥1,320-)をGET!
錦市場の出口。
これを引き返す気にはなれないな。
ということで、錦市場の出口から南下して、四条通へ。
四条通にあったファミリーマートで、月桂冠のカップ酒をGET!(300mlだとよ)
どこでも入手可能な商品でしょうけれど、蔵元さんが蔵を置く京都で入手することに意義があるのですよ。(どんな意義があるんだよ。)
その四条通にあったバス停から、京都駅へ向かうバスに乗車。
★☆
中略
☆★
新今宮駅(大阪市浪速区)から、
絶滅危惧種の201系電車に乗車。
省エネ電車のチョッパユニット起動音を堪能しつつ、
JR難波駅(大阪市浪速区)にて下車。
駅の隣にあるライフにて、白鶴の大吟醸一合瓶をGET!
OCAT内にあるやまやで、宮城県と秋田県との酒をそれぞれGET!
南海電車の難波駅。
風格のあるこの建物は、昭和7年(1932年)生まれ(五・一五事件と同年)。
これを維持するためには、金銭的にも労力的にも大変なんだろうな。
その難波駅に入っている高島屋の酒コーナー(地下)で、鷹勇の純米強力MYCUPをGET!
既出でしたが、どうやらカップの色とラベルとが変わったみたいでした。
地上へ出て、日本橋へと足を進めた酔っぱらい。
目指したのはもちろん!
初かすみ酒房さん。
久保本家酒造さん(奈良県宇陀市大宇陀)の直営店です。
まずは生小。
座るとすぐに「飲み物は?」と聞かれるので、「生小!」と答えることに決めております。
おでん(大根とたまご)
この日最初の食事でした。
へー!
ひやおろしがあるのね。
ひやおろし生酛純米を注文。
酸味が深いね!、しかもかなり枯れていますよ。
それでいて角はなく、むしろ穏やかで甘口でした。
冷酒でいただきましたが、燗のほうが深みが映えてよかったかも。
たこぬた。
めざし。
大和のどぶを冷酒で(生貯なので)。
さわやかさと共に米のうまみしっかり。しかも辛口だね。
さば塩焼。
ポテトサラダ。
生酛のどぶを、燗で。
香りがクリーミー!
枯れているけれどすっきり辛口で、深みがなくて軽い!
生酛のどぶは毎年味が変わるから面白いお酒なのでした。
宇和島(じゃこ天)。
そしてとどめの、どぶビール!(生酛のどぶ+ビール)。
これはスイスイと行けてしまう危険な飲み物ですぞ!
ああ、おいしかった!
初かすみ酒房さん、今回も堪能させていただきました。
★☆2024年1月1日(月)★☆
元旦は、JR四日市駅(三重県四日市市)から。
だーれもいない道を歩いて、
1番街商店街へ。
元日ですからね。
お店はどこもお休み。
諏訪神社。
ここで初詣をしようという算段だったのでした。
拝殿にて二礼二拍手一礼。
え?
なんだって?
「どうしてわざわざ四日市まで来て初詣をしようと思ったのか?」ってか?
それはね。
四日市へ来れば、元日でも、
安田屋さんで朝から酒を飲むことができるから。
上原浩さんの薫陶を受けたというここのご主人、
酒造りに関する知識がものすごい!
オイラみたいな本を読んでいるだけの連中にはわからないことまでご存知でいらっしゃる。
まずは、十旭日(じゅうじあさひ)袋吊りおりがらみ生を冷酒で。
香り爽やか。
米のうまみに爽やかさと軽い苦みとが効いていてやや甘口。
それらの中でも苦みがいい感じでしたよ。
二杯目は、玉川山廃2018酒造年度純米酒。
要するに、少なくとも6年は熟成させているわけですよ。
この色!
香りからして枯れていますね。
米の風味はまるで煎餅のように香ばしい。
しかも酸味の深みがしっかり。深い味わいのお酒でした。
同じ蔵元さんの通常の純米酒もいただきました
こっちは枯れてはいるもののそれほどでもなく、しかもスッキリしておりました。
色を見ても違いがわかりますもんね。
安田屋さん、2年連続で堪能させていただきました。
JR四日市駅へ戻るのが面倒臭くなったので、
近鉄四日市駅から名阪乙特急に乗車。
名古屋駅でJRに乗り換えて、
岐阜駅(岐阜県岐阜市)へ到着。
店はみな閉まっている商店街を抜けて、
金色の鳥居が見えると、
金(こがね)神社。
拝殿にて二礼二拍手一礼。
え?
なんだって?
「どうしてわざわざ岐阜まで来たのか?」ってか?
元日でも、金神社へ来れば、
露店で藤﨑摠兵衛商店さんのにごり酒にありつけるから。
甘口を選びました。
たしかに甘口でしたが、アル添の効果か、にごり酒にしてはけっこうスッキリしておりました。
気が付くと、もう午後2時。
この日も朝から何も食べていなかったのでした。
たこ焼き屋を発見。
”BROWN DOT”さん。
ビールをいただきながら、たこ焼きが焼けるのを待ちました。
こちらがBROWN DOTさんのたこ焼き。
(フライングで2個食べてしまいましたことをお詫び申し上げます。)
しょうゆ味の香ばしいたこ焼き。
これね、オイラが子供の頃から食べていたたこ焼きの味ですよ!
たこ焼きはソースよりも、しょうゆ味でちょっと焦げているほうが香ばしくておいしいのです。
こちらひさびさのしょうゆ味のたこ焼き。
BROWN DOTさん、懐かしい味をごちそうさまでした。
こうして、岐阜を離れたのでした。
★☆2024年1月2日(火)★☆
彦根駅(滋賀県彦根市)。
大師寺を発見。
お大師様に合掌。
南無大師遍照金剛。
彦根城の堀端の道を歩いて行くと、
ここでもアオサギ発見。
こっちはすぐに逃げました。
彦根城の天守が見えると、
♪京橋は、ええとこだっせ♪
♪グランシャトーが、おまっせ♪
(それ京橋ちがい!)
グランシャトー、
ではなくて、夢京橋キャッスルロードへやってまいりました。
目的はただ一つ!
林屋さん(酒店)へ。
いしだみつにゃんカップと、しまさこにゃんカップとをGET!(中身は金亀)
金亀のカップ酒はほぼ飲み尽くしておりますが、この2つはネタが尽きたときに手をつけようと企んでいたのでした。
アル中ハイマー型ダメ人間のオイラが入ったら、
いったいどうなってしまうのだろうか。
彦根駅に戻った酔っぱらい。
観光案内所に併設されていた売店で、喜多酒造さんの純米吟醸一合瓶をGET!
その彦根駅からは、近江塩津行の新快速(と言ってもここ彦根から先に通過駅は無し)に乗車。
びわこ大仏が見えると、
そこはもう、いつもの長浜駅。
そして中島屋食堂さんには、
いつものとおり、フラれましたとさ。
いつものとおり、麺屋たい風さんへ入ろうとしたもの、
なんとこちらにもフラれてしまいました!
朝からなにも食べていないので、腹が減って死にそうだ!
商店街へ急行し、
笑楽屋ごちさんへ。
ビールはやっぱり注文してしまいますね。
近江牛丼ですよ。
やわらかっ!
脂しっかり!
おいしい!
ビールにも
合わないわけが
ないわいな!
あー、おいしかった。
酒気帯びのまま、大通寺へ参拝。
本堂にて合掌。
帰命無量寿如来
南無不可思議光
長浜へ来た際のお約束は、
日吉神社にも参拝すること。
拝殿の裏は、長浜で一番お気に入りの場所。
いつか、桜の咲いている時期に来てみたいものです。
日吉神社に参拝したら、お隣にあるお稲荷さんにも参拝せねばなりませぬ。
長浜での成果はゼロ。
何度も来ている街ですし、正月は酒屋さんが閉まっているので仕方がありません罠。
こうして、この日の徘徊は終了したのでした。
すじですね!
★☆お知らせ★☆
くだらない内容にもかかわらず、
最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。
<(_ _)>
実は、
あさってからのこの週末は、
(2024/01/19(金)-21(日))
またしても出かける予定でございます。
目的地は、
かなり暖かいであろう場所。
たしかに暖かいみたいですが、
天気がビミョー!
それ故、
明日から今週末にかけては、
更新はございません。
ごきげんよう!
え?
どこへ行くのかって?
この御方↓に会いに行きます。
(フリー素材より)
【お酒】2244.池泉 福寿 上撰? 180ml [40.福岡県の酒]
(株)池田屋
福岡県みやま市瀬高町下庄一二八七
内容量/180ml
原材料名/米、米麹、醸造アルコール、糖類
精米歩合/65%
アルコール分/15.0~15.9%
(国産米100%使用)
(以上、ラベルより転記)
菊美人、山水と、福岡県みやま市産のお酒をいただいてまいりました。
今日いただくのは、“池泉”。
福寿ってのは、小印かな?
もちろんこれも、みやま市に蔵を置く蔵元さんのお酒。
でもね、
大きい声では言えませんが、
瀬高駅前にあった酒屋さんのお話では、
自醸していないとか・・・・・・、
肩には、既製品と思われる上撰のシールが。
ここには糖類添加の表示はありませんでしたが・・・・・・、
ラベルには、原材料名に“糖類”の文字がありました。
しかもこのお酒、増醸策(少ない米でたくさん醸す方法)として糖類を添加しておきながらも、米を65%まで削っているんだってさ!
そういえば、
この“糖類”を、増醸策とは限らず“調味のため”に添加している可能性もあると主張する御仁もおりました。
調味目的であれば、たとえ65%まで削ったお米で製造したお酒であっても、糖類を添加しても何ら不思議ではないことになりますね(もちろん、特定名称は名乗れませんけれど)。
でもね、あたしゃ米や米麹と併記した原材料名として糖類を表示する以上、それは決して調味目的ではあってはならないと思いますよ。
あくまでもお酒の“原材料”として、かつ醪(搾る前)の段階で糖類を使用すれば、出来たお酒は清酒を名乗ることができます。
でも、糖類添加を調味目的だと主張してしまうと、完成したお酒は「リキュール」に分類され、清酒を名乗ることができなくなると思うのです。
調味目的であれば、醪の段階で添加しようと、清酒が完成した後で添加しようと、それは同じことでしょう。
酒税法を見ても、清酒は「米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品(これに糖類が含まれる)を原料として発酵させて、こしたもの」(2条7号ロ、同施行令2条)と定められており、あくまでも発酵の原料として糖類を使用すべき旨を規定しております。
この点につきましては、あくまでも私見です。
もし、これに異議ありと仰せの御仁は、コメントを頂戴したいと思います。
脅迫ではなく、あくまでも議論としてのコメントであれば、大いに歓迎いたします。
酒がまずくなりそうな話はこのくらいにして、
いただいてみたいと思います。
普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。
お酒の色は、かすかに着いておりました。
燗をつけると、酒臭い(ほめ言葉;以下同じ)香りがふわりと漂ってまいりました。
うまみは、これはやや濃いめと言ってよいでしょう。
酒臭さが先に来て、米のうまみは厚みはないものの舌の上にふわりと乗っかります。
苦みはないものの、ちょっと枯れているかな。
キレはバッチリで、透明感がありますね。
酸味はひかえめ。
すっぱさはゼロ。
でも、けっこうなスース―で、かつピリピリ!
甘みは、これはややひかえめと評しておきましょう。
一応存在はわかるものの、スース―ピリピリに跳ね返されて前に出て来られないみたいです。
やや濃醇でちょい枯スース―ピリピリスッキリ旨やや辛口のお酒でした。
うまみはけっこうしっかりしており、飲みごたえを感じるとともに、画一的な風味には感じませんでした。
キレのよさと透明感、そしてスース―かつピリピリで、かなりスッキリしているように感じました。
甘みは存在するのでしょうけれど、上述のとおり跳ね返されて、味の要素からは脱落している感じでした。
味自体は好みでしたが、なにせスース―ピリピリがきつく感じました。
それになぜ糖類添加なのに米を65%まで磨いているのか?、それもわからずじまいでしたとさ。